★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど

2020-06-22 22:10:51 | 文学


東路の道の果てよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間、よひゐなどに、姉、継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。

以前、王朝文学に憧れる物語に憧れる学生がいて、結構優秀であったが、――たしか都会っ子ではなかった。わたくしも、昭和の終わり頃安部公房をよんで「都会はなんかすごいぞ、名前が行方不明になったりするらしいし」と憧れていたが、安部公房が描いたのは、昭和二十年代の東京とか、下手すると戦前の満州であって、結局、文学への憧れを地理的な問題と錯覚していたわたくしは愚かであった。しかし、どうも地理的な距離の果てしなさを知っている人間でないと、真の「憧れ」は存在していないのではないかと思うのだ。

いまはそういう憧れはなくなってしまった。ほんとは人間と人間の距離が縮まったわけではないが、言葉のやりとりなどがその距離を簡単に消してしまう。

この文章は、古今和歌六帖の「東路の道の果てなる常陸のかごとばかりもあひ見てしがな」をふまえ、しかも浮舟の生育地である常陸を意識して、彼女よりももっと「奧」にわたくしいて、都の文学に憧れている、と……。

そういえば、わたくしなんかも常陸に住んでおったのであるが、ある事情でいきなり讃岐に飛んできてしまった。だからいつまでも野暮ったいのであろう。残念なことであるが、物語をよめば野暮ったさが抜けてくるかと言えばそういうことはなく、むしろますます野暮ったくなるのが現実なのである。世の源氏好きを見てみたまえ。だいたい野暮に近い異様なアウラがでている。

それにしても、――周りの女たちは、案外ちゃんと本文の一部を記憶していたような気がするのである。「わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ」という彼女であるが、もはや現実にないような、――すらすらと源氏を暗唱して語るが如きものすごい文人を想像しているんじゃなかろうか。文字の発達でそういう人間が減っていたことは推測されるし……。

わたくしも文章の記憶にはそこそこの自信があったが、最近は怪しい。本文は記憶の底に沈み、憧れでない寂寥が、その本文の残り香からでてきている。

わたくしも、紫の上よりも浮舟の方が好きだ。匂宮を一生馬鹿にできる気がするからだ。

嘘と人にもあらぬ身の上――「蜻蛉日記」の終わり

2020-06-20 18:35:18 | 文学


今年いたうあるるとなくて、はだら雪ふたたび許ぞふりつる。助のついたちのものども、また白馬にものすべきなどものしつるほどに、暮れはつる日にはなりにけり。明日の物、をりまかせつつ、人にまかせなどしておもへば、かうながらへ、今日になりにけるもあさましう、御魂など見るにも、例のつきせぬことにおぼほれてぞはてにける。京のはてなれば、夜いたうふけてぞたたき来なる

考えてみると、紫の上は源氏が若い子の方に行ってしまって大鬱になって死んでしまったが、蜻蛉さんのような末路よりは案外悲惨でないかもしれないのだ。生きているのか死んでいるのか分からない状態こそが、変身の条件だとか言う人もいるけれども、大概そうではない。通い婚の時代の悲劇だとはいえ、似たような絶望が現在もそこここにみられるのはいかなることであろう。

御霊祭には死者の霊が訪ねてくるというが、そんなときにこれまでのボンクラとの思いだか悲しみだかに浸る蜻蛉さんであるが、今年も「果てにける」であるが、ご自身も「果てにける」なのである。ここで、冒頭に帰ってみよう……

かくありし時過ぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経ふ人ありけり。かたちとても人に似ず、心魂もあるにもあらで、かうものの要にもあらであるも、ことはりと思ひつつ、ただ臥し起き明かし暮らすままに、世の中に多かる古物語のはしなどを見れば、世に多かるそらごとだにあり、人にもあらぬ身の上まで書き日記して、めづらしきさまにもありなむ、天下の人の品高きやと問はむためしにもせよかし、とおぼゆるも、過ぎにし年月ごろのこともおぼつかなかりければ、さてありぬべきことなむ多かりける。

「世の中に多かる古物語のはしなどを見れば、世に多かるそらごとだにあり、人にもあらぬ身の上まで書き日記して、めづらしきさまにもありなむ」、この「人にもあらぬ」(人並みでない)というせりふに込められた屈折。古物語のそらごと(虚構性)を批判するために、まことの私ではなく、「人並みでない私」を持ってくる、物語の嘘と拮抗する人並みでない私という重さ。実にいやなものである。人並みでないのは、「平凡」というものではない。平均とも言えない「ない」という否定に覆われている私であり、それが「嘘」に対抗している。

