風も弱くなり、陽射しのある中を歩いてきた。リュックには用心のために折りたたみの杖を入れた。
穏やかな丘陵の尾根道を4500歩ほど歩いて、便所のある公園のベンチで一休み。さらにダラダラと続く下り坂を3000歩ほど。ハンバーガーの店を見つけホットコーヒーで一服しながら読書タイム。
横浜駅界隈や近くのターミナル駅周辺で商業施設の中を歩くのに比べると格段に気分がよくなる。温かい陽射しもあり、厚手のダウンのコートでは汗をかいた。
帰りは地下鉄を利用した。帰宅してみるとちょうど9000歩。階段や急坂は少しつらかったが、尾根道は景色もよく、快適に歩くことが出来た。膝の痛みは階段以外では感じなかった。
本日の夕食は近くの店で食べることにして、これより再び外出。往復すると1万歩を大きく超えることになる。
無理なく軽いウォーキングの目途がたったような気分である。ただし明日は用心してあまり歩かないようにしたい。もっとも中華街での新年会なので、歩き回ることはないと思われる。
本日は急遽妻に曳かれてまずは港北区の菊名池公園に接してある弁財天へ。港北七福神のひとつと称している。
朱印帳などもあるようで、思った以上に人が多かった。社務所などはなく、机を台にして朱印を押して貰っていた。日当たりの悪い場所なので、朱印を押したり、墨で社名を記載する人はかなり寒い思いをしているようだった。
幾度かこの公園は訪れたことがあるし、見たこともあるかもしれないが、七福神のひとつだったという認識をしていなかった。
近くの喫茶店で温かいコーヒーを喫して、すぐそばの妙蓮寺の本堂を訪れた。本堂では「御会式桜」という標識のある桜の木が小さな花をたくさんつけており、山茶花に混じっていて、不思議な光景であった。初めて見る桜である。
この妙蓮寺はお葬式で数度境内に入ったことがあるが、本堂を間近で観たのは始めであった。
次に六角橋の交差点のそばにあるスーパーの駐車場の奥にあるという布袋と福禄寿の大きな石像を眺めてきた。
由緒・謂れはわからないが、ネットでの情報ではこのスーパーができる数十年前に銭湯があり、その前にあったものを移したものらしい。
大きな石の台座の上に私の身長ほどもあり、表情もなかなかいい立派なものである。いかにも「ご利益」や「家内安全」の霊験がありそうな石像であった。
すでに薄暗くなりよく見えなかったが、水路敷を示す境界杭らしいものがあり、奥まで続いている水路敷に面しているように思えたが、正確なことはわからない。
こんな立派なものが物置のようなところに押し込まれているのは少々もったいないと思えた。
由緒書きもないのがとても寂しかった。七福神の内、まとまっていないが、3体の像を見て、本日の散歩は終了。
本日の鎌倉散策は、40名を超える参加で、北鎌倉から東慶寺-亀ヶ谷切通し-岩堀地蔵-海蔵寺-英勝寺-寿福寺-鎌倉駅のいうコース。5千歩余りかという私の予測を超え、1万歩余りとなった。
心配であった天気はなんとか降らずに済んだ。しかし強風・雷・波浪注意報が出ていた。厚い曇が空を覆い、そして切通しの崖の上では南風が舞って紅葉を散らしていた。
北鎌倉駅からは杖を突いて参加。途中で立ち寄ったお寺の中の散策は、私は半分はカット。椅子に座って待っていた。特に急な石段のあるところは今回は遠慮した。歩けないことはないと思われたが、無理はしないことに決めていた。
鎌倉駅では御成通りの入口近くにあるお好み焼きの「津久井」に18名で入り、呑み会。少々飲みすぎ・食べ過ぎであった。生ビール2杯のあとの焼酎の水割りが想定よりも濃く、かなり効いた。
寝過ごすことなく横浜で下車。近くのバス停で降りるとちょうど雨が降り始めた。あと3分ほどで玄関に辿り着くという時に、傘を出す時間もなく、あっという間に大粒の極めて強い雨に変わった。ウィンドブレーカーとズボンはびしょびしょになってしまった。リュックはカバーを掛けていたので中は濡れずに済んだ。傘を出しているとかえってひどく濡れてしまう。走れない足を引きずりながら早足で玄関に辿り着いた。
この早足のために酔いがまわり、着替えてすぐにベッドでダウン。妻に呆れられている。
午後からは横浜駅までバス、そのあとはJRの改札内に入ったところ、東海道線の上りがたまたま入線したようなので、そのまま新橋駅まで乗ってみた。パナソニック汐留美術館の「神坂雪佳」展は29日からなので、諦めて途中から引き返した。ぶらぶら無計画散歩はたいていこういうことになる。
今度は夕方の帰宅ラッシュがボチボチ始まり込み始めた京浜東北線で川崎駅に戻り、南武線で武蔵小杉駅まで。西口界隈を目的もなく3000歩ほど彷徨い、東横線で横浜駅に戻った。そのままバスにて帰宅。帰宅してみると6000歩ほど。
南武線の途中、ハナミズキの紅葉が眼について箇所があったが、どこだったか。武蔵小杉駅から日吉駅までの間、西日と富士山が夕焼けで美しく輝いていた。
