続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

出逢い。

2017-03-27 07:39:06 | 日常

 どちらかと言えば、家の中に閉じこもっているのが好きだし、外へは出たくない。

 それでも無理やり用件を自ら作り外へ出ていくと、思いがけず心を揺さぶられる経験をする。
《井の中の蛙》のわたし、目をパチクリ!

 サークルを終えたら夜には仕事をし、休日には公園を造るためのボランティアに参加するというAさん初め、みんなそれぞれ忙しく日常を謳歌している。人の数だけ人生があって、物語がある。

 平凡というより閉塞状態のわたしは大いに刺激を受けて帰宅するけれど、もうその時点で疲労困憊。更に再び外へ出るなんて、とても無理。

 みんな素敵だなぁ、眩しいなぁ・・・そういう方たちと知遇を得ただけでも感謝している。


デュシャン『3つの停止原基』

2017-03-27 07:03:50 | 美術ノート

 『3つの停止原基』

 ふ~ん、これが・・・。この曲線(弧)に沿って切り取られた長い形状のものが、停止原基であるという。
 そして3つ。3つに意味はなく単に任意の数だと思う。偶然、偶発、たまたまの形状。
 すべてが物理的根拠を持たないものである。
 これが原基であると言われれば、肯定するしかない。しかし、この形状から発展する未来は考えにくい。
 未分化の状態から、決定されるであろうプロセスに見当がつかない。

『停止原基』であるという不可思議なタイトル。原基は将来(時間の経過)を予定されている段階のものである。未来へ継続する時間を含んだ原基という言葉に『停止』という未来を閉鎖する修飾語がつくこと自体が奇妙であり、肯定に否定を被せたタイトルということになる。

 まことしやかな(3つ)という数は、必要にして最小の数かもしれない。過去・現在・未来、すべてにおいて通用しない(原基)であり、時を止められた封鎖でもある(停止)という冠。
 漠とした大いなるジョークである。


(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)


『城』2593。

2017-03-27 06:26:26 | カフカ覚書

こういうふうにしてまだまだ長いことつづいていったことでしょうが、わたしたちは、ついにもうこれ以上父にお金をわたしつづけることができなくなってしまいました。


☆確実に預言者により長く続けられたことですが、わたしたちはついに、存在が全く不可能になり、世代を継ぎ足すことが出来なくなってしまったのです。