続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮『Ⅰ-5-8 振動尺試作 Ⅱ』

2015-09-15 06:48:36 | 美術ノート
 形態としては角柱の物が台座の上に横に置かれ、片側は斜めに切り落とされ、小さな四角の突起が幾つか覗いている。もう片側は垂直に切り落とされた面である。
 等しく刻まれた線状が多数見え、その前後には台座に固定するべく抑えがある。


 刻みの線状は、時間に見える、なぜなら等しい間隔を保っているからで、この四次元空間においては時間に収縮はない。
 抑えの危惧は台座から伸びているように見え、振動尺をしっかり固定するかの鋲が打たれている。
 台座は地面、地表面と見ていいと思う。
『Ⅰ-5-1~7』の円柱に対し、こちらは角柱である。その差異は何だろう、円柱は自然体であり、角柱は張りつめた神経を思わせる。片側に見える突起も、どこか精神のアンバランス(不安定状態)を暗示しているような気がする。
 重さに関して言えば、それなりの重量感はあるが、よく見ると少々浮いている…では、あの前後の抑え金は、振動尺を飛躍させないためのものなのだろうか。

 

 どう見てもこの物は、地表面にしっかり固定されているように見えるが、単に見せかけであって、振動尺そのものは自由な飛躍を求めているのかもしれない。しかし、重力下の法則はそれを許可しない。
 時間と空間は常に視界を制約する。自然を含む対象と自分との距離は、法則の下での変容であって精神的な飛躍を受け入れない。

 しかし、作家は微妙な空気の揺れ(振動)を感じる。単調ではない空気圧、見えないものの形に執拗に迫る感性。観念的に見過ごせる空気感に時間をくみ取る感覚、それも存在の根源に迫る願望をもっての眼差しである。

 これらの試作にはドラマチックな感動が潜んでいる。


(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)

『銀河鉄道の夜』79。

2015-09-15 06:39:27 | 宮沢賢治
けれどもジョバンニは、いつかまた深く首を垂れて、そこらのにぎやかさとはまるでちがったことを考へながら、牛乳屋の方へ急ぐのでした。


☆真(本当)の趣(志すところ)を推しはかる講(はなし)である。
 語(ことば)を新たに憶(思いめぐらす)法(やり方)で究(つきつめていく)。

『城」2084。

2015-09-15 06:24:02 | カフカ覚書
しかし、Kは、いそいでけrなくてはならないという考えにてず圧迫され、アマーリアの視線に見られると気持ちが落ち着かないので、ためらうことなくいっさいのお世辞を抜きにして、今の招待はまったく刈るはずみにただ自分の個人的な感情のまま口にしてしまったもので、残念ながら、ぜひともこの約束を実行するというわけにはいかない。


☆しかしながら、Kは常に少なからず別れを急がされる考えに圧迫され、気持ちが不安だったが、アマーリア(作り話/マリア)の視線に導かれ、ためらうことなくさらに婉曲に先祖の告白をした。先祖の事柄は完全に軽率であったが、ただ自分の個人的な感情を申し述べ、残念ではあるが、毅然として屈しないわけにはいかない。

若林奮『Ⅰ-5-1~7・振動尺試作』

2015-09-14 07:09:08 | 美術ノート
 棒状の物体。重なり合ったり、曲っていたり、波状の刻みが在ったり、円柱は正円・楕円それぞれで、途中ひっかけるような結び目もある。全て近似的だけれど、差異は明確である。


 これらが、振動尺であるという。
 作家は対象との距離感を常に測っている。精神的ともいえる視覚の変動/揺れを意識し続ける故に、視覚における脳波や心拍の鼓動を、敏感に把握しようと試みたのだと思う。
 つまり、見えないもの(空間)の計測である。確かに在るに違いないが見えないものの振動である揺れ動く事象を現象として捉え、物理的に見えるものとして具象化しようと試みている。


 昨今のニュートリノなど物理学の分野では振動は研究対象である。ただ日常生活において見えない振動に反応する感覚は希薄だと思う。
 しかし、この作家固有の独特な鋭敏な眼差しによる対象物(自然界)との対峙に、振動尺(振動の一単位)という新たな手法が不可欠になったのは必然かもしれない。

 要するに振動という現象は、単一ではない。けれど、各々時間という絶対条件の中ではほぼ同一の長さとして認識できるのではないか、という条件を前提にしている。
 試行は思考である。

 《宇宙の星が球体であるように、精神世界の圧縮された振動の形もそれに近似し、時間という一方向の長さの単位が加わると、このような形態として提示できるのではないか》
 作家の思考回路には振動尺という計測法が必携だったのだと思われる。


(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)

