![]( http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/77/73dcf294d2ecd7b2c65e168ea547d7c7.jpg )
関西学院7-3酒田南に快勝
江嵜企画代表・Ken
「経済学」の原稿を朝一番で仕上げて、急いで甲子園に駆け付けた。最寄駅阪神「御影」から電車に乗れば20分で甲子園に着く。幸い試合開始の8時半まで40分近くあった。ところがお目当てのバックネット裏の中央特別自由席券売り場は長蛇の列だった。
試合開始の8時半まであと20分あったが、球場に入ると一塁側アルプススタンドは関西学院の応援団でびっしり詰まっていた。校章の新月が周りの藤色にかこまれて鮮やかに揺れていた。大声援が試合前から地なりの様な響きとなって席に着いたネット裏上段席まで届いた。大変な熱気でアルプス席から一塁側の席まで全てが関西学院の応援席のようだった。
朝日新聞朝刊は「見どころ」という欄に、「投手力に勝る酒田南が優位か」とし、「酒田南の左腕安井は山形大会5試合を1日1人で投げ切り、無失点」を理由に上げていた。ところが先取点をとったのは関西学院である。
球場のファンがおっと、唸ったのは、それまでスタンドでは好投していたかに見えた先発の新川選手が酒田南に3塁打を打たれた直後、あっさり引っ込め捕手の山崎裕貴選手にスイッチして後続2人をぴしゃりと抑えたことが第1の勝因と思われる。すごい監督だなとそのとき思った。
試合は二転三転した。とにかく関西学院は積極的にいい球がきたとみればバットを振った。結構初歩的な中継ミスやバント失敗もあった。しかし、入れられたあとすぐに追加点を奪った。これには感心した。兵庫大会決勝戦を明石球場で見たが、そのときもそうだった。
関西学院レフトの梅本選手にアクシデントがあった。代わりに出た安食(あんじき)選手が、8回表の攻撃で、ここで追加点が欲しいところでしかも2アウト2,3塁の走者一掃する二塁打を打って勝利をほぼ手中に収めたのは大きかった。
点を取られたあとにすぐに点をとること。2アウトになってまずいなおもったところでタイムリーが出る。これは相手チームにも大きなダメージを与える。試合の「見どころ」欄に書いた朝日の記者が次の関西学院の試合になんと書くか興味深い。
70年前、昭和14年(1939)の対戦相手は天津商(満州)だったと今朝の朝日新聞で知った。その年ノモハン事件が5月に起こり甲子園夏の大会直後の9月1日に第2次世界大戦がはじまった。 いつものように甲子園風景をスケッチした。午前10時5分に「ただいま満員になりました」と場内アナウンスがあった。試合後球場の外に出た。入れ換わり立ち替わり、続々と客がつめかけていた。球場の回りは祭り気分であった。
甲子園のグランドには魔物が住んでいると昔からよく言われる。初戦は突破したが難敵ぞろいである。関西学院の応援歌「新月旗の下に」が再び聞きけるように、一試m、k合一試合、無心で、頑張って欲しい。(了)