以前から観たいと思っていた「子猫物語」が、ハードオフで100円以下で転がっていたので買ってきて観た。
子猫のチャトランはかわいいけどたぶんおバカだったので木箱に入ったら川で流されてしまう。そのチャトランに破格の愛情を抱くブルドック♂のなんとか(←もう忘れた)は後を追いかけていく。二人は、様々な動物と戦いながら遂に再会するが、帰路の最中に、にゃんとチャトラン♂(←この時点で気づいた)は美人白猫に色気づいてしまい、ブルドックのなんとか(←思いだせん)はもうどうでもよい存在に。人生の厳しさを思い知ったブルドックの何とか(←……)。冬を越す間に白猫は出産、すっかり顔つきが悪くなったチャトランの代わりにかわいい子猫たち。しかもブルドックの何とか(←えーと)も、なワンと、いつの間にか家族をつくっており、二つの家族はいつの間にか出会って(
子どもがいるというだけで、どうみても気が合わない同士もママ友とかになって陰口をたたき合うものであるが)、最後はかわいい子猫子犬たちが草原で戯れている……。
公開当時から、動物虐待疑惑があり、主役のチャトランは途中で何回も死んでるらしいぞ最後のやつは何人目だ?とかいわれていた。
ただ、動物をこんな物語に当てはめている時点で虐待だ。(
小津や黒澤は役者を虐待していると言えなくもないではないか)リアリズムに徹して本当にチャントランが死んだりする映像を出したりしたら、それはそれで問題だっただろう。だいたいペットを猫かわいがりしてることが一種の虐待だ。ほんとに猫がかわいそうだと思う人は、道路の真ん中でひどい姿になっている猫を一匹残らずちゃんと供養し、自動車免許を破棄せよ。……というのは冗談であるが、ほんとに動物を虐待するのが趣味の人もいるらしいから、困ったものだ……。
人間の世界もそうだが、動物の生きている世界は死んだり生きたりのわけがわからないひどい世界なのであって、そういうものを描こうとすれば、死にかかったりするひどいシーンもつくらなければならない。しかし動物が主人公の映画は、この映画がそうであるように、だいたいかわいい主人公が人間みたいにがんばるというものなので、実際に画面上で殺すわけには行かぬ。私が思うに、こういう困難を避けることができる簡単な策は、人間を救世主や保護者として出してくることだ。そして、人間と動物の心の交流というコンセプトで動物愛好家の涙をカツアゲしてごまかすのである。私は、「子猫物語」の良いところは、そのクソ人間を出してこなかったことにあると思う。この映画に不満だった人が多かったのは──、「南極物語」みたいに人間が決定的な助け船を出すという場面によって、我々のペットかわいがり願望を満足させなかったことにあったと思う。
露木茂のナレーションや、谷川俊太郎の詩を朗読する小泉今日子とか、なんとなく画面に品格さえだしてしまう坂本龍一の音楽とか、人間は確かに存在している。なんとなく、これが不自然なかんじなのがある種面白いな。動物と人間はちがいますよ、という諦念が感じられる(笑)
結論:わたしは動物映画には目がない。できるなら、全ての映画の出演は動物だけにしていただきたい。