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莫見乎隱、莫顯乎微。故君子愼其獨也。
お天道様も見てござる。障子に目あり。――さらに隠れている悪の兆しほどテメエにとって明らかなものはないわけだ。すると、隠れてこそ明らかな自らの悪を「見える化」すると、却って世間体的に嘘をついてしまうことは明らかなような気もしてくるわけである。なるほど、いまの世界が何もかも見えるようでいて、全体として極めて嘘くさくなっているのはそのせいあろうか。
こんな短いことばで、現代を照射する「中庸」はなかなかのものである。教育指導要領がまったく非実践的なのは、「大学」とか「中庸」とかみたいに教えが短剣みたいになっていないからだ。ふにゃけたうどんみたいな文章はだめだ。せめて、聖書みたいに、人によって見え方が違いましたみたいな性格を自ら指導要領が体現して頂くくらいでないといけない。聖書のあの体裁もキリスト教世界に多様性みたいなものを持ち込んだような気がする。