脳梗塞で多少不自由のあるMさんだけど、特別な不調は見られずごく至近の散歩を日課にしている様子なので偶にはわたしも同行させてもらう。
けれど、この冬辺りからめっきりその姿を目にしないので、昨夕はこちらから誘って散歩に出た。
杖を忘れたと失笑するMさんに変わりは見られなかったけど、途中の体操を省き、道の真ん中を歩くので、
「わたしが車の方を歩きましょう」というと、軽く首をふった。
その時、道の端は斜めになっているから歩きにくいことに気づいたので、車に気をつけながら歩いていると、
「Xさんは、うちの鉢植えを盗んだ」といい「Yさんは、朝早くうちの中に入って来る」という。
驚いて問いただすと「本当なのよ」と笑い返された。
少しづつ・・・誰でも少しづつ衰えていくものなのだろうか。
不安だし、とても心配である。
『大家族』
水平線ギリギリに羽を広げ飛ぶ鳥(尾ひれは水面についているようだけど、足は着いていない)。
そのシルエットには雲の散在する青空が描かれている。背景はちょっと見たことのないような不気味な空を呈している。
静かな水平線、夜明けの感じもあるが、波は相当に高い振幅がある。
この光景を『大家族』と称している。
ノアはまた地のおもてから、水がひいたかどうかを見ようと、彼の所から、はとを放ったが、はとは足の裏をとどめるところがみつからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。水がまだ全地のおもてにあったからである。彼は手を伸べて、これを捕え、箱舟の中の彼のもとに引き入れた。それから七日待って、再び鳩を箱舟から放った。はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。見ると、そのくちばしには、オリブの若葉があった。ノアは地から水がひいたのを知った。(略)この時、神はノアに言われた、「あなたは、共にいる肉なるすべての生き物、すなわち鳥と家畜と、地のすべての這うものを連れて出て、これらのものが地に群がり、地の上にふえ広がるようにしなさい」。(創世記・第八章より)
これはその《はと》ではないか。
はとの足が地に着き、オリブの葉をくわえ帰ったときから、地上に生き物が増え拡がったとされるこの伝説をイメージしたものだと思う。
鳥は、淀みある空に羽を広げていおり、シルエットは《空》である。鳥は、ただありのままの空を孕みつつ飛んでいるだけであるが、その鳥に被せたイメージはとてつもなく重い『大家族』の始まりという虚構だったのかもしれない。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
二人はその香水を、頭へぱちやぱちや振りかけました。
二人はジ・トと読んで、字、図。
香水はコウ・スイと読んで、考、推。
頭はトウと読んで、等。
振りかけましたはシンと読んで、真。
☆字の図りごとの考えを推しはかる。
等(平等)は、真(心理)である。
きみにしても、きみにたいして通告されているような当時の措置をひとつでもあげることができるのかね。父は、もちろん、それをあげることはできません。それとも、当局のほうからなにか干渉でもおこなわれたのかね。
☆ひょっとしたら職務上の指令でもあったのかね。父(宿命)には出来ないことです。あるいは職務上の仲介が思い付きによって関与したのだろうか。父(宿命)はそれも知りません。