★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

えげれす万歳

2011-04-29 23:19:48 | 音楽
テレビをつけたらなんかミサみたいなものがやってたので、よく見てみたら、長い白い布がみえたので、結婚式だと分かった。ハイビジョンになったら逆に画面をきちんと見なくなった。

えげれすの結婚式で、ダイアナさんの息子の結婚式であった。結婚式の主役二人の姿というのは、瞥見レベルでは絵になるが、なんだか間が持たないものである。というわけで、カメラは結構、合唱している子どもたちを映していた。

えげれすといえば、ローマ帝国の辺境国である。日本が中国の辺境国であるように。遠くからみると、形もよく似ているぞ。王政みたいなもんをやっている、というか、王室のスキャンダルでアイデンティティを保っているところもそっくりである。

そして私にとってえげれすといえば、ヴォーン・ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」である。吹奏楽経験者にとっては初恋の思い出かトラウマかどちらかに属する曲である。私はどちらかというと後者であり、とにかく、最初の「ずんちゃっちゃあ、ずんちゃっっちゃ~、ずんちゃずんちゃずんちゃ」というところで、激しくさぶいぼが立ったのである。感激したのではない。あまりの田舎臭さに、木曽踊りを無理矢理昼休みに一人で校庭でやらされている如き感触がしたのである。どうもそれ以来、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲もホルストもあまり聴く気にはなれぬ。ホルスト「惑星」のなかの「木星」を日本の歌手が歌ってヒットしたことがあったが、私はまったくおしゃれだと思わなかった。冷静にメロディーを聴いてみるがよい。確実にこぶしをきかせたくなってくるでしょうが。

それでも、ヴォーン・ウィリアムズやホルストの次の世代のウォルトンになると、まさに長野県民が東京にでてきてがんばっている程度には、帝国的になっている。「クラウン・インペリアル」(王冠)も吹奏楽でやったよ。なんですか、この同じメロディーの繰り返しは。くどすぎる。押し寄せる金管のハイトーンと太鼓と銅鑼の乱れうちがたまらない。くどすぎる。