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この書の題名は、「安部公房とわたし」なのであろうが、表紙を見れば、正確には「安部公房 とわたし 山口果林」と解すべきだと思う。
これは「とわたし」という相合傘なのだ。
山口果林がまれに見る美人であることは明らかであるが、これに対して安部公房は「醜男」だったというコメントを屡々見かける。
「箱男」なら分かるが「醜男」とは絶対に違う。
私が安部公房に夢中になっていたのは中学生の頃だが、安部公房の顔は相当かっこいいと思っていた。いまでもそう思う。わたくしは、こういう顔が好きなのである。わたくしは山口果林と趣味が合う。
安部公房が死んだ時、わたくしも激しく後悔した。近いうちに新進気鋭の小説家となり、安部公房と対談する予定だったので……。山口果林は、安部公房と一緒にドライブしたり羨ましい限りだ。
安部公房の卓越したところというのは、センチメンタルな感情を一新したところにあったと思う。否定したのではない。中学生のわたくしが惹きつけられたのもそこだろう。
安部公房が死んだ少し後、スポーツ新聞に「安部公房愛人宅で倒れてた」と出ていた。わたくしは安心した。やっぱり安部公房も業の深いやつだった、「他人の顔」とか「密会」なんて大江健三郎もびっくりの業の深さではないか。安部公房はセンチメンタルな谷崎なのである。