続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『田園』

2015-10-20 07:11:08 | 美術ノート

 田園・・・Countryside、田舎、祖国、わが故郷。
 ここには田園を想起させる具体性を持った対象物がない。緑の樹木、凝視してみると、逆さである。樹は上方から伸びている。
 前面に描かれた、というか切り抜かれたような樹の形は、確かに順当である。しかし暗澹とした背後の景色には深い闇がある。そして大きく繁った樹木の葉は、背景の濃い暗緑色に反転している。

 これらは何を意味しているのだろう。
 この作品を横切る帯状の線は何を意味しているのだろう。

 疑問だらけの謎のような絵である。
 この『田園』は逆さに描かれている。緑の地平に年月を経た大樹が数本(三本)描かれ、遠景は闇に覆われ見えない深淵の景色である。
 作品を逆さに見てみると白くくりぬかれた樹木の枝々は、まるで雷のようにも見える。雷鳴轟く激変の示唆かもしれない。要するに、時代の変遷、激動である。

   
 

 そうして見ると、横の帯状の線は、地層に見えないこともない。幾重にも重ねられた太古からの地層。

 『田園』の地底には、幾憶という時間の眠りが隠れている。
 田園というよりは、わが祖国である地球の深い眠りを有した地の底、歴史の深淵ではないか。

 《豊かであるはずの田園を、葉のない淋しい枯れ枝とも思える虚しい樹木(権力)が、隠ぺいしている》

 不思議にそう思えてくる作品を描いたグリットは、反骨の画家である。

 (写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


描くということ。

2015-10-20 06:51:59 | 日常

わたしの描く絵は、自分で見ても凡庸極まりなく観念的でセンスがない。
(わかっている)
(それでも描くって?)

 意味のない行為かもしれない。
 それでも、何となく小さく細く続けている。

 この目線では・・・とか、ここに影が・・・などとぶつぶつ言って幼稚な絵を描いている。
(おかしいでしょ)

 時々考える、自分は本当に絵を描くことが好きなのだろうかと。展覧会へも滅多に足を運ぶことはない。どこか(展覧会)へ行くことに、行く前から疲れて行くことを断念してしまうという体たらく。

 それでも、(稚拙な絵を描いている)だから・・・マグリットが見える、マグリットを見る楽しみがある!そうは思えないだろうか。

 マグリットの画集は、わたしの下手な絵の訓練で、より至福をもたらしてくれている。そう考えると、何でも無駄なことはないのだと自分で肯いてしまう。
 秘かな愉しみ・・・わたしが描くことは、他人の作品を理解するためかもしれない。

 それでも、いいじゃないの…と、言いきかせている能天気なわたし。


『銀河鉄道の夜』114。

2015-10-20 06:40:12 | 宮沢賢治

車室の中は、青い天鵞絨を張った腰掛けが、まるでがら明きで、向ふの鼠いろのワニスを塗った壁には、真鍮の大きなぼtんが二つ光ってゐるのでした。


☆赦(罪や過ちをゆるす)を悉(ことごとく)注(明らかにする)章(文章)を展(ひろげ)、臥(ふせて)修(ととのえる)帖(ノート)が要(かなめ)である。
 過ちの迷(判断が付きかねる)行いの素(本質)は、妬(ねtみ)や僻(ひがみ)の辛(つらさ)の疇(たぐい)を題(テーマ)に持つ講(はなし)である。


『城』2119。

2015-10-20 06:21:49 | カフカ覚書

かなり重要な手紙をことづかってきますし、口頭で伝達する用件もまかされます。これは、なかなかたいへんなことなのですよ。あの若さでもうこれだけ出世したんですから、わたしたちは、それを誇りにおもってもいいくらいですわ」


☆かなり重要な証明にも関係します。それどころか、任された用件を口頭で成し遂げもします。新しい年の正しい死として、きっと成し遂げられるようになるでしょう。