続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

M『嵐の装い』2.

2021-10-27 06:38:11 | 美術ノート

 幾つかの人型に刻んだ切り紙細工模様、よく見ると同じ平面のものを切ったのではなく、それぞれ異なる模様である。模様は一点を軸にどこまでも連鎖を可能にする模様(形)であり、無限を内包していると思う。
 つまり、肉体を失った人型、霊(精神)である。

 この場所は光がさしており、両脇に壁のような仕切りがあるが、上方や前後の空間には遮蔽がないと思われる。仕切りは何を意味しているのだろう…同族だろうか。
『嵐の装い』・・・華美に着飾っているのだろうか、現世の基準は当たらない世界かもしれない。

 嵐、荒天の海(現世)を見ているような配置である。
 冥界では常に現世の嵐などお見通しなのだろうか、しかし、「装い」とあるから儀礼を尽くし尊いものとして照覧しているのかもしれない。

 声を上げることも、手を差し伸べることもできない隔絶された現世を、来世の側から描いている。難破船の災害、悲劇は玩具の小ささであり、どんな苦しみも乗り越えられぬものではなく、もし命を落とすようならば、喜んでこちらに迎えようと。

『嵐の装い』とは難破船での命の喪失を、「こちら(来世)では礼を尽くし、美しく着飾ってお迎えいたしましょう」という光景ではないか。

 写真は『マグリット』展・図録より


『水仙月の四日』35。

2021-10-27 06:22:50 | 宮沢賢治

雪童子は革むちをわきにはさんで耳をすましました。
「ひゆう、ひゆう、なまけちや承知しないよ。降らすんだよ、降らすんだよ。さあ、ひゆう。今日は水仙月の四日だよ。ひゆう、ひゆう、ひゆう、ひゆうひゆう。」

 わきにはさんで(脇挟)はキョウ・キョウと読んで、経、教。
 なまけちや(怠)はタイと読んで、他意。
 ひゆう(非有)→存在を消す、無にする。
 降らすはコウと読んで、乞う(願う)。

☆死の導師は無の覚(悟り)を経(経典)の仏の教えとして耳をすましました。
「存在を消すんだよ、無になるんだ!存在を消すんだよ、無になるんだ!、他意はいけないよ、願うんだよ、願うんだよ。今日は水仙の咲く時期の四日の月だよ。(特別な時空のありがたい秘だよ。存在を消して、無になるんだよ!無になるんだよ!・・・」


『飯島晴子』(私的解釈)栗の木や。

2021-10-26 07:06:23 | 飯島晴子

   栗の木やふかく心身挟まれつ

 栗の木はリツ・ボクと読んで、慄、僕。
 ふかく心身(深心身)はシン・シン・シンと読んで、身、震、浸。
 挟まれつはキョウと読んで、怯。
☆慄(おそれおののき)撲(わたくし)の身(からだ)が震えるのは浸(浸水)に怯むから。

 栗の木はリツ・モクと読んで、律、目。
 ふかく心身(深心身)はシン・シン・シンと読んで、審、進、慎。
 挟まれつはキョウと読んで、教。
☆律(きまり)の目(ねらい)は審(正しいかどうかを明らかにする)と進(申し上げる)。
 慎(過ちのないように気を配る)教えである。

 栗の木はリツ・モクと読んで、慄、黙。
 ふかく心身(深心身)はシン・シン・シンと読んで、辛、親、診。
 挟まれつはキョウと読んで、今日。
☆慄れて黙る辛い親の診(病状を調べる)今日である。

 栗の木はリツ・モクと読んで、慄、黙。
 ふかく心身(深心身)はシン・シン・シンと読んで、真、駸、駸。
 挟まれるはキョウと読んで、驚。
☆慄(恐れ戦く)撲(わたくし)、真(本当)に駸駸(時間や物事が急速に進むさま)に驚いている。


