★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

落とし穴と文芸

2023-12-13 23:49:54 | 思想


初六。習坎、入于坎萏。凶。
九二。坎有險。求小得。
六三。來之坎坎。險且枕。入于坎萏。勿用。


「物不可以終過。故受之以坎。坎者陷也。」物事は行き過ぎることはない。だから落とし穴がこれを受け止める。落とし穴にはどうもがいても落とし穴があるだけだ。

われわれにとっては、ヴィルドゥングスロマンよりもよほどこういう実感のほうが、人生を形作っている。

第一次戦後派なんかを読んでいると、どうしようもなく穴ぼこだけだったことが分かるのだ。野間宏なんかはそこんとこよく分かっていて、地上には穴が開き女陰だか女の痣だか、それを覗き込むと戦場が開けているのだ。

平等や公平を建前として守らないと、自分もそういう風に扱われないという、小学生でも経験的に知ってることが分からなくなった奴でなんとかその儘生きられるのは何か権力を持っている場合であるが、だからそう見せようとして自らパワーを行使しようとするとかどこまでバカなの富士の高嶺に雪は降りける。――こんな感慨も、穴ぼこに穴ぼこが繋がっている様子に似ている。

アホかと思うやつがいなくなれば正常になるとおもいきや全然正常にならず、そのアホかに遠慮してた奴の方が遙かに遠慮がちに悪事をめだたずやるので更に事態が悪化、反アホも別の意味で超絶的アホであることがアホかのおかげで分からなかっただけというこの世は全て事もなし、富士の高嶺に雪はふりける。馬鹿に支配されるインテリといった状況、どこかの夢であった気がする。もはや、そんな天国的状況は過ぎ去った。上は、政治風刺ではない、そこここで起こっていることである。政府はいつもレベルの低い現場に過ぎない。お天道様を懼れぬ輩が集まっているだけで、その均された懼れぬレベルで、われわれと同様の日常が繰り返されている。

坂口安吾は、お姫様がレイプされて肉塊として転がっているような風景を文学の故郷と言うが、ロマンティックな見方である。日本は異常なほど文芸の国だと思うんだが、それは必ずしも良いこととは限らず、アホで蒙昧な感じが人間界に漂っているその延長に富士の高嶺や稲穂が美しいという、犬も歩けば文芸的情況に当たるという事に他ならぬ。たぶんロシアはもっとそうだ。我々が郷愁を覚えるわけだ。

安倍元首相の暗殺事件は頭にこびりついていて、まじめに今年の出来事だと錯覚していた。私がボケていることはたしかだが、時間と出来事の関係として興味深い。ブッダの超能力に瞬間移動があるけど、安倍事件も三島事件も簡単に瞬間移動する。これも一応文藝の起源である。