ボンヤリと時をやり過ごすことが多い。
(もう70才だもの…何をやっても追いつかない)という諦念。
平均寿命89.9才(女)という驚くべき発表を目にして呆然。(まだ時間はたっぷり…)
困っちゃうナ。
「紙芝居講座」を受講しているけど、奥が深い。
自分の作る物語の展開は甘くはないか…。うさぎを擬人化しているので、うさぎのポーズを紙粘土で幾つか造ってみた。うさぎに眼鏡を掛けようとして(あらっ、うさぎの耳って!)などと錯綜しながらかなり本気で考えているけど、難しくてため息。
子供の昔に帰るほどの無垢な気持ちになればいいのかもしれない。
70才の自分をプロデュースし、新生のわたしを愉しみたい!
『真理の探求』
真理とは永遠普遍、正しい物事の筋道、現象である。
それ以外ではない純粋究極の考えであると理解しているが、この作品はわたしの概念には受け入れがたい矛盾を孕んでいる。
魚が垂直に立ち、しかも魚を硬質な感触に変換しているなどあり得ない現象である。
経験値、集積された情報との一致、この見地(尺度)が真理を明確にする。
しかし「逆も真なり」が真理であるとするなら、また「この矛盾(魚が尾ひれで直立するという現象)も真理である」と仮定する思考プロセスがあるのだろうか。
水平線という真理にあたかも対立するような魚の直立。
これは魚の形態をした直立可能な物質であり、鑑賞者の魚に対する概念を覆す手段に過ぎず、確信的な認識への揺さぶりである。この懐疑こそが、『真理の探求』の道筋なのかもしれない。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
それから大急ぎで扉をあけますと、その裏側には、
「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか、」
と書いてあつて、ちひさなクリームの壺がこゝにも置いてありました。
☆諦(真理)を究(つきつめる)。
秘(奥深くて計り知れない)理(宇宙の根本原理)。
則(道理)の途(すじみち)は、字で図る。
緒(もろもろ)去(他所へ行く=死)の質(内容)である。
わたしたちは、家でこういうことについて父が出かけていくまえにも、帰ってからでもくわしく論じ合いました。部屋の隅っこに身を寄せ合って、アマーリアに隠れるようにしてね。アマーリアは、なにもかも気づいていましたが、見て見ぬふりをしていたのです。
☆わたしっち一族は前もってすべての事柄と小舟について相談していました。アマーリアに隠れて苦しみました。アマーリア全てを気づいていましたが、何も起きることはありませんでした。