M『嵐の装い』

2021-10-26 06:44:18 | 美術ノート

   『嵐の装い』

 切り紙細工のような人型が複数立っている。漆黒の空、海は大荒れで難破船が見える。
 この手前の空間(景色)はどこだろう、少なくとも現実(現世)ではない。
 大荒れの大海と手前の景色には相当な隔たりがあり、しかもどこでどんな風につながっているのか、あるいは切り離されたものであるのか。
 光源は手前にあり、人型に影を作っている。
 この人型は海(難破船)を見ているのだろうか、あるいは無関係に背を向けているのかは分からないが、難破船を見ていると思うことが心理的に順当ではないか。

 現世の荒波、苦海(苦界)を見つめる来世(冥府)の霊(人の姿を失った魂)、亡霊である。
 現世に生きるマグリットが、異世界(来世)の方から自分(現世)を覗き描いた…客観的な風景である。

 写真は『マグリット』展・図録より


『水仙月の四日』34。

2021-10-26 06:23:26 | 宮沢賢治

 雪童子の瞳はちよつとをかしく燃えました。しばらくたちどまつて考へてゐましたがいきなり烈しく鞭をふつてそつちへ走つたのです。

 瞳はドウと読んで、道(神仏の教え)
 鞭はベンと読んで、弁(ものを言う、話す)
☆死の導師の神仏の教えに火が付きました。しばらく立ち止まって考えていましたが、いきなり烈しく言葉を放ってそっちへ走ったのです。

 けれどもそれは方角がちがつてゐたらしく雪童子はずうつと南の方の黒い松山にぶつかりました。

 方角はホウ・カクと読んで、法、覚。
 ちがつて(違)イと読んで、意。
 松山はショウ・サンと読んで、照、Sun。
☆けれどもそれは法の覚りの意であり、死の導師はずうっと南の方の照(あまねく光が当たる=平等)であるSun(太陽)にぶつかりました。


『飯島晴子』(私的解釈)野葡萄の。

2021-10-25 07:24:32 | 飯島晴子

   野葡萄の野をついてくる顔ひとつ

 野葡萄はヤ・ブ・ドウと読んで、爺、侮、童。
 野をついてくる(野付来)はヤ・フ・ライと読んで、耶、風、磊。
 顔ひとつ(顔一)はゲン・イツと読んで、厳、逸。
☆爺を侮(あなどる)童(こども)耶(詠嘆)。
 風(すがた)は磊(小さなことにこだわらない)が、厳(おごそかで犯しがたいもの)が逸(隠れている)。

 野葡萄はヤ・ホ・ドウと読んで、屋、保、道。
 野をついてくる(野付来)はヤ・フ・ライと読んで、也、風、来。
 顔ひとつ(顔一)はガン・イチと読んで、眼、一。
☆屋(建物)を保(持ち続ける)道(方法)也。
 風(かぜ、空気)を来たす眼(かなめ)が一(いちばん)である。(換気)

 野葡萄はノ・ブ・ドウと読んで、野、部、同。
 野をついてくる(野付来)はヤ・フ・ライと読んで、也、附、頼。
 顔ひとつ(顔一)はゲン・イチと読んで、限、位置。
☆野を部(区分けし)同(等しくする)也。
 附(印をつけること)に頼る限(区切り)の位置がある。


M『喜劇の精神』4.

2021-10-25 07:00:35 | 美術ノート

『喜劇の精神』であり、喜劇役者ではない。
 精神の具象化、穴の開いた薄い紙きれのように所在ない存在である。しかし、穴の様子を見ると、四方八方延々続く連鎖を成している切込み模様であり、これは無限の世界観、広がりを意味する。換言すれば限りなく《無》でもある。

 きちんと切り込まれた形に崩れはない、精神の緊張は毅然としてを許さない。
 人型、人間の形を保っているが内実は血肉を放棄し、薄っぺらい紙の仮装して可笑しみを演じている。
 危うい足元、常に危機感を抱いている。笑われることの蔑みに堪え、全身を力に変えて観客の前に立っている。フラットな背景、地盤は精神のカラーであり、常に地味に自分を抑えて均衡を保っている。勾配のある坂を何事もないような顔で直立して演じる猛烈なエネルギー、喜劇の精神は腹を抱えて笑う観客の前で平然と対峙している。

