★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

廣田八幡神社若宮御神体出土之地を訪ねる(香川の神社37)

2017-09-11 16:15:40 | 神社仏閣

廣田八幡には、若宮が祀ってありました。なんと、若宮は出土したらしいのです。



長宗我部元親は秀吉が送り込んだ我が仙石×久の軍を何回か破るなど、四国みたいな小さな島を必死に全部オレ様のものにしようとして頑張った人である。その過程で廣田神社も彼によって焼き払われた。で、彼の子孫は結局、徳川にみな殺しにあってしまったが、――おそらく廣田神社の祟りに違いない。若宮は仁徳天皇をまつったもの。仁徳天皇を池の中に沈めてしまうとは不敬の輩である。しかしまあ、本当に出土した像は若宮なのであろうか。違ったら、えらいことだ。まだそこら辺に仁徳天皇が埋まっているかも知れない。しかし、たぶん、これは奥さんの祟りであろう。仁徳天皇は、仁政で有名なのであるが、たくさんの女の子にもたくさん思いやりがあり、

衣こそ 二重も良き さ夜床を 並べむ君は 畏きろかも

と奥さんが言うておるのに、

押照るや 難波の崎の 並び浜 並べむとこそ その子はありけめ

と詭弁を弄したので、

夏虫の 蚕の衣 二重着て 囲み宿りは あに良くもあらず

とナイスつっこみの奥さん。これに対して

朝妻の ひかの小坂を 片泣きに 道行く者も 偶ひてぞ良き

と、堂々と欲望丸出しの若宮であった。

翌日附記)
https://mainichi.jp/articles/20170912/ddm/041/040/157000c

9月12日に出た記事。長宗我部さんは、どうやら信長暗殺の背後に暗躍した可能がある。四国だけではなく幕府再興という大きいところを狙っていたかも知れないのである。