『壜掛け』
『壜掛け』、レディ・メイドの作品である。
(なるほど便利)と購買者の心理を誘った製品、今でも『コップ掛け』のようにこの発想を縮小したものはある。コップのように日常的なものはともかく、壜となると、再利用は難しい。
煮沸なしの乾燥では長期保存には不衛生で不向きであるから再利用の目的は果たせない。つまり単に空の壜を、さらに空にするというだけの器具にすぎない。(だいたい壜掛け自体が汚れてくる)
壜(ガラス)は融かせば再生可能であるが、壜掛けによる再利用は菌の繁殖などにより諦念せざるを得ない。すなわち、無用の長物である。
この『壜掛け』の持つ無為には、期待したのに残念な結果をもたらしたという悲哀が漂う。
存在価値を問われ、否定された沈黙の慟哭がある。いずれ無に帰していく陳腐・失笑ものの羞恥。
堂々とした美しい形態、倒れないための円形と重厚…『壜掛け』へのアイロニー。
デュシャンは一目でこの『壜掛け』の空無に共感したに違いない。
(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)