いいとこなしのわたしの身体、短い脚がさらにO脚へと加速をかけている。
歩ければいいわ、と高をくくり、歩けなくなる日をも視野に入れている昨今、昨日の「歩こう会」ではメンバーにそれを指摘され、
「あきらめちゃダメ、いい靴(一万円以上)を買い、下敷きも相応のものを買いなさい。接骨院なんかでなく整体へ行きなさい」というありがたいアドバイス。
「まだ歩ける」と、明日の不安を払拭し、ごまかしている日常に釘を刺されてしまった。
「心配だわ」と。
心配してくれる友人がいるうち、素直にその忠言に従いたい。
値の張る靴や下敷きは購入できるけど、整体へはちょっと抵抗がある・・・。
もしかしたら、長生きするかもしれない。その時現在よりさらに劣化した身体で周囲に迷惑をかけることがあれば、悲しくもきっと後悔するに違いない。
予防できることは予防する、そういう時代でもある。しっかり胸に刻んだ昨日の会話。
Oさん、ありがとう。これからもよろしくね。
『夜会服』
水平線(絶対の真理)を背景に、後ろ向きの裸婦が立っている。
裸婦の頭上には三日月が見える。(三日月は南中している)
空も海も明るい真昼の時間帯である。
この条件をもって『夜会服』という命題を解くことが可能であるか。
夜会服、夜に身に着ける着衣である。真昼の彼女に着衣はない。
三日月が真昼に見えることはない。(何故なら太陽の光に遮られるからである)
静かな海面の遥か彼方に飛沫が上がっているが、飛沫は物にぶつかってできる現象であり、水平線の彼方にできるべくもなく、また視覚距離からして岸から見えることもない。
見えないはずの三日月が見え、見えず波立たないはずの遠方の飛沫が見える。まさしく正しそうに見える前提条件の提示である。
《ならば、見えないはずの夜会服が見えることも可能ではないか》という受け入れがたい推論も可能である、という心理的な応答である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「クリームをぬれといふのはどういふんだ。」
「これはね、外がひじやうに寒いだらう。室のなかがあんまり暖かいとひびがきっるから、その予防なんだ。どうも奥には、よほどえらいひとがきてゐる。こんなとこで、案外ぼくらは、貴族とちかづきになるかも知れないよ。」
☆我意に換(いれかえる)質(内容)の談(はなし)である。
余(わたくし)の謀(はかりごと)は往(人が死ぬ、その後)の暗(人に知られない)我意の記を続ける質(内容)である。
たしかに、きみは、貧乏になり、顧客を失いもした。dが、そんなことは日常にはよくあることで、商売や取引をしていたら当たりまえのことだよ。いったい、城はなんでもかでも心配してやらなくてはならないのかね。
☆たしかに、きみは、零落し、情報を失いもした。しかしながら日々の生活にはよくあることだよ。城(死)は、全てを悲しまなければならないのだろうか。