女が、あんなに平気で嘘をつく間は、日本はだめだと思いますが、どうでしょうか。」
「それは、女は、日本ばかりでなく、世界中どこでも同じ事でしょう。しかし、」と私は、頗る軽薄な感想を口走った。
「そのお嫁さんはあなたに惚れてやしませんか?」
 名誉職は笑わずに首をかしげた。それから、まじめにこう答えた。
「そんな事はありません。」とはっきり否定し、そうして、いよいよまじめに(私は過去の十五年間の東京生活で、こんな正直な響きを持った言葉を聞いた事がなかった)小さい溜息さえもらして、「しかし、うちの女房とあの嫁とは、仲が悪かったです。」
 私は微笑した。


――太宰治「嘘」


こういうことをいうやつは自分の意志だか意志でないか分からない死に方をした。蜻蛉さんがどうなったかはわからない。

山霞み渡りて、いとほのかに心すごし

2020-06-19 22:08:40 | 文学


歸りて三日ばかりありて賀茂に詣でたり。雪風いふかたなう降りくらがりてわびしかりしに、風おこりて臥しなやみつるほどに、しもつきにもなりぬ。しはすも過ぎにけり。十五日なびあり。大夫の雜色のをのこどもなびすとて騷ぐを聞けば、やうやうゑひ過ぎて、「あなかまや」などいふ聲聞ゆる。をかしさに、やをら端の方に立ち出でゝ、見出したれば、月いとをかしかりけり。ひんがしざまにうち見やりたれば、山霞み渡りて、いとほのかに心すごし。柱により立ちて思はぬ山など思ひ立てれば、八月より絕えにし人はかなくてむつきにぞなりぬるかしと覺ゆるまゝに、淚ぞさくりもよゝにこぼるまで、
  もろ聲に鳴くべきものを鶯はむつきともまだ知らずやあるらむ
とおぼえたり。


枕草子とはちがい、山霞みは、蜻蛉さんのこころを茫洋としたモノと化している。涙が自動機械のように出てくる。
 「わたしと一緒に鳴いてくれる鶯は、春が来たことを知らないのだろう。じぶんは独りで泣くしかない」

ついに鶯や山の霞の方が動きと心があるみたいなことになっているわけだ。むろん、こんなことはありふれた出来事だ。

今日は、漱石の「第三夜」を90分解説したが――、「第三夜」は思っていたよりはるかに高度な内容だった。蜻蛉さんもはやく肩に闇の中で彼女自身をすべて照らし出す存在を見出すべきであった。蜻蛉さんは、自分よりもボンクラに主体を預けてしまってるのがいかん。「浮雲」の主人公でさえ、他者の感情の変数でありながら、上下運動をすることでかろうじて自分を保つ。やはりわたくしは、近代は必要だったとおもうのであった。

2020-06-18 23:36:47 | 文学


九月になりて、まだしきに格子をあげて見いだしたれば、内なるにも外なるにも川霧たちわたりて、ふもとも見えぬ山の見やられたるも、いとものがなしうて、
  ながれての床とたのみてこしかども 我がなかがははあせにけらしも
とぞいはれける。


夫婦仲は絶えないだろうと頼みにしてきた。しかし中川の水が涸れる如くに、私たちの中も遠くなってしまったらしいのだ。――というような歌である。蜻蛉さんは転居した。こういう場合は、離婚ではないかもしれないけれども、もう「床」の関係はないということである。

病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限つて居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪にさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。年が年中、しかも六年の間世間も知らずに寐て居た病人の感じは先づこんなものですと前置きして

――正岡子規「病床六尺」


同じ床といっても、こうなると早く離れたくてしかたがないのであるが、どうしようもない。死の床なのだ。蜻蛉さんはボンクラがいのちの一生であったような書きぶりであり、――実際はそんなこともないのであろうが――。もっとも、蜻蛉さんのような和歌の才能がなかった人々はたくさんいたわけであり、言葉がない苦しみはいかほどであったろう。蜻蛉さんも子規も言葉の人であるから苦しみも独特なんだろうが……

