ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

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一心寺で考えたこと(講演風景)0001

2009-08-30 06:49:23 | スケッチ



一心寺で考えたこと(講演風景)0001

江嵜企画代表・Ken



ノボテル甲子園で母校同窓会が開かれ、一心寺管長で40回生卒業生の高口恭行氏の講演を聞いた。氏は大学では建築工学を学んだ。当然建築家を目指した。それがどうして坊さんになったのか。それにはエピソードがある。

一心寺の管長の娘さんと是非結婚したい。一人娘さんだったので坊主にならなければノーとなった。いろいろあったが、建前上、坊主になる勉強をした。その時点では坊主になるつもりなどさらさらなかった。ところがおやじさんが急死した。引っ込みがつかなくなり止むなく坊主になり今日に至ったと講演のあとの質疑応答で分かった。

配布されたパンフレットによれば、一心寺は、文治元年(1185)に,法然上人が当時、四天王寺の管長の慈円の招きでこの地を訪れたことにはじまる。上人は、いまの一心寺のあたりで難波の海に沈む壮麗な夕陽をご覧になり、「南無阿弥陀仏」と唱えられた。

一心寺は、遺骨で作られたお骨仏の寺としても良く知られている。明治20年に最初の一体が作られ、以後10年毎に一体作られている。一年に15,000から2万の骨箱が集まると高口氏は話しておられた。
  
死んだらどこに行くのかと弟子がお釈迦さまに尋ねたところ、釈迦は何も話されなかった。彼岸のお祭りは、中国、インド、韓国にもない。日本だけですと言われた。仏の世界とは、一心に南無阿弥陀仏と唱えるに尽きるのではないかと話を聞いていて改めて思った次第である。

講演のあと、2~3質問があった。「一部の仏教徒が映画「おくりびと」で遺体を見世物にしていると非難している、どう思われるか」と聞いた。高口氏は、「組織が自分の立場だけの考えで反対しているにすぎない。」と明快だった。千の風の歌詞もけしからんと言うひとがいる。自分は千の風は素晴らしい歌だと思うと答えられた。

高口氏は、「老い先短い人に話してもしょうがない。少しでも若い人と仏についていろいろ語りあえる場を作りたい。」と話された時、会場には共鳴する波動が流れた。「一心寺には毎日、大勢の人がお参りされる。しかし、大部分はお年寄りです」と話された。

坊さんのなり手がないという話も出た。「車を買ってやるからなんとか坊さんになってくれ、という親はおかしい。もっと賢い人に坊さんになって欲しい。今の風潮を何とかしないといけない。」と話された言葉が特に印象に残った。

語弊があるかもしれないが、月参りに来られる坊さんの話しに心打たれることがほとんどなくなった。それは坊さんご自身が自分を鍛錬するというか、真剣に勉強されないからだと思う。しかし、それは坊さんの世界に限らないのではないか。こつこつと日々、地道に勉強する人が、身の周りを見てもほとんどいなくなった。誠に残念でならない。

講演会場の様子をスケッチした。(了)

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