まともに水もやらないというのに朝顔は元気だ。庭には店買いの苗と種から育てた二種類ある。ともに連日の猛暑をものともせず、毎日、きれいな花をつけて喜ばせてくれる。このエネルギーはどこからきているのか。素人判断だが、全ては根から来ているに違いないと思っている。
種を小鉢に撒いて、7~8センチほどで植え替えたが、そのとき驚いたのは無数に延びた細い根だった。どんな大木でも、根は木の背丈ほどあるという。15年前の阪神・淡路大震災の時も、東西に走る国道2号線沿いの家屋の数多くは傾いたり倒壊していたが、沿道の銀杏の木は何事もなかったように立っていた。
先日、NHKテレビの「アインシュタインの眼」という番組で、高速度カメラを駆使して伝える稲の種から苗までの成長過程をつぶさに観察する機会があった。その時も種が発芽して根を出し苗が2ケ月ほどで20センチばかりに成長する。ところが、根の方も、少々の風に吹かれても倒れないように、野球でいえば、センター、レフト、ライトと見事にバランスをとって田んぼの土奥深くまで延びている様子を写していた。
広辞苑で「根」を引いた。第一義として、水分、養分を吸収し、からだを支持する高等植物の器官。普通、地下にあり、若い部分には無数の根毛を生じ、これで養分、水分を吸収する、と出ていた。転じて、心の根。こころ根が優しいなどと使う。逆に、根に持つは、恨みに思っていつまでも忘れないこと、などと使うとあった。
日本画家、森田りえ子さんが、京都のひいらぎ野の椿の絵を描かれたときに聞いた話である。枝があって茎が生え、それに葉がついて、その先に花が咲き、そして実がなる。花は添えものですと言われた時は驚いた。幹の下にどんな根があるのか、絵を見た人が想像してもらえるような絵を描きたいと、言われた彼女の言葉が今も忘れられない。
先日、「まろわ講」主宰、竹田和平さんから「撒いた種が受取る実」という言葉を伺って感心した。いままで「撒かぬ種は生えぬ」とか「自分で撒いた種は自分で借り取れ」と、とかくマイナスイメージでいろいろな場で教育を受けて来たような気がする。同じ中身の言葉だと思うが、「撒いた種が受取る実」とプラス志向で言われると妙に安心するから不思議である。和平さんは「花想えば花開く」とも話された。
種がまずあって実がなる。種を撒けば、芽と同時に根を出す。根から水分と養分をとって、枝や茎を伸ばし、葉を付け、花を咲かせ、そして実がなる。庭に咲いた朝顔が、根も葉もない話には、政治家に限らず、用心しなさいと教えてくれているようだ。(了)
種を小鉢に撒いて、7~8センチほどで植え替えたが、そのとき驚いたのは無数に延びた細い根だった。どんな大木でも、根は木の背丈ほどあるという。15年前の阪神・淡路大震災の時も、東西に走る国道2号線沿いの家屋の数多くは傾いたり倒壊していたが、沿道の銀杏の木は何事もなかったように立っていた。
先日、NHKテレビの「アインシュタインの眼」という番組で、高速度カメラを駆使して伝える稲の種から苗までの成長過程をつぶさに観察する機会があった。その時も種が発芽して根を出し苗が2ケ月ほどで20センチばかりに成長する。ところが、根の方も、少々の風に吹かれても倒れないように、野球でいえば、センター、レフト、ライトと見事にバランスをとって田んぼの土奥深くまで延びている様子を写していた。
広辞苑で「根」を引いた。第一義として、水分、養分を吸収し、からだを支持する高等植物の器官。普通、地下にあり、若い部分には無数の根毛を生じ、これで養分、水分を吸収する、と出ていた。転じて、心の根。こころ根が優しいなどと使う。逆に、根に持つは、恨みに思っていつまでも忘れないこと、などと使うとあった。
日本画家、森田りえ子さんが、京都のひいらぎ野の椿の絵を描かれたときに聞いた話である。枝があって茎が生え、それに葉がついて、その先に花が咲き、そして実がなる。花は添えものですと言われた時は驚いた。幹の下にどんな根があるのか、絵を見た人が想像してもらえるような絵を描きたいと、言われた彼女の言葉が今も忘れられない。
先日、「まろわ講」主宰、竹田和平さんから「撒いた種が受取る実」という言葉を伺って感心した。いままで「撒かぬ種は生えぬ」とか「自分で撒いた種は自分で借り取れ」と、とかくマイナスイメージでいろいろな場で教育を受けて来たような気がする。同じ中身の言葉だと思うが、「撒いた種が受取る実」とプラス志向で言われると妙に安心するから不思議である。和平さんは「花想えば花開く」とも話された。
種がまずあって実がなる。種を撒けば、芽と同時に根を出す。根から水分と養分をとって、枝や茎を伸ばし、葉を付け、花を咲かせ、そして実がなる。庭に咲いた朝顔が、根も葉もない話には、政治家に限らず、用心しなさいと教えてくれているようだ。(了)