淀屋橋北詰交差点風景
江嵜企画代表・Ken
「醍醐の花見」は、秀吉が企画した震災復興のイベントだった。
文禄5年(1596)京都・大阪をM7クラスの直下型地震が襲った。
醍醐寺は、強固な岩盤の上に建てられていたため被害をまぬか
れたと、国際淀屋文庫発行人、佐藤正人さんが解説してくれた。
その佐藤さんから時間があれば醍醐の花見に出かけませんか、
と声がかかり、ベルギー旅行を共にした仲間と参加した。京阪
淀屋橋朝9時集合だった。幸い待ち時間まで15分ある。淀屋橋
北詰交差点風景をスケッチした。
9時10分淀屋橋発特急に乗り、中書島で乗り換え、六地蔵駅下
車、そこからバスで醍醐寺に10時半過ぎに着いた。驚いたこ
とに、境内は花見客で都会の雑踏並みにごった返していた。
六地蔵駅から寺までのバス道は、バスがすれ違う車を待機し
て進むほどの細い道だった。秀吉が、失業救済の意味も兼ね
一大復興事業として作った道がそのまま残っていると、
佐藤さんは言う。
醍醐寺、霊宝館には、伏見城倒壊など生々しい被害状況など
を伝える震災当時の座主、義演の日記と、慶長3年3月15日
(1598年4月20日)催された醍醐の花見の宴に参列した
160数名が読んだ和歌の短冊も展示されており、見ごたえが
あった。
醍醐・三宝院の枝垂桜は、咲き始めだったが、雄大で袖を
大きく左右に広げた姿は圧巻だった。桜を背にして、いと
しい者同士であろうか、お互い記念写真をカメラに収める
ほほえましい光景を見せてもらった。
恥ずかしながら醍醐寺を訪れたのは今回初めてだった。月
一回、猪熊佳子山科教室へ通っている。教室の最寄駅京阪
山科駅から8分の醍醐駅で降り10分歩けば醍醐寺に着く。
灯台元暗しとはこういうことを言うのであろう。
応仁の乱で醍醐寺も消失した。しかし、消失をまぬかれた松
の大木が400年の時空を超えて、今も境内に息づいている。
秀吉の醍醐の花見以来桜の名所として知られる寺であるが、
松の醍醐寺であることを知る人は少ないと佐藤さんは話
していた。カメラは桜のみ、松にカメラを向ける人は
いなかった。
桜シーズンを外して、じっくりと時間をかけて、醍醐寺を
訪れたい。(了)