続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『水仙月の四日』8。

2021-09-15 06:43:47 | 宮沢賢治

こいつらは人の眼には見えないのですが、一ぺん風に狂い出すと、大地のはづれの雪の上から、すぐぼやぼやの雪雲をふんで、空をかけまはりもするのです。

 風に狂う…風はフと読んで、腑。狂はキョウと読んで、供。
 台地のはづれの雪の上…台地はダイチと読んで、大智、雪の上…説(話)の定(そのとおり/心を集中させること)。
 雪雲…説(話)。雲はウンと読んで、薀。
☆こいつら(大神)は人の眼には見えないのですが、一ぺん腑(心の中)を供(差し出す)と、大智(仏の知恵)により定(その通り)に、薀(奥義)を踏まえて、空中を駆けまわりもするのです。


『飯島晴子』(私的解釈)白味噌の。

2021-09-14 07:35:24 | 飯島晴子

   白味噌の甕の中ゆく旅人や

 白味噌はハク・ミ・ソと読んで、迫、三、組。
 甕の中ゆく(甕中行)はオウ・チュウ・コウと読んで、応、注、講。
 旅人はリョ・ジンと読んで、慮、尽。
☆迫(苦しめる)三つの組(組み合わせ)。
 応(他の動き、力に従って動かし)注(書き記す)講(話)を慮(あれこれ思いめぐらす)尽(ことごとく)。

 白味噌はハク・ミ・ソウと読んで、薄、(あれこれ思いめぐらす)(あれこれ思いめぐらす)(甕中行)はオウ・チュウ・アンと読んで、翁、衷、案。
 旅人はリョ・ジンと読んで、慮、人。
☆薄い眉の相の翁(老人)の衷(心の中)は、案(考え)を慮(あれこれ思いめぐらす)人である。

 白味噌はハク・ミ・ソと読んで、魄、魅、蘇。
 甕の中ゆく(甕中行)はオウ・チュウ・コウと読んで、往、衷、慌。
 旅人はリョ・ニンと読んで、旅、人。
☆魄(たましい)の魅(もののけ)は蘇(よみがえる)。
 往(人が死ぬ)衷(心の中)は慌(動揺し、狼狽える)旅人ではないか、きっと。
 

 


D『埃の栽培』

2021-09-14 07:07:08 | 美術ノート

   『埃の栽培』

 埃の栽培、埃は空中の塵芥が重力により地上に落下し留まっているものであり、人力によるものではなく、自然の摂理に従った結果の集合物に過ぎない。

 要するに栽培という人の意志の欠如したものである。降り積もった埃を見て、美を認める者はいないが、過去の時間というものに思いを馳せるかもしれない。
 確かに降り積もる埃には時間の集積がある、ただそれは計ることを拒むものであり困難な作業を伴う。風で舞い上がることもあり、空中の微塵は目に見えないからである。

 偶然であって必然ではない現象であり、偶然ではあるが必然的な結果をもたらすものでもある。そして『埃の栽培』は人為を必要とせず、待つという未来の時間を想定するものである。経験上、人はそれを知っているが待つという奇特な人をわたしは知らない。
『埃の栽培』は《無為》の証明である。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『水仙月の四日』7。

2021-09-14 06:44:14 | 宮沢賢治

 二疋の雪狼が、べろべろまつ赤な舌を吐きながら、象の頭のかたちをした、雪丘の上の方をあるいていました。

 二疋…二はジと読んで慈(いつくしみ)、疋はヒキと読んで引き(力添え)。
 雪狼…雪はセツと読んで、説/お話、狼はオオカミと読んで、大神。
 赤い舌…赤はセキと読んで惜、舌は言葉。
 象の頭のかたち…象はショウと読んで招、頭はズと読んで図。
 雪丘…丘はキュウと読んで、救(救済)。
 上の方・・・ジョウホウと読んで定法(常法)。
☆慈しみの力添えである大神は惜しむ言葉で手招きし、救済の定法に従いました。


『飯島晴子』(私的解釈)火の中にゐる。

2021-09-13 07:20:39 | 飯島晴子

   火の中にゐる高齢の玉葱たち

 火の中にゐる(火中居)はカ・チュウ・キョと読んで、訛、抽、去。
 高齢はコウ・レイと読んで、行、礼。
 玉葱たち(玉葱達)はギョク・ソウ・タチと読んで、漁区、争、達。
☆訛(まちがい)を抽(抜き出し)去(なくす)行いは礼(人が守るべき正しい行い)である。
 漁区(量をすることが認められた区域)を争う達(意向を伝える)。

 火の中にゐる(火中居)はカ・チュウ・キョと読んで、化、注、拠。
 高齢はコウ・レイと読んで、交、例。
 玉葱たち(玉葱達)はギョク・ソウ・シツと読んで、玉、想、質。
☆化(形、性質を変えて別のものになる)を注(書き記す)拠(よりどころ)は、交わる例(たぐい)の玉(優れた)想(考え)の質(内容)である。

 火の中にゐる(火中居)はカ・チュウ・キョと読んで、過、誅、許。
 高齢はコウ・レイと読んで、慌、戻。
 玉葱たち(玉葱達)はギョク・ソウ・タツと読んで、漁区、艘、達。
☆過(あやまち)の誅(罪を責めとがめること)を許(認める)。
 慌(狼狽え)戻る漁区の艘(ふね)が達(複数)ある。