二人の心

2020-06-17 23:16:27 | 文学


さてれいのもの思ひは、この月も時々同じやうなり。二十日の程に「遠うものする人にとらせむ。この餌袋の內に袋結びて」とあれば、結ぶほどに出で來にたりや。「歌を一重袋に入れ給へ。こゝにいとなやましうて、え讀むまじ」とあれば、いとをかしうて「のたまへる物ある限り讀み入れて奉るをもしもりやうせむ。こと袋をぞ給はまし」とものしつ。二日ばかりありて、心ちのいと苦しうても、事久しければなむ、ひとへ袋といひたりしものを、わびてかくなむものしたりし。返しかうかうなどあまた書きつけて、「いとようさだめて給へ」とて、雨もよにあれば、少し情ある心ちして待ち見る。劣り優りは見ゆれど、さかしうことわらむも、あいなくてかうものしけり、
 うちとのみ風の心をよすめれば返しは吹くも劣るらむかし
とばかりぞものしける。


蜻蛉さんは、平安朝の和歌の天才の中でも指折りのひとであって、ボンクラはときどき和歌をかわりにつくってもらっていたのであろう。上の場面でも、遠方にゆくひとに送ろうと思うんで、餌袋の中の内袋にいっぱい歌を入れておいて、とか、お前は遠足の前にポケットに飴を入れておいてと頼む小学生かっ、と思うのであるが、――蜻蛉さんがプロ意識に目覚めて「別の袋を用意すれば、もっといっぱい詠んでやりますわ」といってしまった。で二日たったところ、「気分が悪いんだ、きみが手間取っているから、しかたくなくこのように詠んで送ったよ。返歌はこれだよ」とか言ってよこすボンクラ。「どちらが上手か決めてよ、蜻蛉さん」とまで言ってくる。

蜻蛉さんは、「まあ優劣についてはいろいろあるけど、偉そうに判定するのもなんなので、こう返してやった」というのだ。「東風(こち)ばかり風が味方して吹くみたいなんで、返しの風は劣っているようですわね。私があなたを贔屓する心がそうさせてんでしょうね」

わたくしは、いま悟った。

蜻蛉さんの性格はボンクラのあほさに匹敵する程イジワルだ。インテリ女に惚れられてちょっと困惑しているのに、ナニカアルたびに「あなた、頭が悪いわね」と言ってくるのだ。ボンクラも可愛そうかも知れない。

宇野浩二が昭和24年の『文藝春秋』で、「御前文学会議」という、昭和天皇に斎藤茂吉などと一緒にご進講したときの文章を書いている。そのなかの、斎藤茂吉との緊張関係が面白いが、後半、茂吉が、賀茂真淵の「古の世の歌は人の真心なり。後の世の歌は人の作為なり。」という言葉を呟いて、天皇の前で「独り『悦』に入つているやう」だったと述べている。

確かに、万葉を持ち上げた賀茂真淵は少し狂っているんだろうし、そこに勝手にシンクロしている茂吉もおかしいのであろうが、――時代は、安吾が堕落せよみたいなことを言い、太宰が「グッド・バイ」で女にぶん殴られる時代だ。確かにそこに「人の真心」みたいなものの模索があったことは確かだと思うのである。蜻蛉さんにもボンクラにも真心はある。むしろ作為的なのは源氏の方かも知れない。わたくしが、戦時下に源氏を訳した谷崎になにかひっかかりを覚えるのはそのせいである。

神社の効用

2020-06-16 23:03:18 | 文学


おほやけには、例の、そのころ八幡のまつりになりぬ。つれづれなるをとて、しのびやかに立てれば、ことにはなやかにていみじう追ひちらすもの来。たれならむとみれば、御前どもの中に例みゆる人などあり。さなりけりと思ひてみるにも、まして我が身いとはしき心ちす。簾まきあげ、下すだれおしはさみたれば、おぼつかなきこともなし。この車を見つけて、ふと扇をさしかくしてわたりぬ。

お祭りだと、つれづれなのに出て行ってしまう我々の心の悲しさよ。そんなところに出て行けば、ボンクラと会うに違いない。いや、それが分かっているから行ってしまったと言うべきか。威勢よく先払いをしてくるものあり――ボンクラである。蜻蛉さんは惨めになるだけである。さて、そろそろ、蜻蛉さんも悪霊なんかになってボンクラの寝所を襲ったりするべきではないかとも思うんだが、蜻蛉さんは教養あふれんばかりの人なのに、寺に行って、仏教そのものに余り興味がないようだし(しらんけど)、八幡神についても興味がなさそうである。そもそもボンクラなんかより、寺や神社について調べたりする方が面白そうである。わたくしだったら、一日中、神社をめぐって記録をとってしまう。この時代の地方には、さぞ面白いものが祀ってあったに違いないぞ……

