続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

鈴木しづ子(私的解釈)甘へるより。

2021-07-15 06:57:43 | 鈴木しづ子

   甘へるよりほかにすべなし夾竹桃

 清廉に見える花の樹の強力な毒、燃やした煙にさえ毒素があるという。この枝を箸にお弁当を食べて死亡した記事を読んだこともある。

 この木だけは触れてはいけない、まして甘えるなんて存外。でも、わたしの中の悲しみは愁いなどというロマンの域ではない。

 毒を以て毒を制すというが、治療のための優しい毒では効かないほどの地獄。何をもってしてもこの残酷なまでの泥沼と手を結ぶことはできない。幾重にも重なる絶望感にどん底まで突き落とされているこのわたしと手を睦び、心を許せるものは死に至らしめるほどの毒を有した夾竹桃しか見当たらない。

 ああ、夾竹桃、夾竹桃にならば・・・。


D『急速な裸体に囲まれた王と女王』2。

2021-07-15 06:21:02 | 美術ノート

 裸体と王と女王、この三体を画面に捜すと、それとなく三つに分類できるものを当てはめることができるような気がする。あくまでも、そう見ようとする譲歩である。

 タイトルと画面は通常であれば、同意であり、関連を意識させ、納得を促すものである。しかし、ここには大きな溝、亀裂、無があり、鑑賞者を本来の意味に導こうとする意図が隠されている。
 本来の意味とは、意味はないという決定であり、意味を捜そうとする観念の打破である。まず、意味を見出そうとする識者の眼差しを笑っている。細部に至るまでの綿密な描写は、よく見るとバラバラに解体すべく明確なつながりを見いだせない。関連付け連鎖しているように見せかけてあるだけであるが、連鎖は必須と思う先入観が恰も合体しているもののように受け入れてしまうのではないか。

 観念の解体、通念への冷静な眼差しである。王も女王も裸で生まれ裸で死んでいく急速(短い時間/瞬間)だと、傍観している。みんな同じであり、皆バラバラという程に違ってもいる…矛盾は自然であり、しかも同列であるというデュシャンの激しくも切実な詩が潜んでいる。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『国道の子供たち』24。

2021-07-15 06:12:51 | カフカ覚書

そして少年たちのひとりが両肘を両脇につけて、黒い足裏でぼくたちを跨いで、土手から道路に飛び出して行くと、ぼくたちはみな瞬きした。


☆そして先祖の傷痕を持つ若者のひとりが後ろへ下がることを検討すると、見えない足裏でわたしたちの上を追われて跳んで行くのを見たのは瞬きする間だった。


『飯島晴子』(私的解釈)荒谷の。

2021-07-14 07:20:17 | 飯島晴子

   荒谷の身におぼえなき白障子

 荒谷はコウ・コクと読んで、狡、告。
 身にぼえなき(身覚無)はシン・カク・ムと読んで、審、確、務。
 白障子はハク・ショウ・シと読んで、白、肖、詩。
☆狡いという告(訴え)があった。審8ただしいかどうかをつまびらかにし)確かめる務めを白(申し上げ)。肖(似せて作る)詩(うた)がある。

 荒谷はコウ・コクと読んで、講、告。
 身におぼえなき(身覚無)はシン・カク・ムと読んで、真、書く、謀。
 白障子はハク・ショウ・シと読んで、博、章、詞
☆講(話)を告げ、真を書く。
 謀(はかりごと)が博(大きく広がる)章の詞(言葉)がある。

 荒谷はコウ・コクと読んで、洪、哭。
 身におぼえなき(身覚無)はシン・カク・ムと読んで、浸、覚、夢。
 白障子はハク・ショウ・シと読んで、迫、笑、止。
☆洪(大水)に哭(大声で嘆き悲しむ)。
 浸(水がしみ込み)、覚(目が覚める)夢で迫(苦しんだ)。
 笑止(気の毒であり、ばかばかしくて笑ってしまう)である。打止め打止め

 荒谷はコウ・コクと読んで、広、告。
 身におぼえなき(身覚無)はシン・カク・ムと読んで、審、確、務。
 白障子はハク・ショウ・シと読んで、白、照、試。
☆広告を審(正しいかどうかを明らかにし)確かめる務めを白(申し上げる)。
 照(てらしあわせること)を試みる。


D『急速な裸体に囲まれた王と女王』

2021-07-14 06:48:13 | 美術ノート

   『急速な裸体に囲まれた王と女王』

 急速な裸体という描写はなく、不条理という前に構成が成り立たないが、この有り得ない時空が狙いの作品である。王と女王がこの有り得ない時空に囲まれているという言明不可を重ねている。
 そしてこのタイトルの等しく描かれたらしい作品を見ると、やはり不明である。混沌…この中の何がタイトルに等しい意味を持ちうるのか、考えるまでもなく考えることを拒否、否定されるような不明がある。

 いかにも・・・強引に結びつけようとすれば《記号》のように解体された破片に意味(『急速な裸体に囲まれた王と女王』)を重ねることも可能かもしれない。(かもしれない)というだけであって経験上の情報である知識とは合致しない。

