(学校で教えてくれない経済学)
「回送電車が通過します。ご注意ください。」駅で聞くお馴染のアナウンスである。朝日新聞の元ワシントン駐在記者だった原康さんから40年前に聞いた古い話だが「日本では「回送」と言うが、アメリカでは「Out of Service」と書く。」と教えてくれた。
「Out of Service」とは「この車には乗れません(サ―ビスされていません)」という意味で、「この言葉にはお客さんに目線が置かれている。」と原さんが解説してくれた。広辞苑で「回送」を引いた。①他のところにさし回すこと。②元の場所に送り戻すこと、と出ていた。言われてみれば、「回送」という言葉には客の目線がない。つまり国民の目線がない。
「サービス」を広辞苑で引いてみた。①奉仕、②給仕。接待。③用役。用務。④競技用語。サ―ブと出ていた。日本では「サービス残業」などという英語に翻訳出来ない妙な言葉がある。アメリカ人ならずとも外国人では考えられない発想であろう。
アメリカの労働統計に「Service Sector(サービス・セクター)」という言葉がある。「8月の米労働統計で、ISMサービスセクターの指数が7月から予想以上に下落した。米国景気が先行き悪化することを示唆した」という景気指標の参考にしばしば使われる。
米「サービス・セクター」は、日本語の「サービス業」とほぼ同じ意味であるが、製造業や農業以外の職場、第三次産業と読める。広辞苑によれば、「日本標準産業分類の大分類の一。旅館、広告業、修理業,興行業、医療・保険業、宗教・教育・法務関係業。その他非営利団体業。」と出ていた。
大阪日本橋に電気製品専門の街がある。スケールは違うが東京の秋葉原に近い。元同僚が大阪へ転勤してきたとき、筆者が何度も値切るので、そばで聞いていて、ハラハラしたと後で話していた。せめて「もうちょっとサービスしといて」とでもいえば良かった。昔、祖母が、露骨に「まけろ」と言わずに、「勉強しといて」とよく言っていた。さすがである。
関西人が関東人に嫌われるのは関西人は平気で値切る。お金を口にする。はしたない人が多いからだという。お金は汚いものだと武士に都合のいい考え方を刷り込まれたことが明治以後140年経った今も根強く息づいている。度が過ぎるとまずいが全て程度問題だろう。
日本の政治家の演説を聞いていると文字通り「回送」をどうしてもイメ―ジしてしまう。民・主とは名ばかりである。権力闘争の縄張り争いがプンプンしている。何度演説を聞いても、素直に聞けない。しかし、政治家の姿は国民一人一人の鏡である。国民一人一人が生まれ変わらないと、目先の景気も良くならない。日本の国の将来も良くならない。(了)
「回送電車が通過します。ご注意ください。」駅で聞くお馴染のアナウンスである。朝日新聞の元ワシントン駐在記者だった原康さんから40年前に聞いた古い話だが「日本では「回送」と言うが、アメリカでは「Out of Service」と書く。」と教えてくれた。
「Out of Service」とは「この車には乗れません(サ―ビスされていません)」という意味で、「この言葉にはお客さんに目線が置かれている。」と原さんが解説してくれた。広辞苑で「回送」を引いた。①他のところにさし回すこと。②元の場所に送り戻すこと、と出ていた。言われてみれば、「回送」という言葉には客の目線がない。つまり国民の目線がない。
「サービス」を広辞苑で引いてみた。①奉仕、②給仕。接待。③用役。用務。④競技用語。サ―ブと出ていた。日本では「サービス残業」などという英語に翻訳出来ない妙な言葉がある。アメリカ人ならずとも外国人では考えられない発想であろう。
アメリカの労働統計に「Service Sector(サービス・セクター)」という言葉がある。「8月の米労働統計で、ISMサービスセクターの指数が7月から予想以上に下落した。米国景気が先行き悪化することを示唆した」という景気指標の参考にしばしば使われる。
米「サービス・セクター」は、日本語の「サービス業」とほぼ同じ意味であるが、製造業や農業以外の職場、第三次産業と読める。広辞苑によれば、「日本標準産業分類の大分類の一。旅館、広告業、修理業,興行業、医療・保険業、宗教・教育・法務関係業。その他非営利団体業。」と出ていた。
大阪日本橋に電気製品専門の街がある。スケールは違うが東京の秋葉原に近い。元同僚が大阪へ転勤してきたとき、筆者が何度も値切るので、そばで聞いていて、ハラハラしたと後で話していた。せめて「もうちょっとサービスしといて」とでもいえば良かった。昔、祖母が、露骨に「まけろ」と言わずに、「勉強しといて」とよく言っていた。さすがである。
関西人が関東人に嫌われるのは関西人は平気で値切る。お金を口にする。はしたない人が多いからだという。お金は汚いものだと武士に都合のいい考え方を刷り込まれたことが明治以後140年経った今も根強く息づいている。度が過ぎるとまずいが全て程度問題だろう。
日本の政治家の演説を聞いていると文字通り「回送」をどうしてもイメ―ジしてしまう。民・主とは名ばかりである。権力闘争の縄張り争いがプンプンしている。何度演説を聞いても、素直に聞けない。しかし、政治家の姿は国民一人一人の鏡である。国民一人一人が生まれ変わらないと、目先の景気も良くならない。日本の国の将来も良くならない。(了)