ボンクラがさっと扇で顔を隠して通り過ぎたので、蜻蛉さんはもうそれだけ鬱である。

正面に社殿が黒くぼつと見えて來た、前に張られた七五三飾が、繩は見えないで、御幣の紙だけ白く並んで下つて居るのが見える、社殿の後は木立が低いので空があらはれた、左右の松木立の隙間にあらはれた空の色が面白い、薄い茶色に少しく紫を含んだ、極めて感じのよい色である、油繪にもかういふ色は未だ見ない、西洋の寫眞にこういふ色を見ることがある、西燒のあかりが未だ空全體に映つてゐるのであらふ、松林にまじつてゐる冬木が幾分の落葉を殘してゐてほんのりとした梢の趣が其空の色と調和がよい油繪が出來たらなアと思う、空の色がよいなと思つた眼を稍下へ見下げると、社殿の右手の木立が西あかりを受けてかあたりが一體にあかるい、其あかるいのに何となし光がある樣に思はれる、不折君の所謂繪具の光といふことなど思ひだす、あたり一面に色ある落葉が散つてゐる、がさがさ落葉を蹈みちらして進む、拜殿の柱に張つた七五三と思つたは、社殿二間ほど前に兩側にある松に張つてあるのであつた、松の根にある唐獅子は只黒ずんで見える許り目も鼻も判らぬ、臺石に點々色がある、落葉かと思つて眼を寄せて見れば黒ボクの石の隅々をついだシツクイであつた、二人社前に正立し帽を脱て默拜した後右手へ廻る。

――伊藤左千夫「八幡の森」


鎮守の森がいいと思うのは、もはや神様なんかはどうでもよくなってくることだ。自然が神だとか賢しらなことを言う人もいるのだが、どうみても、鎮守の森は鬱状態になった人間の治療場所だと思う。ときどき、旅人を生贄にしたりする風習があって、ある種の集団的な治療に使ったような話も聞かないではないのだが。――そして、これが重要なのだが、それで治らないだけでなく、治ったふりをしなければならなかったのである。

リアリティの種類

2020-06-14 23:23:07 | 文学


  思ひそめ物をこそおもへ今日よりはあふひ遙になりやしぬらむ
とてやりたるに、さらにおぼえずなどいひけむかし。されど、又、
  わりなくもすぎ立ちにける心かな三輪の山もとたづねはじめて
といひやりけり。大和立つ人なるべし。かへし、
  三輪の山まち見る事のゆゝしさに杉立てりともえこそ知らせね
となむ。


ついに色気づいてしまった道綱君である。父親は国のお偉方、母親は有名な歌人――こんな状況ではすごく生きるのが大変であろうと下々マインドが身についているわたくしなんかは思うのであるが、そうでもないかもしれない。親が成功者の場合、どうやればそうなるというのが一応見えており、それを基盤として自分の道を親への反発みたいなものとは別個に考えることができそうである。親に対する低評価による反発という感情は非常に厄介で、反発はその対象を乗り越える手立てをかんがえることとは全く別物であるという思考がなかなか働かない。親に反発していたら、親よりもダメになってしまうことがあり得るのである。当たり前のことだが、社会改革と同じく、反発を覚えているだけでは物事は好転しないのであった。

――それはともかく、道綱氏はがんばって惚れた女に和歌を繰り出す。しかし、最後は、三輪山伝説の蛇あつかいされてしまった。確かに、この時代の男女関係は本当に賭けみたいなところがあって、それゆえ、和歌や物語をつくるような妄想力が発達してしまったのだともおもうのである。三輪山の蛇神はその意味で、非常にリアリティがあったにちがいない。だから、生身の相手に出会ったときには違った感慨があったはずである。もしかしたら、現実と虚構の関係は、リアリティの観点ではいまと反対であったのかも知れない。もっとも、恋愛というのは、そういうところがある。二次元の方がよいと思っているのは、近代の「リアリティ現実主義」をひっくり返しただけで、むしろ現実の方に二次元的な興奮があるというべきであった。

