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所謂誠其意者、毋自欺也。如悪悪臭、如好好色。此之謂自謙。故君子必慎其独也。
小人閒居爲不善、無所不至。見君子、而后厭然揜其不善、而著其善。人之視己、如見其肺肝然、則何益矣。此謂誠於中形於外。故君子必愼其獨也。
悪臭を憎むように、好色を好むように、自らを欺かない状態であるべきであるが、重要なのは欺いてないことは自身だけが知っているということだ。だから君子は一人慎むような態度になるのである。慎みのある態度でない場合、嘘をついている可能性がある。なぜかといえば、他人に対して殊更に善であることをアピールしているからである。他人が見た自分にたえられないのが人間一番つらいのであろう。
これは謙譲の美徳とは似て非なる者である。
歳をとると慎みがなくなると言うが、たしかにそんな気もする場面に多く遭遇する。自分に対する興味がなくなってくることによって、粉飾としての善人であることもできなくなってくる。文学も、若者の文化である側面が強い、ということは、粉飾の魅力がどこかしらかんでいるのだ。まわりの同世代が「すべてがどうでもよくなってきた」と言ってるのを聞いて、カントやゲーテは歳とってもすごかったねと思う一方、歳とってとにかくすべてどうでもよくなった三島由紀夫とか梶井基次郎が見てみたかったとわたくしが思うのは、そのせいである。