続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『ポラーノの広場』250。

2014-02-25 06:57:24 | 宮沢賢治
「いゝえ。そのときは二十日の月も出てゐましたし野原はつめくさのあかりでいっぱいでした。」
「そんなことが証拠になるか。そんなことまでおれたちは書いてゐられんのだ。」
「偽だとお考へになるならどこなりとお探しくださればわかります。」
「さがすさがさんはこっちの考だ。お前がかくしたらう。」
「知りません。」
「起訴するぞ。」
「どうでも。」
 二人は顔を見合わせました。


☆普く自由な化(形、性質を変えて別のものになる)を合せて推しはかる也。
 現われる章(文章)の嘘は諸(もろもろ)の欺(嘘を言って人を騙す)の講(はなし)である。
 譚(ものがたり)の構(組み立て)は全て智(物事を考える能力)で、鬼(死者)を蘇らせている。
 字の図りごとで、信仰を現わし、号/叫んでいる。

『城』1546。

2014-02-25 06:40:29 | カフカ覚書
「もうとっくにその時間になっているんです。わたしとしましては、尋問の邪魔になっては悪いとおもったものですから」
「そんなに重要なことだと考えていたんですか」
「もちろん、そうですとも」
「それでは、尋問をことわってはいけなかったかもしれんな」
「そうですよ。おことわりになるなんて、もってのほかです」


☆「すでに死期は過ぎているのです。わたしは尋問を邪魔してはいけないと思ったものですから」
 「そんなに大事なことなんですか」
 「そうですとも」と、亭主(監視)は言った。
 「断るべきではなかったのか」
 「そうです、そうするべきではなかったのです」

*尋問/verhor は、verfolgen/迫害する を暗示しているかもしれない。

逞しい彼女たち。

2014-02-24 06:56:08 | 日常
 中華料理の講習で席を囲んだ人はわたしとKさんの他は三十代後半の若い主婦たち。
「子供が三人いて、三度の食事に追われているわ」と、一人が言った。

 彼女は若くてチャーミング、動作もてきぱき。最後のチャーハン作りでご飯をお皿に二人分盛るところを炊飯ジャーに「まだあったから」と山盛りにしてグループ席に戻ってきた。当然二回に分けての調理。ドンと盛ったチャーハンを見ながら
「子供たちに夕飯は中華って言ってきたわ」と澄まし顔。
 わたしがやったら図々しいと思われ行為も、彼女だと納得の清々しさ。
「青菜も今高いのに助かるわ」なんて言って持ち帰り用にパック詰め・・・臆することなくスマートに事を運ぶ。(偉いわ)

 貧すれば鈍す・・・と言うか、気後れして萎縮気味のわたし。生活というものに直面してステキに堂々と戦うという姿勢を見せてくれた若い主婦は新鮮に映った。


 初顔合わせのとき、開口一番「年だけとって、何も分からない初心者ですから」なんていう挨拶をしたわたし、恥ずかしいよ。
 年を重ねた風格の欠片もない・・・軽すぎる、太ったわたし。Ah・・・。

 見知らぬ人たちとの講習会、見習うことばかり。
 主宰を手伝った我がサークルのMさんも大活躍。あれこれ足りない所を察知し、右に左に人波をかけ分けての奮闘振り。

「娘に呼び出されて、急に来る事になりました」というMさんのお母さんは、わたしと同学年、見覚えがある。たしか中学が一緒で生徒会の役員などをしていた活発な人。


 物怖じせず、周りの人たちを巻き込んで楽しく場を盛り上げることの出来る才能は、受け継がれるDNAかもしれない。

『ポラーノの広場』249。

2014-02-24 06:45:14 | 宮沢賢治
「君はふぁぜーろをどこかへかくしてゐるだろう。」
「いゝえ、わたくしは一昨夜競馬場の西で別れたきりです。」
「偽を云ふとそれも罪に問ふぞ。」


☆訓(おしえ導く)に溢れた策(企て)也。
 啓(人の眼を開いて理解させる)場の状(ありさま)は正しい。
 別(区分する)義(人として行うべき道)を運/めぐらせ、在(存在)を問う。

『城』1545。

2014-02-24 06:26:37 | カフカ覚書
「たしかにごもっともです」と、亭主は、相槌を打ったが、儀礼上そうしてだけで、説得されて同意したのではなかった。
「それじゃ、従者たちを酒場に入れてやりましょうかな」と、亭主は言った。


☆「とにかくそれは確かです」と、亭主(監視)は言った。ただそれは先祖の死の入り口にすぎず、賛成したのではなかった。
「わたしが今必要なのは残された事柄(事件)の決め手です」と、亭主(監視)は言った。

戯言。

2014-02-23 06:35:39 | 日常
 一週間は瞬く間に過ぎてしまう。(えっ、もう日曜日なの)
 今までの六十七年間ですら空無と帰して(あったような、なかったような)記憶の中で変形凝縮を余儀なくされている。