夕食後、退職者会ニュースの記事を一つ仕上げた。これで裏面はとりあえず完了。あとはおもて面の記事二つが残っている。面積で言えば82%完成といったところ。これは明日・明後日のうちに仕上げたいものである。
明日も特に外出する予定はない。
実に楽しい午後のハイキングであった。最近の毎日のウォーキングの歩数の7000歩の倍にあたる14000歩余りも歩いた。ゆっくり歩いたくれたので、膝に異常は感じないで歩きとおすことが出来た。
15年ぶりの港南区の古道歩き、それなりに景観が変わっているところ、変わっていないところ、見つけるのが楽しい。また思い出すのに時間がかかったのは致し方のないところだが、自分の記憶力が曖昧であることがちょっぴりショックでもあった。
古い港南区が残っている景観、新しい町並みとして作られた港南区、マンションの並ぶ地区、戸建ての並ぶ住宅地区、農専区域の広がる地区、商業地区など港南区のさまざまな貌を縫うようにして歩くことが出来た。メインは武相国境沿いの道、鎌倉古道の下の道である。
最後に辿り着いた場所は、私が長年勤めていた場所。一番悲しいのは、自分が23歳から33年間も勤めた建物が解体され、更地になってしまったこと。建物が建ってすぐに引っ越して開所に携わった。組織は別の場所に丸ごと移転し、機能はそのまま残っている。しかし敷地と建物の利用計画から備品のひとつひとつに、樹木の1本1本に思い出があった。サラリーマンの宿命かもしれないが、寂しいものである。
解体され更地になった場所の写真、撮影する気力が湧かなかった。数か月前にも地下鉄の駅のホームから見下ろして、感慨深いものがあった。もう少しして気分が落ち着いたら、新しい建物が立つ前に、更地であるうちに撮影しておきたい。
こういうハイキングを企画をしてくれた友人に心から感謝である。
12時直前に家を出るまでの閑、昨晩に続いて「名画がうまれるとき」に眼を通している。間もなく正午。久しぶりにJRにて港南区まで出向く。だいぶご無沙汰している区内を2時間か3時間で歩くと思われる。
楽しみな企画である。地質年代の講義や、中世・近世の道の歴史についてもいろいろと議論と実地での検証ができる。頭の体操にも、地学の復習にも、歴史の勉強にもなる。
夕食後、退職者会ニュースの原稿づくりを少しだけ再開した。3つの記事を仕上げ、別の記事の写真を4枚ほど貼りつけた。これにて本日の作業は終了。しかしまだまだ完成にはほど遠い。
明日は友人と横浜市内で1万歩程度のハイキングに挑戦。まだまだ恐々の試運転の段階である。天気は良いようで、最高気温も25℃とひょっとしたら汗ばむ程度。膝の痛みが出ないように祈るだけでは迷惑もかかるので、一応2回分の鎮痛剤は持参する。リュックもできるだけ軽くしていきたい。むろん杖は持参。
終了後は軽く居酒屋で寛ぐ予定。皆退職者会のようには呑まない仲間である。
30分ほど前に帰宅。横浜駅を本日の朝7時15分にバスで出発、バスで再び横浜駅に戻ったのがちょうど19時。ちょうど12時間のバス旅行は40名近くが全員無事に出発点に戻ってきた。
横浜を出発してから、静岡県を走る岳南鉄道の岳南江尾駅から吉原駅まで体験乗車。鉄道ファンのオジイサン達もはしゃいで満足していた。
その後、静岡県立の富士山世界遺産センターを訪問、遅い昼食後、「かんなみ仏の里美術館」を訪れ、最後に明太パークで旅行支援クーポンを使い切った。
コロナ禍でバス旅行が3年もの間中止となっていたので、高齢者の集まりである退職者会という割にはおおいに呑み、おおいに議論し、おおいに騒いで楽しめたようだ。
さらに横浜駅について、二次会も開催。10人近くで21時過ぎまで二次会が続いた。
本日は疲労困憊。ブログの更新はこの記事のみ。詳しくは後日にアップ予定。
本日は快晴。湿度も低くさわやか。久しぶりに洗濯物も気持ちよく乾いたようだ。私は久しぶりにフラワー緑道まで出かけてみた。
歩いて行こうと思ったが、本日は杖を突かずに歩く練習をしたくて、バスにて近くのバス停まで行くつもりだった。しかしバスで座席に座ってボーッとしているうちに途中下車を忘れて横浜駅まで行ってしまった。
バス停二つを歩いてもどり、強い日差しに汗ばみながら幾枚かシャッターを押してみた。
帰りは再びバスに乗って横浜駅まで。オフィス街にある安い喫茶店はそれほどの混雑ではなく、多少の読書が出来た。「「海の民」の日本神話」の第5章を少々。
帰宅してみると歩いた歩数は7000歩ほど。杖は突かなかったが、やはりゆっくり歩き、しかも階段の昇り降りは数段でも手摺りのお世話にならないと無理であった。本日は太腿と脹脛の筋肉の凝りをほぐすように、風呂の中でのマッサージと湿布薬のお世話にならざるを得ない。