〔片岡直子先生の授業〕
紙芝居を作るプロセスに入っている。
お子さんの小さい時に書いた(捨て猫の物語)を基にしたり、過去につくった絵本を紙芝居にしたり、月への憧憬を形にと…各自いろいろの案を提示し、話し合い。
「紙芝居のプランは日常の中から(小さな種)を見つけることから始めます」と、先生。
う~ん、沈み込みそうになる気持ちに発破をかける。
《出来なくても、やる!》と、訳の分からない檄を飛ばして自分を鼓舞している。
来週までにプロットを仕上げていく。
頑張るゾ…。
『傑作あるいは地平線の神秘』
三人の男の頭上には三日月があるが、一つの時空に月が三つでることはあり得ない。
三人の男は一人の男の分解である、ならば月も一つの月の分解として三つを認めることが出来るのではないか。
地平線はすでに薄闇に包まれている、つまり太陽は地平線の下にあるのだから月の形態は地上に垂直に立たたず傾いているはずである。
地平線の上に標高のある山脈などではなく、街並み(建屋の連なり)が浮上し見えるのは奇妙であり、こんな錯視の現象は起こらない。
地平線という《絶対の真理/基準》が動く…大異変である。
しかし月が三つ存在するならば、地平線が住宅街の下に沈み込む想定も可能である。神秘、地上の恐怖を当然のような静けさで描き切っている。
物理界の暴力的な破棄を、秘密めく神秘的に実施している。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
二人は壺のクリームを手に塗ってそれから靴下をぬいで足に塗りました。
☆字の図りごとは己(わたくし)の信仰(願い)である。
都(ことごとく)主(中心的な)途(みちすじ)を解く。即ち図りごとである。
城は、実際はなんでもかでも面倒をみてやっているのだが、自然のなりゆきにむやみやたらに干渉することhできないじゃないか。一個人の利害に奉仕するという目的のためだけに鑑賞するわけにはいかないよ。
☆城(死)は実際すべてを悲しんでいるけれど、その展開に強く関与するわけにはいかないじゃないか。先祖の一個人の為したことのためだけに関与するわけにはいかない。