宇野常寛氏の『遅いインターネット』のなかで、いま必要なのは共同幻想からの自立ではなく、自己幻想からの自立だという主張が出てくる。確かにネットの世界は、吉本の三つの幻想が、それぞれと逆立せずに自己幻想のタイムラインの中で融解している印象がある。だからインターネットの速度を落として自己マネジメントをできる速度を取り戻すべきということになる。わたしもなんとなく気分は分かる主張である。だから、わたくしなんかは文章自体の速度を落とす努力をしている。宇野氏なんかは文章が速すぎて、――たぶん彼自身よりも論理が速くて彼自身が追いつかない。これこそ、インターネット的であるように思うのである。我々は、インターネットを遅くするのではなく、インターネットでものを考えるのを止めるべきなのではないだろうか。

「誰がすけべえ爺か。もっとはっきり言うてみ。人間にはそれぞれ個人の事情というものがあるんだ。人の事情も知らないくせに、勝手なことをほざくな」

――木山捷平「苦いお茶」


これは満州で世話になった娘が戦後その世話になった男(正介)に出会ってお茶を飲んでいると、学生に冷やかされ、それに対して娘が反論するところだ。このような発言は内容は陳腐なので、インターネットのような空間では消費されてしまうが、お外の世界ではまったく違う。我々はものを考えるときに、現実で生きる言葉とそうでない言葉の関係を、インターネットでは忘れてしまう。わたくしの考えでは、吉本隆明なんかも、その文章の長さが辛うじて現実への回帰を果たす機能をしていたのである。

孤児を泣く帰趨

2020-06-13 23:38:06 | 文学


聞きつる年よりもいと小さう、いふかひなく幼げなり。近う呼び寄せて、「立て」とて立てたれば、丈四尺ばかりにて、髪は落ちたるにやあらむ、裾そぎたるここちして、丈に四寸ばかりぞ足らぬ。いとらうたげにて、頭つきをかしげにて、様体いとあてはかなり。見て、「あはれ、いとらうたげなめり。たが子ぞ。なほ言へ言へ」とあれば、恥なかめるを、さはれ、あらはしてむと思ひて、「さは、らうたしと見給ふや。きこえてむ」と言へば、まして責めらる。
「あなかしがまし。御子ぞかし」と言ふに、驚きて、「いかにいかに。いづれぞ」とあれど、とみに言はねば、「もし、ささの所にありと聞きしか」とあれば、「さなめり」とものするに、「いといみじきことかな。今ははふれうせにけむとこそ見しか。かうなるまで見ざりけることよ」とてうち泣かれぬ。この子もいかに思ふにかあらむ。うちうつびして泣きゐたり。見る人も、あはれに昔物語のやうなれば、みな泣きぬ。


井上ひさしの「あくる朝の蝉」なんかをつい思い出してしまったが、これにくらべていかにもな場面である。子どもをなんだと思ってやがる。我が国は、「家」意識がかなり希薄なくせに、先祖が誰であるかに異様に拘る人々がいるが、どうも――自分の父親が誰なのかわからない人間がなんやかんやと語る、そんな不幸な出来事が多く生起してきたのかもしれない。上の場面のように、子どもの口はふさがれていた場合が多いだろうから余計、大きく係累を語る人間がでてしまうわけである。芥川龍之介の「捨児」なんか、そういう語りが、大して攻撃的ではないが職業差別みたいなものを生んでいる心理を描いている。

昨日、「バックトゥーザフューチャー」というのをテレビで少し観た。考えてみると、未来にゆくのに政治的、理想主義的な興味があったウェルズのタイムマシンの主人公に比べてなんというちっちぇもの(自分の両親)を観に行ってしまったかという感じであるが、このころのアメリカは自分の出自(音楽などの文化をふくむ)を確かめなければ不安でしょうがなかったのである。タネンみたいなやつの天下になるのは予感としてあり、現にそうなったわけだ。だいたい、アメリカはその前からそんな大した国ではなかったではないか。短いスパンの過去への遡行は良くも悪くも自己満足でしかありえない。スピルバークはそのことに意識的だったろうが、作品を楽しむ人間はすぐスパンの存在を忘却しはじめる。

だから、わたくしは、日本だってオリンピック(すごい日本)を反復しようとする頓馬は問題外として、第二次大戦のダメな日本(敗戦)に遡行しても不十分であり、もっともっと先に遡行する必要があると思っているのである。

