★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

父と奴隷

2023-12-09 23:38:00 | 思想


頤。貞吉。観頤自求口実。

顎をみて自分も口を実たす物を求める。――欲望が連鎖するのは、様々な哲人達が論じてきたが、案外自分の喰ってる姿の不気味さについては無視している。それを「進撃の巨人」は思いださせただけでも意義があった。

どこかに通じてる大道を僕は歩いてゐるのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出來る
道は僕のふみしだいて來た足あとだ
[…]
彼等も僕も
大きな人類といふものの一部分だ
しかし人類は無駄なものを棄て腐らしても惜しまない
人間は鮭の卵だ
千萬人の中で百人も殘れば
人類は永久に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類の爲め人間を澤山つくるのだ
腐るものは腐れ
自然に背いたものはみな腐る
僕は今のところ彼等にかまつてゐられない


ひさしぶりに高村光太郎の「道程」読んでみたけど、若い頃からまあやばい奴ではあるわな、「進撃の巨人」かよ、という感じである。このマンガの巨人達は先行者であって先行者ではなかった。親玉はほかにいたのである。石黒盛久氏の「〈近代の超克〉論とイタリア・ファシズムの政治思想」(『近代の超克』――永久革命――)は、イタリアファシズム理論家のジェンテーレと三木清の関係について言及していて、「協同」という用語の言源も含めて、三木の思想の幾らかがジェンテーレの剽窃ではないか、と述べていた。ジェンテーレの父親は、イタリアの有名な左派理論家であった。三木の思想上の父は西田幾多郎である。父というのは、かように右と左から飛んでくるものであって、高村光太郎のように、なんだかしらんが歩めとか言ってくるものではない。光太郎が、天皇あやふしと思ったのも部屋の中であった。古事記でさえ、我々の父はどこからか飛んで来たと言っているのに。

我々は、起源に関する思考が苦手なのかも知れない。いまなんか、植民地から買われていった人間を宗主国のどの企業が買うかみたいな話で盛りあがっている植民地民はおめでたいとしか言いようがないが、我々の現状の起源としての帝国主義までも忘れ去ってしまったのか。そもそもアメリカは奴隷を使用していた國ではないか。