相模原から「昭和橋」を渡った一帯は厚木市の「依知」と「猿ケ島」である。「猿ケ島」は2千年前までは相模川の中州であった。当時の相模川は暴れ川として有名。住民は着の身着のままサルのように逃れなければならない自分たちの姿を無念の思いで島を去る気持ちを重ね合わせ呼びならわすよう「猿ケ島」となった。猿ケ島スポーツセンター近くに猿ヶ島村の鎮守「猿ケ島熊野神社」は鎮座している。当社は天文10年(1541)に勧請したと伝えられている。明治維新までは真言宗として天文11年に創建した「本立寺」が別当寺を勤め、猿ヶ島村の鎮守として崇められていた。祭神は予母津事解男命、伊弉冊命、速玉男命の三柱である。猿ヶ島バス停から数十mほぼ稲田の中に「石鳥居」が構えられその正面に「社殿」が構えられている。樹木で覆われ静寂な境内に天神社、稲荷がある。(2209)





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