 高みからの眼差し、貶められるかの姿態、漂う哀愁・・・この時空を演出する喜劇の精神は生活の糧でもある。

 写真は『マグリット』展・図録より


『水仙月の四日』33。

2021-10-25 06:31:41 | 宮沢賢治

もうどこが丘だか雪けむりだか空だかさへもわからなかつたのです。聞こえるものは雪婆んごのあちこち行つたり来たりして叫ぶ声、お互の革鞭の音、それからいまは雪の中をかけあるく九疋の雪狼どもの息の音ばかり、そのなかから雪童子はふと、風にけされて泣いてゐるさつきの子供の声をききました。

 丘はキュウと読んで、救。
 雪けむり(雪煙)はセツ・エンと読んで、折(死)に援(引き入れる)。
 空は無。
 雪婆んごは、雪(死)の場、空間。月は雪婆んごの仮装。
 九疋はキュウ・ヒキと読んで、救いを引く力。

☆救いなのか、死に引き入れる力なのか、無なのかさえもわからない究極の混沌。
 この中を死の場、空間が渦を巻くように激動している。
 お互いの革むち(カクと読んで、覚(悟り)の鞭の音、雪(死)のなかをかけあるく救いを引き起こす力の大神たちの切ない声ばかり。
 そのなかから雪童子(死の導師)は風(教え)に諭されて泣いている子供(死の境にいる人)の声をききました。


『飯島晴子』(私的解釈)田の奥に。

2021-10-24 06:34:05 | 飯島晴子

   田の奥に鶴ゐて凶悪なる袂

※田んぼの奥のほうに鶴がいる。郷(村里)の渥(潤いがある)袂(たもと)の景である。

 田の奥はデン・オウと読んで、田、黄。
 鶴ゐて(鶴居)はカク・キョと読んで、穫、挙。
 凶悪なる袂はキョウ・アク・ベイと読んで、供、握、米。
☆田の黄(きいろ)を穫(取り入れる/収穫する)挙(仕事)、供(そなえる)のは、握(手に収めた)米である。

 田の奥はデン・オウと読んで、鮎、追。
 鶴ゐて(鶴居)はカク・キョと読んで、穫、炬。
 凶悪なる袂はキョウ・アク・ベイと読んで、饗、空く、皿。
☆鮎を追い穫(捕らえる)。
 炬(焼いて)饗(もてなす)と空く皿になる。

 田の奥はデン・オウと読んで、伝、往。
 鶴ゐて(鶴居)はカク・キョと読んで、核、巨。
 凶悪なる袂はキョウ・アク・ベイと読んで、脅、悪、米。
☆伝えられる往(人の死)は、核の巨(大きな)脅(おどし)であり、悪いのは米(アメリカ)である。


『飯島晴子』(私的解釈)妙筆や。

2021-10-23 06:55:31 | 飯島晴子

   妙筆や葡萄の丘を抜けてゆく

 妙筆はミョウ・ヒツと読んで、命、必。
 葡萄の丘はブ・ドウ・キュウと読んで、無、道、杞憂。
 抜けてゆく(抜行)はバツ・コウと読んで、罰、向。
☆命には必ず無になる道(みちすじ)がある。
 杞憂(取り越し苦労)を罰(こらしめ)、向(向かっていくこと)である。

 妙筆はメイ・ヒツと読んで、冥、謐。
 葡萄の丘はホ・トウ・キュウと読んで、保、等、久。
 抜けてゆく(抜行)はバツ・コウと読んで、末、弘。
☆冥(死後の世界)は謐(音がしない、静か)を保(持ち続け)、等(平等)である。久しく末は弘(広くて大きい)。

 妙筆はミョウ・ヒツと読んで、名、必。
 葡萄の丘はブ・ドウ・キュウと読んで、捕、動、杞憂。
 抜けてゆく(抜行)はバツ・コウと読んで、✖、考。
☆名(うわべ・評判)で必(必ずそうなると決まっている)と、捕(捉え)、動(心を動かす杞憂(無用の心配)は✖の考えである。