(ダメだ、ダメだ)と責める気はあっても、座ればTVの他人思考に乗った生活。
 日曜日は「日曜美術館」「ビフォアーアフター」月曜日は「鬼平犯科帳」火曜日は・・・という具合。以前鎌倉で会った男性は「ぼくはTVを見ませんから」と言っていた。(ああ、わたしもそうしたい)

 残りの人生、自分思考で頑張りたい。TVを子守唄にうつらうつらしていては時間がもったいない。それでなくても八時間も布団の中で眠りこけているわたし。「五時間も眠れば沢山」と言っている人もいるのに、(ここを削ればいいのかな・・・)


 長年の習慣を変えるのは難しい。
 けれど、長年わたしの足を引っぱっているのは、惰性と化した怠慢である。瞬く間に過ぎて行くのは一にも二にも怠慢という悪癖にかかっている。為しえない理想を夢見るうちに、月日のほうが澄まして追い越して行く。

 こんな風に閉じていくのだろうか、わたしの人生。
(始めようかな)と思っている、確かに願いだけはある。(明日から)の先延ばし・・・めくるめく過ぎ去る月日、生命の炎が泣いている。

 人生に対する焦りだろうか。最後のあがき?
 ゆっくり食べて、のんびりTVを見て、早目の就寝。贅沢な日常を満喫している人間の戯言である。

『ポラーノの広場』248。

2014-02-23 06:19:11 | 宮沢賢治
「さうです。」
「では訊ねるが、気味はテーモ氏の農夫ファゼーロをどこにかくしたか。」
「農夫のファゼーロ?」わたくしは首をひねりました。
「農夫だ。十六歳以上は子どもでも農夫だ。」警部は面倒くささうに云ひました。


☆仁(博愛や同情の心)を訓(おしえ導く)詞(言葉)である。
 脳(中心)は普く濃(こまやかな)符(記号)を須(必要)とし、納める二つである。
 重ねて録/文字に書き記し、再び委(すみずみまで)の証(うらづけ)の詞(おとば)を納める譜(物事を系統的に書き記したもの)である。
 系(つながり)も無く、綿(細く長くつづく)として套(おおい)運/めぐらせている。

『城』1544。

2014-02-23 06:08:36 | カフカ覚書
「なぜ自分が尋問を受けなくてはならないのか、どうして冗談ごとや役所の気まぐれにしたがわなくてはいけないのか、わたしには納得がいきませんのでね。もしかしたら、このつぎには、こちらもおなじように冗談か気まぐれで尋問に応じるかもしれませんが、きょうのところはいやですな」


☆なぜ自分が尋問を受けなくてはならないのか、先祖の究極の死を定めなくてはならないのか、もしかしたら先祖の死も同じような空間で応じているかもしれませんが、現今ではありません。

わたしを外に連れてって!

2014-02-22 06:51:06 | 日常
 ひどく疲れている。雪かきや料理講習など不慣れなことをしたせいかもしれない。通常使わない筋肉や神経を使う、こんな些細なことで疲労感に襲われるなんて・・・ああ、ぐったり。

 けれど、使っていない機械の埃を払い乱調ながらも動かしてみることは大切である。物置に放置され、やがては廃棄物として捨て去られる運命・・・わたしの身体機能もそうしたものかもしれない。
 忘れられ眠ったまま二度と呼び覚まされることのない神経、どんどんルーズになっていく生活習慣を思うにつけ、昔の自分に戻りたいと望む。一種のリハビリ、メンテナンスの感覚である。

 
 恐れている身体能力の減退、劣化。それをなんとか食い止める策としてのイベント参加。デパ地下の試食で食いつないでいるような妙な気分もしなくもない。美術に関心が薄いのに美術館のイベントだけお祭り気分で参加してもいいものか、など多少後ろめたい気持はある。

 浦島太郎ではないけれど、気がついたときにはすでに老境・・・小心者だけど厚顔の仮面を被ってどこへでも出かけてみようと自分を叱咤激励している。
 元気に乗り切れるかな、不安だけど健康維持にもつながると信じて出掛けることを心掛けたい!

『ポラーノの広場』247。

2014-02-22 06:36:50 | 宮沢賢治
「職業、官吏、位階十八等官、年齢、本籍、現在、この通りかね。」警部はわたくしの名やいろいろ書いた書類を示しました。


☆拭(汚れを取る)行(修行)を貫く理(物事の筋道)の意は皆(全て)自由である。永遠の等(平等)を歓(よろこぶ)念(気持)の霊(死者の魂)。
 翻(形を変えてうつし)析(事柄を明らかにする)ことが元(根本)である。
 自由に二つの糸(つながり)を分ける妙(不思議)、緒(いとぐち)は、諸(もろもろ)の累(次々重なる)の字である。