〔片岡直子先生の授業〕
紙芝居とは・・・彩色の効用について、いろいろな思案で実際に見える形にして教えて下さる。
背景は・顔の色は・着衣は…物語の要素にマッチした配色の選別。
黒い縁取り(糸目)を描く、筆記用具のいろいろ。
水彩絵の具・アクリル・クレヨン・クレパス・・・それぞれの発色、質感のもたらす効用。
これでもか、というくらい懇切丁寧なご指導に心底…感動。手を取るような親身な教授って、今まで受けたことがないほど。(泣)
恐れ多くもわたしの思案(プラン)を見て下さり、
「お母さんが怒っている姿は子供が恐怖に感じることがあるので、後ろ姿にしたらどうでしょう。近頃は虐待などといって主催者側も難色を示すことがあります」というアドバイス。
それに構図にしても真正面より角度をつけて、例えばこんな風に元絵を窓において角度を変えて写し取ります」などと、自ら描いてくださった。
感激の至り…(がんばらなくては申し訳ない!)
隣席のダンちゃんとも仲良くなれたし、ほんとに楽しい講座。ちなみに職員のルーさんも一緒に紙芝居づくりに参加しているのを知ってなんか、ほのぼの。
『巡礼者』
山高帽をかぶった紳士の肖像として在るべき顔(頭部)の部分が抜け落ち左に移動している。
背景は薄紫のベタ(特定のない継続された時間)である。
これを『巡礼者』と呼ぶマグリットの真意は何だろう。
薄紫色の背景(ベタ)には淡い期待と、少しの混色に揺れる心理状態が浮遊しているようにも見える。
その中に顔の部分が、というより着衣のなかには実存の肉体が欠落しているのかもしれない。
立派な紳士の様相には社会的地位の安定が見られるが、入るべき肉体は離脱している。
つまり『巡礼者』とは聖地へ向かい信仰を深めるために、社会生活という日常空間や時間から一時的に離れる決意をした人のことであり、社会の規範を手放す覚悟をした人のことである。
巡礼(神とのつながり)とは日常生活(社会性)を放れることであり、リセットなどという凡庸さを超えた聖域を求める行為は、崇高かつ救済であると評価されている。
しかし、マグリットの作品には、沈黙の静かなる疑問が醸し出されている。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
扉の裏側には、大きな字で斯う書いてありました。
「いろいろ注文が多くてうるさかったでせう。お気の毒でした。
もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさ
んよくもみ込んでください。」
☆被(おおいかぶせた)裏(物事の内側)は、即ち、他意である。
弐(二つ)の試みを、署(わりあてている)。
そうきめつけられても、父はやめませんでした。そのころは、あいかわらずとても丈夫でしつぃ、やむなくぶらぶら生活をしていたので、時間はいくらでもあったのです。
☆父(宿命)は留まることがありません。当時はまだ預言者が強力だったので、おびただしい時間は無為に帰することを強いられました。