山桜のさくら吹きまく音すなり 吉野の瀧の岩もとどろに
実朝が独特な人生を送ったことと和歌はさしあたり関係はない。むしろ、人生の方が作品を彩るのが文学であって、そのことを忘れた理論は信用できないものである。
本質的には、歌が本歌取りを行うのも似たようなところがあって、そこで詠まれる歌は人生のようなものである。作品に人生を付け加えることをあとに続く芸術家たちはやめる事ができない。いまも大量にいる素人の作り手たちはもっとそうだ。それをパロディだとか、気分の解放みたいなかんじで捉えているから、精神が死んでしまうのである。これでも婉曲的だというなら、端的に魂が悪いと言ってもいいかもしれない。
「強い嵐が来たものだ。」
と、私は考えた。
「とうさん――家はありそうで、なかなかないよ。僕と三ちゃんとで毎日のように歩いて見た。二人ですっかりさがして見た。この麻布から青山へんへかけて、もう僕らの歩かないところはない……」
と、次郎が言うころは、私たちの借家さがしもひと休みの時だった。なるべく末子の学校へ遠くないところに、そんな注文があった上に、よさそうな貸し家も容易に見当たらなかったのである。あれからまた一軒あるにはあって、借り手のつかないうちにと大急ぎで見に行って来た家は、すでに約束ができていた。今の住居の南隣に三年ばかりも住んだ家族が、私たちよりも先に郊外のほうへ引っ越して行ってしまってからは、いっそう周囲もひっそりとして、私たちの庭へ来る春もおそかった
――島崎藤村「嵐」
近代文学は、人生によって文芸を上書きまでしてしまおうとした傾向があった。その結果、くだらない人生の跋扈まで許す事になった。人生ではなく人間も、である。