『銀河鉄道の夜』78。

2015-09-14 06:08:59 | 宮沢賢治
子どもらは、みんな新しい折のついた着物を着て、星めぐりの口笛を吹いたり、
「ケンタウルス、露をふらせ。」と叫んで走ったり、青いマグネシアの花火を燃やしたりして、たのしさうに遊んでゐるのでした。


☆詞(ことば)を審(正しいかどうかを明らかにし)接つなぐ)。
 鬼(死者)である仏を記(書き留める)。
 精(こころ)の講(はなし)に適(ふさわしい)粋(まじりけがない)路(すじみち)の教(神仏のおしえ)を総(あわせる)。
 照(あまねく光が当たる=平等)の価(ねうち)を加(その上に重ねる)。
 全(すべて)幽(死者の世界)である。


 ちなみに『銀河鉄道の夜』は『吟ずる講(はなし)は、徹(つらぬきとおす)同(平等)也』

『城』2083。

2015-09-14 05:48:25 | カフカ覚書
もちろん、そう言うなり自分でもびっくりして、言葉につまってしまった。ところが、アマーリアは、Kに言葉をはさむ隙も招待あたえずに、そのご招待をお受けいたしますと、すぐに言明した。こうなると、オルガも、仲間入りをせざるをえなくなり、招待を受けることにした。


☆現在、とは言うものの驚いて言葉に詰まってしまった。アマーリア(作り話/マリア)は、すぐに先祖の言葉なしで先祖の事件を受け入れてしまったと説明した。オルガ(機関/仲介者)も、引き続きそうした。

若林奮『1-4-p2《地表面の耐久性について》』

2015-09-13 06:46:04 | 美術ノート
 平らな鉄板が、規則的に打たれた鋲(ボルト)で地表に固定されている。一つの世界の寓意である。
 中心よりやや片側に寄った場所(左)に、先の円い円筒形の物が半円に足りない程度の具合で突出しており、表面にはやはり秒(ボルト)での固定が認められる。
 何を現わしているのだろう。
 建物らしき4棟はそれに引き寄せられるような角度で置かれている、その表面には規則的な線条痕がある。2棟は円柱形の物に接合している。
 右側の前後には側面を斜めに切った建屋がありに四角に切り取られた開口がある。その開口からは規則的な刻みのある4棟に等しい面を有した物が見える。


 これらの条件は何を意味しているのだろう。
 全体の設置位置は俯瞰、眺め下す形である。

 設置された物は、いかにも頑丈であり、破損のイメージは微塵もない。形成された都市の具現と言えなくもないが、印象はひどく機械的、人工的な造りであり、人間的な空気感が欠如している。
 円柱の半分ということは、内部が地下に隠れている事の暗示かもしれない。秘密や隠蔽の寂寞がある。


 しかし、よく見ると、ただこの世界は単に地表面に乗っているだけである。
 ボルトのイメージは定着、固定を意味するが、時代(地の揺れ/地震・水の流れ/洪水)にひとたまりもなく破損、崩壊されてしまうのではないか。

 見せかけの世界を提示している。
 刻まれた線状は時間、歴史を内包しており、強固に見える時代の脆さを作品化したのではないか。作家の皮肉、反抗心を持った静謐な眼差しの風景のように感じる。


(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)

『銀河鉄道の夜』77。

2015-09-13 06:30:41 | 宮沢賢治
 空気は澄みきって、まるで水のやうに通りや店の中を流れましたし、街頭はみなまっ青なもみや楢の枝で包まれ、電機会社の前の六本のプラタナスの木などは、中にたくさんの豆電燈がついて、ほんたうにそこrは人魚の都のやうに見えるのでした。


☆空(何もない)から基(根本)を透かして推しはかる。
 二つを伝える自由は流(形を成さないで終わる)我意である。
 套(おおわれている)照(あまねく光が当たる=平等)は秘(奥深くて計り知れない)思いの法(神仏の教えを伝える記である。
 戒(いましめ)の赦(罪や過ちを許す)全(すべて)の禄(幸い)を奔(思うままにする)。
 目(見つめて)注(明らかにし)択(良し悪しを見てみてよりだす)。
 太陽の等(平等)を伝え、問うことの仁(博愛や同情の心)を語(ことば)で図り、現わす。

『城』2082。

2015-09-13 06:24:37 | カフカ覚書
そして、話をいそいだあまりーすぐにも家へ帰りたいとおもったのだーついわれを忘れて、さようならという調子で、一度お訪ねくださいと、ふたりを招待してしまったほどであった。


☆話を急いだあまり、忘れていたが、すぐにも家(現世)へ帰りたいと望んだほどだった。このようなわけで、先祖との別れを仲間の先祖の事柄として先祖の汚点を見てください。