★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

増えてる……

2017-09-20 18:16:49 | 日記


実家のインコは、昨今の我々とちごうてよく増える。もはや、こいつらを働かすしかない。葉書くらいは運搬できるのではないか。AIとかドローンとかは人間より優秀なのでなんだか腹が立つ。手塚治虫は、ロボットの叛乱を描いたが、その実危険性があるのは、そして実績があるのは、人間が機械を壊したがる――つまり人間が機械に対して叛乱を起こす可能性である。最近は、「おらっ、このテレビ接触が悪いな、壊れとるんじゃねえのか、おらおらっ動けっ動けっ」とかお父さんに蹴られたりしないので、つけあがって「ようこそ、タップして何かしゃべってみてください」とか、なめた口を叩く。しかも「何も聞こえませんでした」とか、きこえんのかいこらっ、打擲するぞオラっシャットダウンだ、みたいな動作をマウスをクルクルしながらその実何も出来ない我々である。

その点、インコならかわいいし、葉書にウンコをしてしまっても許せる。

「あけましておめとうごます 今年もよろしくお上げます」

みたいな感じになっていてもいい。うちの家族ですとかいう写真をくちばしで穴をあけるもいいね。

成合神社を訪ねる(香川の神社53)

2017-09-20 17:25:31 | 神社仏閣
昔の村社である成合神社は、天満宮の近くです。国道からいきなり森に入ってゆく感じです。異次元の圧力とか相手からいつミサイルを発射されてもおかしくない言動を行う人間がいますが、どうせ脳内でよからぬ漫画を描いているのでしょう。異次元というのは、鎮守の森に入った感じを言うのです。




参道入口にいきなり神木が祀られている。


足下に石塔があるが、「根香寺道」にみえる。確かにここらは遍路の一宮寺から根香寺の間ぐらいかな……(イメージ)


御旅所かな?


案外参道長し……こういうところを見ると、昔の村とか町のメインストリートとして参道が機能していたことを想像させられる。


入口にたどりつく。


後ろをふり返る

 
これは、「紀元二千五百七十五年」と読める。大正四年ぐらいかな。


稲刈りマシーンの音が響き渡る

  

「一宮大明神」。ここらは一宮村で、この宮は田村神社の別宮だったらしい。そういえば、映画監督の朝原雄三って一宮あたりの出身だったような気がする。養老年間に豪族の飯沼氏がつくったらしい。この境内は広いっ。上の鳥居は天保六年。注連石にはやっぱり「日露戦役為紀念明治三十九年九月建之」。参道の敷石整備は大正十三年。


燈籠には昭和十八年とあった。


立派な境内社があったが、詳しくは不明であった。


なつかしい。昭和生まれは、これを使ったことがあるだろう。白状しなさい。わたくしはある。天五田根命は、ここの祭神のひとりで、あまてらすの命令で水質改善か何かをやった神である。

竣工記念碑によれば、「旧社殿は、明治十六年(1883年)に造営され、爾来幾星霜百年に余る歳月を産土の神、郷土の守護神の鎮座所として、よくその氏子の崇敬を集めてきた。しかるに漸く老朽化が進行し遂に損傷著しきに至った。この刻新造営の機運澎湃として昴り、氏子内外の賛同と浄財の寄進を得て、本殿屋根葺替並びに、吉野桧の香りただよう、幣殿、拝殿、手水舎、祓堂等の改築、厠舎の新築を平成の事業として工事に着手し、茲に竣工をみるに至る。平成九年九月吉日。」

「しかるに漸く老朽化が進行し遂に損傷著しきに至った。この刻新造営の機運澎湃として昴り」……すごくドラマチックである。特に「澎湃として昴り」が農民一揆みたいだ。素晴らしい。

 
これは素晴らしい狛犬である。よく見てみよう。

 
どことなく梟とかそんな感じを覚えました。


拝殿

祭神は、さっきの水質改善の神に加えて、天隠山命。アマテラスの孫で農耕神。あとは猿田彦命さん。

 
本殿

付記)天皇陛下が、今日、高麗神社にお参りにいったそうだ。高麗神社は朝鮮半島からの渡来人をまつったもので、いまここにお参りにゆくことの意味は明らかである。どんどん行動しますねこの方々は……。安倍氏も行けばよいのにと思ったが、それはないわという私の左翼的常識が言い返す。しかし、そういえば、坂口安吾が「高麗神社の祭の笛」というすさまじい傑作のなかで、高麗神社の参拝者の記名帳に太宰治とかとともに、総理大臣の名前がずらりと並んでいたことを暴露しているのだ。もう安倍氏も行ったかもしれない。

成合天満宮を訪ねる(香川の神社52)

2017-09-20 15:49:47 | 神社仏閣
成合町にある天満宮にやってきました。


平成になって新しい鳥居が建ちました。神社誌によると、慶長年間にはあったらしい神社です。郊外の神社は広くて木も多いしいいです。

 
狛犬(平成5年)


注連石は「日露戦役之記念明治三十九年九月建之」

 


拝殿


本殿

 
いつもの方々

境内には地神さんが広いスペースを陣取っております。

こういうのが神社の雰囲気です。鳥居は、明治二十一年。


「社稷五大神」かな……社稷という言葉が使われているのは初めて見たがどれくらいあるんだろう……。社はと土の神、稷は五穀のことであり、――確かに、徳島からここらによくある地神塔は、社稷五大神の塔なのである。農本主義の後藤成卿でも再読してみよう。もうかなり再検討が始まっている人ではあるのであるが……

 
ちょっと朽ちてはいるが大切にされてきているようだ。

諏訪神社を訪ねる(香川の神社51)

2017-09-20 01:32:48 | 神社仏閣
栗林公園の近くに諏訪神社があります。



入口が狭い割には奥行きがあります。

「諏訪神社の記」に曰く「玉藻の浦ゆ 紫雲に高く 松の緑の三つもも年の長き栄えを拓きて今に 町はらからの幸匂う 藩の守りの諏訪大神は 頼重公の命かしこみ 高橋與左衛門のまつらいて 城のたつみに 神鎮まりぬ この国人の安らけく 仰ぐ心に 恵みも深く ゆかりの社を移してここに 伝える文に……」

建御名方神……諏訪神社の風の神ですね
大物主神……金刀比羅宮の神さんです
崇徳天皇……おいたわしや

神社誌には「神像の臺裏に武田玄公守神と刻しありて、即ち信州諏訪より勧請せられしものなりと云ふ」とあった。明治12年に遷座し、大正15年に改築。昭和36年に更に遷座・新築。神社というものは、どれくらい動かしてよいものなのでしょうか。確かに、もともと諏訪から飛んできている訳だからどうでもいいかな。ちなみにわたくしも木曽から飛んできている。



 

 
賽銭を入れようと屈んだら、松のようなもんのトゲトゲに頭を刺されました。値段の問題だったのでしょうか。わしは信州のうまれだぞ、諏訪の近くだぞと。


本殿は木造

 




一日も終わりです。