続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『応用弁証法』

2015-10-31 06:50:12 | 美術ノート

 きわめて分かりやすい作品である。マグリットにしては、ストレート(過ぎる)と言ってもいいかもしれない。
 左の絵は、強力な武器と訓練された兵士の大群、陸空ともに戦闘態勢である。《勝利は保証されている》と言った空気さえ見える。
 一方、右の絵には敗戦ともいうべき惨状で、肩を落としどこか異郷の地へと逃れていく疲労困憊の荒んだ風景が描かれている。

 対幅形式でありながら、左(戦闘進軍)は右(敗北逃避)より画面が大きく見える。明暗の持つ特質である。

 戦争と敗戦から導き出される答えは一つ、《平和の尊さ》に違いない。

 巨額の投資を費やしたであろう巨大戦車は幾多の行軍する兵士を圧している。
 よく見ると、左の戦闘態勢の兵士たちの足並みは(さぁ、行くぞ!)というより、足を広げたまま硬直しているように見える。膝が上がっていないのである。両足が地についた行軍は有り得ない。戦闘意志の欠如・恐怖…敵軍にも等しい光景があるとすれば、怯むのは当然である。
 
 右の暗雲立ち込めた景色のなか逃避行する敗れた兵士たちの荷物は貧相きわまりない。手押し車や自転車、馬や豚という生きるための必要最低限の背負えるだけの必需品に違いない。
 どちらの景色にも食を支える緑が見えない、荒地、荒廃した野原が地平線まで続くばかりである。

 『応用弁証法』、左の戦闘、右の敗戦から見える答えを誘引しているとしたら、《戦争の愚》である。
 しかしそれ以上に、支配される兵士(一般市民)の憐れに胸を痛めてしまう。権力の下、《巨大な戦車に等しく動員される兵士の哀しみ/凄惨》こそが、この答えであるような気がする。
 マグリットの告発である。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『城』2130。

2015-10-31 06:27:57 | カフカ覚書

ところで、バルナバスは役人ではありません。いちばん下っぱの役人でもありませんし、そんなものになりたいという分限をこえたことも考えていません。


☆さて、先祖の反抗、先祖の反抗は少ないのです。バルナバス(北極星/生死の転換点)は当然そんなものではありません。そしてそれ以上の思い上がりもありません。