思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

公務員は、政治批判はできない?ーtaro・タケセン・山脇・哲学するふつうの市民

2006-09-30 | メール・往復書簡

「政治批判をすることは国民の義務です」に対するコメントです。

公務員は政治批判はできない!?のか。


[ taro ] [2006/09/18 16:50]

「批判精神をもつこと、政治について発言すること、これは民主政治の命であり、国民の義務です。」と言われますが、………私は一応、公務員なんですけど、公務員は「全体の奉仕者」で、だから、公的にも私的にも政府批判が許されないことになっているんですね。ほとんどの公務員の人たちは、それでしょうがないと考えているように思いますが、これって、国民の義務を果たしていないことになるのですか? できないのだから、しかたないと思いますけど。
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[ タケセン ] [2006/09/18 23:03] [ Myblog ]

taroさん、コメントありがとうございます。
困りましたね(笑) 私の父も国家公務員(労働省)で、「メーデー事件」の時は現場にいたそうです。
国家公務員法の16条に基づいて「人事院規則」が命令形式で定められいますが、これを読むと、私的であれ、政治への関与、発言が禁じられています。まともな頭の人が見れば、明らかに基本的人権の剥奪であり、違憲であることは論を待たないと思います。日本はおそろしいほどの後進国ですね。憲法41条の規定など無いかのような規則制定には唖然!です。愚か者の作文でしかありません。ユネスコに人権侵害で訴えたいですね。
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[ taro ] [2006/09/18 23:31]

やっぱりそうですか。私生活で全体の奉仕者やるって、何なんでしょうね。これ無理ですよ。治安維持法の世界に住んでいるようです。公務員労組はILOに労働基本権の制限が不当だと訴えていますが、こちらの方がよほど重大じゃないですか。言論表現の自由を制限しているんだから。これじゃ、自分の意見が持てなくなって当然ですよね。
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[ タケセン ] [2006/09/19 10:02] [ Myblog ]

taroさん、なるほどね。1925年公布の悪名高き思想の国家統制ー「治安維持法」(天皇ヒロヒトの命令で、朝鮮や台湾にも施工)にいまなお縛られる公務員の世界!!日本はぜんぜん民主制社会ではないですね。政治家は一体何をしているのでしょうか?
もしかすると、「国体思想ー天皇制」を賛美する思想をもつ保守主義の政治家は、再び天皇崇拝ー家族主義ー国家主義ー靖国思想の復活をもくろんでいるのかもしれません。安倍晋三は、教育基本法の改定をうたい、社会科と家庭科の教科書を変え、政府が国民にあるべき家族像のモデルを示すと「美しい国へ」で書いています。先祖がえりのようなとんでもない政治家が現れたものですが、へたをすると、公務員だけでなく、全国民が再び国家の思想統制下に置かれるようになるでしょうね。「国民の不断の努力」が求めらます。taroさんも、風穴を開けるべく、工夫して頑張ってください
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[ taro ] [2006/09/19 21:08]

「頑張って」と言われても、困ります。全体の奉仕者なんだから、あまりできることないです。でも、毎日、地道に「これ絶対に変だよ」って、声かけていくことで、少しは変わっていくのかもしれませんね。人の思考(脳の働き)が、そう簡単に変わるわけはないですが、何事も継続は力なりですから。今、日本は、靖国問題などで外観上は右の方向に大きく流れているみたいですけど、私は、日本人の場合、本当は右も左もなくて、思想的に「空」なんじゃないか、本当は何も深く考えていないんじゃないか、と最近思うようになりました。右の人も、左の人も、どうも、やたら薄っぺらい感じなのです。これは、政治家も、官僚も、大学教授も、みんな含めてのことですけど。どう思われますか。
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[ 山脇直司 ] [2006/09/19 21:23]

taroさん
「思考の薄っぺらさ」が日本を支配しているという見解に賛成です。無内容な週刊誌がたくさん発売されているのは、世界にも例がないでしょう。メディアと教育の責任は重いと思います。ところで、公務員の「理性の公共的・私的使用」に関しては、カントの『啓蒙とは何か』(岩波文庫)を是非お読み下さい。現代にも活きる見解が示されていると思います。
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[ taro ] [2006/09/20 21:00]

哲学思想は苦手なので、カントから何を得られるか、全然自信ありませんが、本当に考えなくちゃいけないのは、何のための「全体の奉仕者」なのか、ということだと思っています。結局、国民の基本的人権がしっかり保障された、より良い民主社会を実現するため、という以外にないんじゃないか。だとすると、「全体の奉仕者」を理由に言論表現の自由をやたら制限するのは、やっぱりおかしいのではないか、などと考えているのですが・・・・・。
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[ 哲学する普通の市民 ] [2006/09/20 23:37]

「東大脳の作り方」(安川佳美 平凡社新書)という本があります。著者は、桜陰高校を首席卒業、東大理3現役合格で、何についても、奮起→努力→挑戦→達成のプロセスを続けられる人が、真の「東大脳」なのだそうです。私には、「最高の受験マシーンの作り方」の指導本としか思えなかったのですが、もちろん、著者にはそのような意識はないようです。暗記力抜群、頭の回転もすごく速いのでしょうけど、思索はひどく薄っぺらな感じです。良い感じのお嬢さんとは思いますが、こういう人が東大卒業して霞ヶ関の官庁に入ると、無思想で、ひたすら忠実無定量に働く昆虫のような役人になるのかもしれません。ちょっと怖い気がしました。
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[ 山脇直司 ] [2006/09/21 00:08]

taroさん
公務員が全体の奉仕者というのは、「私利私欲」に陥らずに、常に「公正・公平・公共益」を考えながら行動するという意味に受け取るべきだと思います。またtaroさんが公務員(public official)であるかぎり、業務命令には逆らえず、守秘義務も当然生じます。しかしtaroさんも、公務員以外の「市民というアイデンティティ」を持っているはずで、その市民というアイデンティティの下で、「現在の政府や国家や公務員制度の在り方などを批判する自由な権利」を持っていることを自覚し、賢く行動されるのがよいように私には思えます。
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[ taro ] [2006/09/21 23:34]

いつも「全体の奉仕者」を「市民」の視点から考えて行動する、ということですね。これなら、「国体思想ー天皇制」のために忠実無定量に働く昆虫役人になることもない。日本国憲法の想定する公務員像というのは、本当はこれなんでしょうね。
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了。


コメント
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