『観念』
背広・Yシャツ・ネクタイ…つまり成人男性の様相である、その上に当然あるべき頭部が青いリンゴに変換されている。背景はオレンジのベタ(時代については不詳、特定されない)
頭…脳…知覚…五感。これが青いリンゴ…果実に置き換えられている、そしてこれが『観念』であるという。
A、リンゴはバラ科の落葉樹、果実(リンゴ)は花托が肥大化したものである。
B、園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、死んではいけないからと、神は言われました。(略)へびは女に言った、「あなた方は、決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを神はしっておられるのです」。(『創世記』第三章より)
Aはリンゴに対する物理的な答えであり、Bはリンゴ(果実)に抱くイメージの始まりとしての説話である。Aが頭部に変換されることはないが、Bの主観論から派生したイメージは《知恵の実》として、多くの人の認識になっている。
これが即ち『観念』である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
ところがその香水は、どうも酢のやうな匂がするのでした。
「この香水はへんに酢くし。どうしたんだらう。」
「まちがへたんだ。下女が風邪でも引いてまちがへて入れたんだ。」
☆講(はなし)を推しはかる素は、解(部分部分に分けること)で目(ねらう)。
普く邪(正しくないこと)を允(ゆるす)、新しい字の図りごとは、秘(人に見せないように隠す)で注(書き記している)。
父は、それも知りません。それは、きみはなにも知らないと言うし、なにも起こっていないのに、いったい、どうしてほしいと言うのだね。せいぜい、いまこうしt意味もなしに役所に迷惑をかけているということぐらいのものだ。これこそ、けしからんことぢょ。
☆なにも知らないし、なにも起きていないというのに、何が望みかね、どうしてほしいのかね。
今、意味もない誤報で煩わされている、これこそが許されないことだ。