9月9日(土)の4時から、「哲学するふつうの市民」の方と、東京大学教授の山脇直司さんとの間で対話の会を催します。私、武田が進行役ですが、大学・ソクラテスクラスの授業の中で行いますので、形式的な司会ではなく、内容に踏み込み、議論を恋知(哲学)にふさわしいものにしたいと思います。日本における全く新しい試みにご注目下さい。白樺教育館で。
安倍晋三のようなナショナリズム宣揚の低次元の想念しかない政治家が大手を振るうようでは、「つまらない国ーちゃちな国」にしかなれませんので(笑)。
以下は、このブログの中でのお二人のやりとりの一部です。コメント欄をクリックされれば、全部のやりとりを見る事ができます。
[ 哲学する普通の市民 ] [2006/09/01 22:49]
山脇さんへ。
公共哲学に対する私の基本的疑問は、主に山脇さんの「現代を如何に生きるか」と「公共哲学とは何か」を読んで感じたものです。したがって、それらが「背景知」です。また、「生活の地平」は「普通の一般市民としての日々」です。なお、「産業構造審議会基本政策部会」の議事録(以下。経産省HP)にある山脇さんの発言を読みましたが、具体的なケースで何か具体的な政策提言をしているものは、確認できませんでした。9日には、基本的疑問について具体的根拠を示しつつ、きっちり説明するつもりですので、ご返答よろしくお願いします。
http://www.meti.go.jp/committee/materials/g50531bj.html
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[ 山脇直司 ] [2006/09/02 01:55]
返信有り難うございました。当日、武田さんが司会をなさるということで、どのように進行するかわかりませんが、貴方の一連の批判から感じた懸念を一つだけ書かせて下さい。公共哲学は公共政策と違って、主にヴィジョンや思考の枠組みを探求する学問です。政策提言専門であれば、武田さんが非難してやまない東大法学部の先生方でもできるはずです。貴方にとって「哲学する」とはいったい何なのか、教えて頂けないでしょうか?
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[ 哲学する普通の市民 ] [2006/09/02 06:27]
私は、「人間の存在そのものの充実と輝きを生み出す意味のある知」を求めています。そうでなければ、日々の生活実践の原動力とはなりませんから。「なぜ、どうして、何のために? 何に依拠し、何を目がけるのか?」いつもそう問いながら生きるよう努力しています。それが「哲学する」ことだと思っています。思想史を勉強したかどうか、は関係ありません。そうでなければ、
普通の一般市民は「哲学する」ことはできない、ことになるからです。9日の山脇さんとの対話においても、当然この姿勢でお話しするつもりです。「公共哲学」はしっかりしたヴィジョンや思考の枠組みを欠いているのではないか、という問題意識です。なお、産業構造審議会の答申等は、典型的な役人の文章であり、「哲学する」こととは無縁の代物です。
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[ 山脇直司 ] [2006/09/02 10:58]
だいたい判りました。公共哲学の思考の枠組みに関しては、『UP』(東大出版会)8月号にもはっきり書きましたが、「政府の公・民(たみ)の公共・私的領域」の相関的三元論、個人一人一人を活かしながら、民の公共を開花させ、政府の公を開いていく(活私開公)」、「ある・べき・できる」の統合、「地域性と現場性に根ざしつつ地球的争点を考えていくグローカリティ」など多々あります。後は当日、討論しましょう。