 王と女王を囲む裸体は誰か? 従属の家来を想起させるがそんな説明はなく、勝手に思い描く(脳)が潜在し、掠めるかもしれない。裸の家来、ならば王と女王も裸であり見分けはつかない。上も下もないことを作品は嗤っている。

 第一、空間そのものが偽空間(二次元)であって、総ては霧消する。意味の崩壊、制度の破壊、世界への挑戦状であるこの作品は、みなすべからく裸体であり、所有はなく、急速としか思えない生の時間を比喩したものに違いない。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『国道の子供たち』』23。

2021-07-14 06:16:47 | カフカ覚書

 壕のいちばん深いところで、身体を、とりわけ膝を思いきり伸ばして眠ったら、とはまだ誰も考えずに、泣きたいような気がしながら、病気になったように仰向けに転がっていた。


☆まさしく墓穴を掘り、膝を大きく伸ばして永眠したらと、泣くこともなく、悩みながら空想に興奮していた。


『飯島晴子』(私的解釈)樹のそばの。

2021-07-13 07:20:35 | 飯島晴子

   樹のそばの現世や鶴の胸うごき

 樹のそばの(樹傍)はジュ・ボウと読んで、呪、暴。
 現世はゲン・セイと読んで、言、凄。
 鶴の胸うごき(鶴胸動)はカク・キョウ・ドウと読んで、嚇、況、撞。
☆呪(のろう)暴(不当な)言(言葉)に凄(ぞっとする)。
 嚇(おどす)況(ありさま)を撞(たたく)。

 樹のそばの(樹傍)はジュ・ボウと読んで、需、謀。
 現世はゲン・セイと読んで、幻、整。
 鶴の胸うごき(鶴胸動)はカク・キョウ・ドウと読んで、覚、胸、道。
☆需(必要とする)謀(はかりごと)は幻(まぼろし)である。
 整えると、覚(感知する)胸(心のなか)の道(すじみち)がある。

 樹のそばの(樹傍)はジュ・ボウと読んで、授、貌。
 現世はゲン・セイと読んで、厳、清。
 鶴の胸うごき(鶴胸動)はカク・キョウ・ドウと読んで、較、狂、導。
☆授(さずかった)貌(顔かたち)は厳(おごそか)で清い。
 較(くらべること)は狂(こっけい)である、と導く。

 樹のそばの(樹傍)はキ・ボウと読んで、希、望。
 現世はゲン・セイと読んで、言、正。
 鶴の胸うごき(鶴胸動)はカク・キョウ・ドウと読んで、確、協、道。
☆希望を言うと、正確に協(調子をまとめること)が道(当然の道筋/ことわり)である。


鈴木しづ子(私的解釈)梅雨の葉よ。

2021-07-13 07:00:26 | 鈴木しづ子

   梅雨の葉よ嘆かるる身の常にして

 梅雨の葉、街全体は雨に煙り沈んでいる。
 雨、雨、雨の日々は街の活気を奪い、人々の足を留め、嘆きの声すら聞こえる。

 でも、ふと目にした木々の葉、濡れているからこそ美しく輝く活性、秘かな華やぎがある。ああ、父母身内に、それとなくいつも非難めく嘆きを受けているわたしの日常にも、秘かに自分を主張できる時の間があるやもしれない。


D『汽車の中の悲しめる青年』

2021-07-13 06:24:34 | 美術ノート

   『汽車の中の悲しめる青年』

 暗い茶褐色のモノトーンである。仮にこれを人体(青年)と認めるなら、その頭部は垂れている、下に傾いていることで、悲しみを納得させている。
 見かけ、仮象、思いこみ、データから推しはかる悲しみのポーズ、彩色は確かに悲しみに一致するかもしれない。
 汽車の中、刻々と場所を移動していく時空は、青年を包んでいる。青年はこの因果から逃れられず、時間は喜怒哀楽を猶予しない。

 板状の物、ラフスケッチのような動きと面は、青年とタイトルしなければ青年を想起させることは困難である。《言葉と映像》は簡単に結びつき有り得ない組み合わせを決定づける。
 ゆえに、『汽車の中の悲しめる青年』は、個々ほとんど似たような感想をもって思い描くはずである。
 しかし、画像(作品)はタイトルに媚を売らず無関係である、にもかかわらず、鑑賞者のほうが言葉と画像のギャップを埋める心理に陥るのである。

 作家はこのギャップ・通念に疑問を感じ、この作品を提示したのではないか。明らかに関係づけられない対象を言葉をもって簡単に意味づけられ関係性を成立させてしまう教育された脳、観念に一石を投じたものであり、苦笑、あるいは憤怒をもって悲しみを差し出したのである。


『国道の子供たち』22。

2021-07-13 06:12:31 | カフカ覚書

たしかに誰かがもういちど顎を突き出して跳ね起きたが、それもじつはもっと深いところへ落ちたくてのことだった。するとみんなは、両腕を斜め前にのばし膝を折り曲げて空中に飛び込み、つぎつぎに壕の深いところへ深いところへと落ちて行った。そして誰もやめようとしなかった。


☆なるほど誰かが水平線を高く上げるために全力を尽くした。先祖の傷痕をさらに深いところへ落とすためだった。すると、みんなは司法(正義)の力で悪意を非難し、再び死を深くに落とした、そして誰もそれを絶対に終わらせようとしなかった。