D『螺旋のある円盤』

2021-09-13 06:55:45 | 美術ノート

   『螺旋のある円盤』
 7枚の不ぞろいの紙製円盤が青色の紙製円盤の上に取り付けされ厚紙の上に固定されている。
 
 何の変哲もない円盤の集合である。それぞれが異なる様相の内容をもった紙製円盤、明らかに相違がある。
 螺旋は奥行き、世界を暗示している、それぞれの深さ、それぞれの世界を持つ紙製円盤である。それらが一つの厚紙(世界)に収まっている。

 違和感、一致の術がない。
 ただ回転という時空を起こせば、一つになることは容易に想像できる。
 それぞれも個々回転すれば平面と化す。
 それぞれを固定した厚紙を回転させれば、それぞれは一枚の円形の平面になる。

 異なるものを回転(エネルギー)をもってすれば一つに融合することが可能であり、異なることと、同じ(画一的)になることは、こんなにも滑らかな共有を見せる。見ること、視覚の変移は時空を揺り動かしている。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『水仙月の四日』6。

2021-09-13 06:37:06 | 宮沢賢治

 お日さまは、空のずうつと遠くのすきとほつたつめたいとこで、まばゆい白い火を、どしどしお焚きなさいます。
 その光はまつすぐ四方に発射し、下の方に落ちてきては、ひつそりした台地の雪を、いちめんまばゆい雪花石膏の板にしました。

 白い火…ハク・カと読んで、魄、過。
 四方は死亡。
 下の方…カホウと読んで果報/前世における善悪の行いが原因となってその結果として現世で受ける報い)
 台地…大智(非常に優れた知恵/仏の知恵)
 雪花石膏…セツ・カ・セッコウと読んで、説、化、拙稿。
 板はバンと読んで、挽。
☆お日さま(太陽)は、魄(たましい)の過(罪・咎)をどしどし燃やします。
 その光は死亡(死人)に向けられ、果報を落としてはひっそりとした大地(仏の知恵)で説(物語/話)である化(形、性質を変えて別のものになる)の拙稿で挽(人の死を悼みました)。


『飯島晴子』(私的解釈)男らの。

2021-09-12 06:14:39 | 飯島晴子

   男らの紅く飼はるる裏山あり

 男ら(男等)はダン・トウと読んで、団、陶。
 紅く飼はるるはコウ・シと読んで、工、氏。
 裏山あり(裏山有)はリ・サン・ユウと読んで、離、散、憂。
☆団(団体)は陶工の士(一定の資格を持った人)の離散を憂いている。

 男ら(男等)はダン・トウと読んで、男等。
 紅く飼はるるはコウ・シと読んで、荒、私。
 裏山あり(裏山有)はリ、セン・ユウと読んで、利、千、有。
☆男等の荒(でたらめな)私利(自分だけの利益)が千(たくさん)有る。

 男ら(男等)はナン・トウと読んで、南、東。
 紅く飼はるるはコウ・シと読んで、光、視 
 裏山あり(裏山有)はリ・サン・ユウと読んで、璃、燦、有。
☆南東の光を視(気をつけてみると)璃(宝石のような)燦(煌めき)が有る。

 男らの(男等)はダン・トウと読んで、暖、冬。
 紅く飼うはるるはコウ・シと読んで、乞う、私。
 裏山あり(裏山有)はリ・サン・ユウと読んで、罹、惨、有。
☆暖冬を乞う(願う)。
 私には罹(病気にかかる/風邪をひく)惨めが有る。


『飯島晴子』(私的解釈)草冥く。

2021-09-11 06:51:42 | 飯島晴子

   草冥く人太りつゝ風が吹く

 草冥くはソウ・メイと読んで、葬、瞑。
 人太りつゝはニン・タと読んで、忍、耐。
 風が吹くはフ・スイと読んで、腑、悴。
☆葬(死者を葬る儀式)で瞑(目を閉じ)忍(しのび)耐えたが、腑(心の中)は悴(やつれてしまった)。

 草冥くはソウ・メイと読んで、壮、明。
 人太りつゝはニン・タイと読んで、認、態
 風が吹くはフ・スイと読んで、父、粋。
☆壮(男らしく)明るいと認める態(様子)。
 父には粋があった。

 草冥くはソウ・メイと読んで、窓、明。
 人太りつゝはジン・タと読んで、尽、多。
 風が吹くはフウ・スイと読んで、封、睡。
☆窓の明かりが尽(すべてなくなった)。
 多くは封(閉じて)睡(眠ったらしい)。


『飯島晴子』(私的解釈)雉子山に。

2021-09-10 07:15:49 | 飯島晴子

   雉子山に逢ふ朝雨の人なりし

 雉子山はジ・シ・サンと読んで、自、死、惨。
 逢ふ朝はホウ・チョウと読んで、放、長。
 雨の人はウ・ジンと読んで、迂、尋。
☆自死は惨めである。
 放(送り出す)長(年長の人)は迂(遠回り)に尋(聞きただす)。

 雉子山はジ・シ・サンと読んで、慈、姿、産。
 逢ふ朝はホウ・チョウと読んで、朋、眺。
 雨の人はウ・シンと読んで、有、心。
☆慈(いつくしむ)姿の産(子供を産んだ)朋(友達)を眺めると、有心(情緒)がある。

 雉子山はジ・シ・サンと読んで、寺、祠。
 逢ふ朝はホウ・チョウと読んで、宝、彫。
 雨の人はウ・シンと読んで、烏、神。
☆寺の祠にも燦(きらきら光る)宝の彫(彫り物)の烏(カラス)の神がある。

※明治新政府は神仏分離令により寺と神社の区別がつけられたが、神仏混合時代の名残は完全には失われていない。
烏…八咫烏は太陽の中に棲む霊力を持つ烏)