★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

風景の生成と消滅

2021-12-23 23:13:50 | 文学


みふゆつぎ春し来ぬれば 青柳の葛城山に霞たなびく


西行も苦手だが、実朝も苦手なわたくしであり、ここにはスケールだけがあって読み手の動きがない気がするからであった。

思うに、日本の街道の飛脚とか新幹線とかリニアとか、日本武尊の恨みをはらすがごとく我々にはどこまでもはやく縦断したい夢でもあるんじゃねえか。最後はやはり白鳥でひとっ飛び、生死を飛び越えるのだ。風景の発生には、なにか生死を超えたものの存在が不可欠である。

その存在が霊魂であった時代は、科学時代によって粉砕された。新幹線に初めて乗ったのは、中学生の時だったが、自分ではなく風景の方が動くのでビックリした。中央西線の普通列車ではどこまでも動いているのは自分としか思えなかったからである。さんざ言われていることだが、明治文学の風景にはあたかも車窓の風景から発想されたかのような感覚がある。自分が動いている事が重要である。風景は連動して動き出す。「破戒」の最終場面がその象徴だ。

蕭条とした岸の柳の枯枝を経てゝ、飯山の町の眺望は右側に展けて居た。対岸に並び接く家々の屋根、ところどころに高い寺院の建築物、今は丘陵のみ残る古城の跡、いづれも雪に包まれて幽かに白く見渡される。天気の好い日には、斯の岸からも望まれる小学校の白壁、蓮華寺の鐘楼、それも霙の空に形を隠した。丑松は二度も三度も振向いて見て、ホツと深い大溜息を吐いた時は、思はず熱い涙が頬を伝つて流れ落ちたのである。橇は雪の上を滑り始めた。


だからいまだ人間を動かす何かの登場による、あらたな風景の可能性はあると思われる。

いま考えると、わたしの関心を近代に留まらせているのは、荻原碌山の作品、というか生涯を中学校の頃に聞かされたからかも知れない。碌山は病気の人であったが、移動の人で、ロダンに逢いにいっていることは重要であった。そして結果見えてきたのは不幸な人々であった。

いまや、役に立つという観点すらも失われ、生き残りみたいな観点が人を強迫するようになっていて、このなかで、人のためにだけに発言するのは難しい事だ。そこには自分という風景だけがある。なにか組織の中で議論をしてみると、いまの世の中が完璧にマイノリティ排除の方向を向いていることが判明することが多い。普段の生活では感じにくい場合も議論をしてみると分かることがある。議論は組織の構造に規定される。差別は意識というより構造に強いられて、そこに従うマジョリティの自由と仕事の低減のために行われるのである。マイノリティとは戒めを破った人間においてそれがまずは風景として現れる。構造によって生き残りをかけた人間には風景は見えない。