続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『狂気について瞑想する人物』

2015-10-11 07:19:29 | 美術ノート
 『狂気について瞑想する人物』という題名がなければ、意味不明な作品である。しかし、狂気と名付けられた結果、さらに混迷を深めていると言ってもいいかもしれない。

 人物(男)がいて、白く仕切られた面がある。それがテーブルか箱かは不明であるが、男はそれを見ているようでもあり、男の視線の先は空にも見える。
 男は吸いかけの煙草を手にしている。今という時間を暗示しているのだろうか。
 時間の経過…瞑想するのに煙草はむしろ邪魔だと思うが、敢えて煙草を持っているのは刻々と過ぎていく不可逆の時空を想定しているからに他ならない。

 確かに、首を前に突き出し考え込んでいる雰囲気である。しかし、なぜそれが狂気についてなのか・・・。


 Broodは《鳥が巣につく/卵を抱く/一度に生まれた雛》という意味を含んでいる。
 卵から孵る雛、雛から成鳥へ、、鳥が卵を産むという連鎖、幾億もの時を経て繰り返される生命の連鎖、始まりは人類の追究課題である。

 《今》は《過去》を問い、《未来》に思いを馳せる。循環だろうか、否、《今》は、不可逆をもって進んでいく時空における旅の途中なのだと思いを巡らせる。

 太古の原始、想定外である未来の空漠、考えても仕方がないことを考えている。即ち、これは狂気と呼ぶほかない。マグリットの自問自答、自嘲である。


(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

『銀河鉄道の夜』105。

2015-10-11 07:12:56 | 宮沢賢治
それどころではなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらある野原のやうに考へられて仕方なかったのです。


☆兼ねて現れる章(文章)は、輪(順番に回る)。
 朴(ありのまま)は、常(変わることがない/道理)也。
 現れる講(はなし)は、試みの法(神仏の教え)である。

『城」2110。

2015-10-11 06:36:17 | カフカ覚書
「アマーリアは、バルナバスのこともわたしのことも眼中にないのです。あの子は、じつのところ、両親のこと以外は、だれのことも眼中にないのです。両親の面倒は、夜となく昼となく見てやっています。いまもまた、両親になにか食べたいものはないかと訊いてやって、それを台所へつくりにいったのです。自分を殺してまで起きだしたのも両親のためなんです。


☆アマーリア(作り話/マリア)はバルナバス(北極星=死の入口)のこともわたし(機関/仲介者)のことも気にかけていません。本当は祭壇のこと以外何も気にかけないのです。祭壇の面倒は集会や力のために気にかけています。今も再び問うことを望み、それらのために教会に向かうのです。