小西甚一は『古文の読解』で、設問は常に本文全体を背景とする、というようなことを言っていた。これはよい教えである。我々は周囲を勝手に範囲指定することばかり覚えている。蜻蛉さんの日記の欠点もたぶんおなじことで、場面の範囲設定に執心した結果、生み出される感情に限りが出ている。これを場面のバリエーションで打ち破ったのが『源氏物語』ではなかろうか。で、光源氏の光背には多くの場面がうごめく結果となった。

「太刀とくよ」とあれば

2020-06-12 23:47:06 | 文学


あくれば二月にもなりぬめり。雨いとのどかにふるなり。格子などあげつれど、例のやうに心あわただしからぬは、雨のするなめり。されどとまるかたは思ひかけられず。と許ありて、「男どもはまゐりにたりや」などいひて、起きいでて、なよよかならぬ直衣、しほれよいほどなるかいねりの袿ひとかさねたれながら、帯ゆるるかにてあゆみいづるに、人々「御かゆ」などけしきばむめれば、「例くはぬものなれば、なにかはなにに」と心よげにうちいひて、「太刀とくよ」とあれば、大夫とりて簀子にかたひざつきてゐたり。のどかにあゆみいでて見まはして、「前栽をらうがはしく焼きためるかな」などあり。


谷川俊太郎の詩でかっこ悪かったベートーベンについてのものがあって、最後が「かっこよすぎるカラヤン」で落ちている。ここのボンクラは「かっこよすぎる兼家」であって、いまや出世山道の頂きに至ろうとするボンクラはボンクラのくせに輝いている。――というか、蜻蛉さんが惚れているからしょうがない。せっかくおかゆを出してあげているのに「いつも食べないからいらないよ」とか、お前は中学生男子かよ。3時頃になったらラーメン2杯はイケルくせに今食っとけ。「太刀を早く」じゃねえよ、この浮気野郎。ゆったりと歩み出し「植え込みの枯れ草を乱雑に焼いたねえ」とか言っている。じゃあお前が焼けよ。――みたいな風景を突き放した視線の、しかも明らかに惚れた女の目で眺めている蜻蛉さんであった。

太刀か何かは見えなかったか? いえ、何もございません。ただその側の杉の根がたに、縄が一筋落ちて居りました。それから、――そうそう、縄のほかにも櫛が一つございました。死骸のまわりにあったものは、この二つぎりでございます。

――芥川龍之介「藪の中」


「藪の中」でかなり重要なモノは「太刀」であった。こんなものがなければ、――いやこんなものがあっても、証言はそれぞれ違うのであろうが、もっといやらしい人間的なものを、取り調べの役人たちは聞いたであろう。言うまでもなく、蜻蛉さんたちだって、ボンクラの太刀の存在あっての態度形成なのだ。

不愉快今昔物語

2020-06-11 23:17:49 | 文学


また、つごもりの日ばかりに「何事かある。騒がしうてなむ。などか音をだに。つらし」など、果ては言はむことのなさやらむ、さかさまごとぞある。今日も、みづからは思ひかけられぬなめリと思へば、返りごとに、「御前申しこそ、御いとまのひまなかべか めれど、あいなけれ」とばかりものしつ。

「果ては言はむことのなさやらむ、さかさまごとぞある。」(しまいにゃ言うことがなくなったらしく、逆恨みである)と蜻蛉さんは案外元気である。思い切ってしまえば、あとはシャットアウトに特化してがんばることができるのだ。

追い詰められたら、案外やることはきまっているものである。

「陛下のお相手で暇なしでしょうが、わたしは不愉快です」と返す蜻蛉さんは、もはや天皇と自分を天秤にかけるレトリックを繰り出す。恐いものなしである。

職業として私は英語を教へてゐるから、そこに起る二重生活が不愉快で、しかもその不愉快を超越するのは全然物質的の問題だが、生憎それが現代の日本では当分解決されさうもない以上、永久に我々はこの不愉快な生存を続けて行く外はないと云ふ位な、甚平凡な事になつてしまひます。

――芥川龍之介「永久に不愉快な二重生活」


同じ不愉快でも、不快でもこちらは自分から動いてしまう不愉快である。我々は不愉快を自分のせいにするしかない仕組みに悩まされており、この二重性にとらわれないものならなんでも肯定してしまうという傾向にある。問題は、この二重生活に悩む人間が、それを解消すると、何に苦悩していいのか分からなくなるということである。芥川龍之介だってその傾きがあったのだから一般の人間なんかひとたまりもない。