★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

The dog that takes its owner for a walk!

2014-08-09 02:51:38 | 文学
わたくしは、犬が出てくる小説を集めたりして研究もどきをしているのであるが、こういう記事が出てくると、すごく不安になってくる。
論文の締め切りの日に、自分の結論と矛盾する文献を発見した気分とよく似ている。

http://www.dailymail.co.uk/news/article-2718979/The-dog-takes-owner-walk-Canine-rides-Segway-master-jogs-alongside-China.html




この男は拙者の友達で二人は目下並んで立小便をしていたのだ

2014-08-07 23:19:44 | 文学


そのころ春陽堂の近所にウィンザアというバアができて、同人のたまり場であった。女学校をでたての素人娘が三四人、このウィンザアではじめて女給という商売について我々にビールをついでくれたワケだが、それが今では初老に近い大姐さんになって、今も銀座裏のプーサンだのブーケというところでメートルをあげてらア。ムッちゃんなどという子がそれさ。
 小林さんと私とのツキアイと云えば、そういうところで、酔っぱらッて、からんだり、からまれたりしていただけのことだ。特別のツキアイというものはなかった。いくらか印象に残っているのは、ウィンザアの横の道で小林さんと並んで立小便していて、小林さんだけ巡査につかまった。巡査が、お前は何をしていた、という。住所姓名を名のれ、という。何を云われても彼は答えない。そこで私が、この男は拙者の友達で二人は目下並んで立小便をしていたのだ、というと巡査はそうかと云って立ち去った。彼の頭髪ボウボウたる和服姿が左翼とまちがわれたのだろう。
 また、私が越後の親戚へ法要に赴くとき、上野駅で彼に会った。彼は新潟高校へ講演に行くところであった。彼は珍しくハカマをはいていた。私は人のモーニングを借り着していたのである。
 大宮から食堂車がひらいたので、二人で飲みはじめ、越後川口へつくまで、朝の九時から午後二時半まで、飲みつづけたね。二人ともずいぶん酔っていたらしい。越後川口で降りるとき、彼は私の荷物をひッたくッて、急げ急げと先に立って降車口へ案内して、私を無事プラットフォームへ降してくれた。ひどく低いプラットフォームだなア。それに、せまいよ。第一、誰もほかに降りやしない。駅員もいねえや。田舎の停車場はひどいもんだと思っていたが、バイバイと手をふって、汽車が行ってしまうと、私はプラットフォームの反対側の客車と貨物列車の中間に立たされていたのだね。私がそこへ降りたわけじゃなくて、彼が私をそこへ降したのである。親切に重い荷物まで担いでくれてさ。小林さんは、根はやさしくて、親切な人なんだね。

――坂口安吾「小林さんと私のツキアイ」


2014-08-06 21:51:19 | 日記
カープ今夜はナゴヤド
ームで強竜撃破!カー
プ女子が敵地でも熱烈
応援?真っ赤な左翼応
援席に注目▽先発バリ
できれば完投完封勝利
きっと好投見せてくれ
るはず▽今季RCCは
平日全勝中なんです!
和製大砲不在でも堂林
に菊&丸コンビ▽期待
感高まる田中広輔▽感
謝胸に8・6野球中継

http://news.goo.ne.jp/article/jtown/world/jtown-189372.html



柳原白蓮を本当に朝ドラで描こうとしているのか……NHK

2014-08-03 02:25:39 | 文学


細君と「花子とアン」総集編(前編)をみたのだが、結構おもしろかった。文学関係の話なんで、「あまちゃん」みたく楽しめるか不安だったが、結構これはこれで面白いなあ。というか、「蛇にピアス」の吉高由里子を村岡花子として主演に持ってくるところが、既にびっくりしたのであるが、それはわたくしの偏見であるからアレとして。そもそも柳原白蓮を親友として描いているところが勇気があるというか、本気でやるつもりなのであろうか、日本の伯爵家や成金の妾問題を。宮崎滔天とか新人会とか近衛文麿の日中和平工作とか、とかを。しかし、よく考えりゃ、省略の仕方はいろいろとあり得るであろう。むしろ、わたくしが試みて欲しいのは、白蓮の二番目の夫である、炭鉱王・伊藤伝右衛門を主人公にすることである。こちらの方が、我々にとっては非常に未知への挑戦である。日本の階級問題や労働問題のためには、本当は避けて通ることの出来ないことなのではあるまいか。そういえば三番目の夫の宮崎龍介は、中野正剛の東方会に接近したことがあったはずである。村岡花子の戦争協力問題とかより、こっちの方がやっかいな問題のようにわたくしには思われる。いずれにせよ、村岡と柳原を持ってきた時点で、庶民の哀感とか女の悲劇とかいう抽象的な次元とは別のものを描かざるをえないことは確かなのである。アジア主義と社会主義、皇族と革命、これらのからまりあいを描こうとすれば、「あまちゃん」みたくナショナルな記号的な処理をしにくいであろう。

……それはともかく、ハリセンボンの近藤春菜さんはすごいな。天才だな、本当に。

あるいは占領下の犬

2014-08-01 23:51:35 | 文学


「芽むしり仔撃ち」を再読してたんだが、思い出したのは「あるいは裏切りという名の犬」。で、テレビをつけたら、日本のサブカルチャーの起源とか言って、太陽族をなんだか持ち上げるが如き退屈きわまる番組がやっててげんなり。太陽族がまれびとなわけないじゃろが。普通に考えたら、米軍の方がまれびとじゃ。