
山深くさこそ心はかよふとも 住まであはれを知らんものかは
悟りは透徹しているが死に近く、こういう一事を以てしても、人生はかなり危険なものであることは明らかである。そういう意味では「住まであはれを知らんものかは」と言いたくなる気持ちも分かるのであるが、なにか無責任さを感じるのはわたくしだけではあるまい。
西行がどのような境地に達していたのかは、たぶん和歌では分からない。和歌は論文を書く体力が無くなった研究者の透徹さと似ている。我々はかなり無理して論文書きをやっているので、衰えてくると和歌みたいな透徹さに頼り始めるのである。しかし、それは果たして認識と言えるのであろうか。上の「あはれ」とは一体何なのか?
それはある種の「自由」なのであろう。あはれには、どう生きてもいいのだという倫理的判断が底にある気がする。しかし、我々は強いられる認識が必要であり、倫理は不愉快ななかにある。例えば、これくらい学生に読ませた方がよいのではないかという提案に頑強に反発する学者はいるものであり、彼らは自由を主張しているのだが、――そういう学者は結構早い段階で学生を見捨てる傾向にある。彼らにとっての自由は、他人からの自由一般に拡大されがちなのであった。彼らは案外「あはれ」な気分なのである。のみならず、言うまでも無く他人からの自由が出家という形をとっている場合もあるのではないだろうか。アカデミズムも出家の一種である。
日本近代文学の見出してきたのは、あはれではなく、一種の情操の世界である。大学の中に居ても、その世界に接近は出来るはずである。
三月の末か四月のはじめあたりに、君の住む都会の方へ出掛けて、それからこの山の上へ引返して来る時ほど気候の相違を感ずるものは無い。東京では桜の時分に、汽車で上州辺を通ると梅が咲いていて、碓氷峠を一つ越せば軽井沢はまだ冬景色だ。私はこの春の遅い山の上を見た眼で、武蔵野の名残を汽車の窓から眺めて来ると、「アア柔かい雨が降るナア」とそう思わない訳には行かない。でも軽井沢ほど小諸は寒くないので、汽車でここへやって来るに随って、枯々な感じの残った田畠の間には勢よく萌え出した麦が見られる。黄に枯れた麦の旧葉と青々とした新しい葉との混ったのも、離れて見るとナカナカ好いものだ。
――「千曲川のスケッチ」
「離れて見る」とさりげなく書く藤村は、出家ではなく、一歩下がってみることを発見した。