渋沢氏は、「常識とは如何なるものか」と設問し、次のように回答している。
【人間の心を解剖して、「智、情、意」の三つに分解したものは、心理学者の唱導に基づくところであるが、何人といえども、この三者の調和が不必要と認めるものはなかろうと思う。智恵と情愛と意思との三者があってこそ、人間社会の活動もでき、物に接触して効能を現してゆけるものである。ゆえに、常識の根本原則たる「智、情、意」の三者について少し述べてみようと思う。】
その後に、「智、情、意」について述べているのですが、「智」の部分を簡略して説明すると以下のようになる。
智:智恵がなければ物を識別する能力に不足をきたす。いかに学識があっても、善や利の見分けができなければ宝の持ち腐れに終わってしまう。ただおのれ一身さえ修めて悪事がなければ宣いということになれば、誤思謬見(ごしびゅうけん)になり、世に処し、社会に立って何らの貢献する所もない。
論語に、【君子は和して同ぜず。小人は同して和せず】というのがありますが、これは主体性のない人のことを、智のないとして「小人」と呼んでいる。
鍼灸師の会もたくさんありますが、何が目的でそんなにたくさんできたのだろうと考えるときがある。
「会」となると、組織になるので、組織の慣習に従わなければならない。
学識があり、善や利の見分けができても、会の慣習で若い人に発言権がなければ、若い人は、世に処し、社会に立って何らの貢献することができなくなる。
今はわかりませんが、私が鍼灸学校へ通っていたころは(30年前)、鍼灸師会の学術大会というものは、「貶し合い」の会合に思えた。
誰かが発表すると、上げ足を取って講演者を叩きのめす。
その後、「あいつよりワシのほうが偉いんだ」と自慢話をする。
「智」のない話です。
中国の国際学会で、聴講者が講演者に質問をした。
講演者は答えることができず、一瞬沈黙の時間になった。
質問者はすかさず挙手して、こう言いました。
「申し訳ありません。私の勘違いでした。質問を取り下げます」
と言うと、間髪を入れずに司会者が講演者を援護するように、こう言いました。
「はい、ありがとうございました。これで今の質問は終わりました。他に質問はありませんか」
中国では、講演者を大事にしてくれるという印象が強く残った。
質問者も司会者も「智」のある人だと思った。
【人間の心を解剖して、「智、情、意」の三つに分解したものは、心理学者の唱導に基づくところであるが、何人といえども、この三者の調和が不必要と認めるものはなかろうと思う。智恵と情愛と意思との三者があってこそ、人間社会の活動もでき、物に接触して効能を現してゆけるものである。ゆえに、常識の根本原則たる「智、情、意」の三者について少し述べてみようと思う。】
その後に、「智、情、意」について述べているのですが、「智」の部分を簡略して説明すると以下のようになる。
智:智恵がなければ物を識別する能力に不足をきたす。いかに学識があっても、善や利の見分けができなければ宝の持ち腐れに終わってしまう。ただおのれ一身さえ修めて悪事がなければ宣いということになれば、誤思謬見(ごしびゅうけん)になり、世に処し、社会に立って何らの貢献する所もない。
論語に、【君子は和して同ぜず。小人は同して和せず】というのがありますが、これは主体性のない人のことを、智のないとして「小人」と呼んでいる。
鍼灸師の会もたくさんありますが、何が目的でそんなにたくさんできたのだろうと考えるときがある。
「会」となると、組織になるので、組織の慣習に従わなければならない。
学識があり、善や利の見分けができても、会の慣習で若い人に発言権がなければ、若い人は、世に処し、社会に立って何らの貢献することができなくなる。
今はわかりませんが、私が鍼灸学校へ通っていたころは(30年前)、鍼灸師会の学術大会というものは、「貶し合い」の会合に思えた。
誰かが発表すると、上げ足を取って講演者を叩きのめす。
その後、「あいつよりワシのほうが偉いんだ」と自慢話をする。
「智」のない話です。
中国の国際学会で、聴講者が講演者に質問をした。
講演者は答えることができず、一瞬沈黙の時間になった。
質問者はすかさず挙手して、こう言いました。
「申し訳ありません。私の勘違いでした。質問を取り下げます」
と言うと、間髪を入れずに司会者が講演者を援護するように、こう言いました。
「はい、ありがとうございました。これで今の質問は終わりました。他に質問はありませんか」
中国では、講演者を大事にしてくれるという印象が強く残った。
質問者も司会者も「智」のある人だと思った。