下は、今朝の東京新聞25面「本音のコラム・自己愛」です。
「 若い人の肥大した自己意識ほど怖いものはない。プライドは出口を失うと腐敗し、絶望へとともに「世間や大人」への恨みという可燃ガスを生む。そこにわずかな火種でもあれば爆発する。・・・
これが政治化すると、山口二矢少年(社会党委員長・浅沼氏刺殺犯)が生まれる。
その簡易版がインターネットという匿名空間にはびこる排外主義と国家主義だ。
昔からそうだった。
第一次世界大戦のドイツを生きた画家志望の失業青年アドルフ・ヒトラーもこうした青年だったのだろう。(斉藤学{さとる}・精神科医) 」
歴史が証明するように、排外主義と国家主義ほど恐ろしいものは、ありませんが、その国家主義=ナショナリズムをあけすけに表明し、「地球市民」などという人がいるが、それではダメだと言ってこれを排撃しているのが、安倍晋三の『美しい国へ』(文春新書)です。
こんな一面的な主張を堂々とする人間を支持する人が多いのは、なんとも困った問題で、彼がトップに立てば、排外主義と国家主義のムードを加速することは間違いありません。
たとえば、私は祖父・祖母の代から神田という街に生まれ育った日本人であり、ずっと日本で生活し、日本語で考え・交流して50数年ですが、その私がことさらに日本・日本と言い、国家主義で行こう!と叫んだら、頭大丈夫?としか思われないでしょう。
私の思い出がいっぱい詰まった故郷は神田であり、大学以外の学校はみな文京区であり、今は我孫子市民(手賀沼に浮かぶこの街を愛しています)です。私は、いままで日本各地の自然や文化に愛着を感じてきましたが、同時に世界の音楽や美術や文学や思想・・・にも深く感動し続けてきました。
私は、いま我孫子市民であり、日本国籍を持った日本人であり、安倍晋三の嫌う「地球市民」です。私は日本人ですが、安倍晋三のいう「日本主義」を真正面から批判する日本人です。心に余裕のある、位相の異なる幾重もの属性を意識した人間であることが、よい日本人=よい人間の条件ではないでしょうか。ことさらに国家を強調するアン・バランスな思想は危険であり、不幸の種にしかなりません。公平さの意識をもつこと=バランスが大切です。どこかの国と軍事同盟を強めることだけを考えるヒステリーではなく、人類に課せられた多くの困難な課題に挑戦する「おおきな」日本でありたいですし、間違いは隠さずに率直に認める広い視野と知見をもった「豊かな」日本人でありたいと思います。
最後に確認です。位相の異なる幾重もの属性のいちばん底には、「生物としての人間」という意識なければいけないはずです。生まれによる差別や特権意識は、人間のよきもの消してしまいます。「エリート意識」は、人間性の根幹を腐食してしまうのです。われわれの多くは日本人ですが、それ以前に人間の男であり、女なのです。これは原理で、覆すことはできません。人間としてどう生きるか?どう生きるのがよいか?それが一番底にある課題です。恋知(哲学)に世界的な普遍性があるのは、そこに課題の中心を置いているからです。 (民知―恋知についてはクリック)
武田康弘