相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

大多喜の象徴「大多喜城天守閣」と「桜」

2019-04-10 10:46:52 | 城・城郭
大多喜は徳川四天王の一人「本多忠勝」が「大多喜城」を築城した歴史を持つ町である。久保、桜台、新丁地区には江戸時代から変わらぬ佇まいを残す建物、造り酒屋「豊の鶴酒造」や 国の重要文化財「渡辺家住宅」など今なお多数の町屋が保たれて「房総の小江戸」と言われて城下町の面影を今も色濃く残している。江戸時代から続く大多喜の象徴=シンボルといえば大多喜駅から徒歩約15分の小高い山に聳え建つ白亜の「大多喜城」(現在は千葉県立中央博物館)である。当博物館は「房総の城と城下町」を常設展のテーマとした歴史博物館で、房総の中世・近世の城郭とそれに関わる武器・武具や調度品・古文書及び武家社会や城下町の生活などに関する資料が展示されている。大多喜城へ向かう道路の桜回廊、場内は城を包み込むような桜ベールは美しい絵葉書のようである。(1904)










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国指定史跡で日本百名城の一つ「人吉城跡」

2017-12-01 18:14:29 | 城・城郭
熊本県人吉市麓町に鎌倉初期から幕末まで約700年に亘って人吉球磨地方を治めた相良家の居城「人吉城」はある。人吉城の歴史は長年この地を統治した相良氏の歴史でもあり、別名「繊月城」とか「三日月城」とも呼ばれ「日本百名城」にも数えられ人吉のシンボル、最大の観光名所である。人吉城の城郭構造は「梯郭式平山城」、元久年間(1204~1206)築城、明治4年(1871)廃城。球磨川を天然の外堀とした中世の山城の形態に水の手橋付近の「武者返し」といわれる石垣の跳ね出しの建築様式は他に類を見ない特徴から国指定史跡に指定されている。城の北側は球磨川、西側は胸川、東、南側は険しい山々に囲まれた難攻不落の自然の要塞であったが1862年の「寅助火事」により城は焼失した。現在は城址公園となり武者返しの石垣、大手門跡、水ノ手門跡、間米蔵跡、御下門跡、中御門跡、本丸跡、二の丸跡、三の丸跡、掘合門が残されている。お城のの広さは東京ドーム約4個分に相当する17haで球磨川河岸沿いに築かれた見事な石垣、苔むした登城道、城内の鬱蒼とした杉木立の自然の中に古の美しき城姿を思い描かせる不思議な魅力がある。(1711)












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震災後の熊本城は今!!

2017-11-09 12:12:37 | 城・城郭
日本三名城のひとつ「熊本城」は昨年4月に発生した「熊本震災」、震度6クラスの前震と本震の二回の地震によって大きな被害を受け痛々しいほどダメージを負ってしまった。美しく反り返り「武者返し」の石垣をはじめ、城内の石垣は約50箇所が崩れた。熊本市街が一望できる「天守閣」も大きな損傷を受けた。西南戦争を戦いぬき「強い城」のイメージを持つ熊本城もこの熊本震災には耐えきれなかった。変わり果てた城姿は熊本県民のみならず全国の人々の心を痛めた。あの震災から1年半、まずは大天守を優先し復旧作業が進められており2019年までに「大天守(天守閣)」の再建を目指している。長い歴史の中で悠然と建ち続け雄姿を見せてきた熊本城。地震により崩壊した城姿は痛々しいがこの現実も今しか見ることのできない姿でもある。熊本城を在りし日の姿に戻そうと懸命の復旧作業が進行していることに多くの人々を勇気づけるだろう。一部は観光できるようであるが全てが完成復旧するのに20年という途方もない時間とあわせ莫大な資金を必要としている。皆さまも支援、応援を!!(1711)






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日本100名城のひとつ、平戸のシンボル「平戸城」

2016-11-14 10:20:49 | 城・城郭
平戸は江戸時代松浦氏の城下町として栄えた異国情緒漂う港町、その平戸の海に突き出た山の上に建ちほぼどの角度からもその雄姿を拝むことができる平戸のシンボル「平戸城」はある。別名「亀岡城」と呼ばれる平戸城は元禄17年(1704)松浦家の城として築城が始まり、享保3年(1718)に完成した。天守閣からの眺望は素晴らしく、平戸瀬戸や市街地を見守る様に佇んでいる。城の構成は昭和37年(1962)復元された三層五階建の「天守閣(本丸)」、その周りには「乾櫓」、「狸櫓」、「地蔵坂櫓」、「懐柔櫓」、「見奏櫓」が囲んでおり、本丸のすぐそばには「亀岡神社」も鎮座している。内部には平戸藩ゆかりの鎧や刀、かくれキリシタンの品々も展示されている。山鹿流の軍学に沿って設計された珍しい平戸城は日本100名城にも選定されている。(1611)












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「小田原城と城址公園」の第45回梅まつり

2015-02-20 08:31:27 | 城・城郭
小田原市城内に難攻不落の城と言われた「小田原城」(築城は応永24年=1417)はある。戦国時代から江戸時代にかけの日本の城(平山城)で、北条氏の本拠地であった。江戸時代には小田原藩の藩庁があった。聳える天守閣は江戸時代に造られた雛型や引き図を基に昭和35年に鉄筋コンクリート造で再築され3重4階の天守に付櫓、渡櫓を付している。内部には甲冑・刀剣・絵図・古文書など小田原の歴史を伝える資料や武家文化に関わる資料などが展示されている。平成18年10月に「日本の歴史公園100選」に選ばれている「小田原城址公園」内には「天守閣」の入口と「二の丸広場」と「常盤木門」から「歴史見聞館」に亘って植えられている250本の梅の内早咲き終わったようだが遅咲きが紅や白の花びらを広げ咲いている。寒気の中、百花に先駆けて花咲く梅花を見ていると春はもうそこまで来ていることがわかる。「梅一輪一輪ほどの暖かさ」という句もある様に・・・・・。おりしも「小田原梅まつり」は3/1まで開催されている。(1502)


















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