NHKのFM放送でチャイコフスキーの「交響曲第5番」を聴いた。管弦楽はギリシャ国立交響楽団、指揮はミハリス・エコノム。演奏も指揮者も初めて耳にする名である。重々しさよりもどちらかというと軽快さを感じる演奏であった。
重々しく、ひきづるような出だしの演奏が流通しているが、このような演奏がとても新鮮に聴こえる。ただし私の好みではない。
チャイコフスキーの交響曲第5番も実に久しぶりである。昔はこの曲がとても気に入っていて一日に何回もレコードをかけて聴いていた。学生時代はアパートの一室に籠ってチャイコフスキー三昧という日も多々あったことを思い出す。
ロシアの暗い近代化の歴史と、ロシア革命前史のさまざま政治運動などの書物を読みながらチャイコフスキーを聴いていた。
この曲はチャイコフスキーが48歳、1888年に作られた。冒頭の「運命の動機」といわれるものもいいが、第二楽章のホルンのソロとそれに続くオーボエによる第二主題が忘れられない。
チャイコフスキーとナロードニキとの接点はないし、ナロードニキによる1981年の皇帝アレクサンドル2世の暗殺がチャイコフスキーにどのような影響を与えたのか、資料を読んでも分からない。親交を結んでいたリムスキー・コルサコフは当時の政府に批判的で革命運動に理解を示している。こんな時代背景を思い浮かべながらこの曲を聴くと、全曲に執拗に繰り返される「運命の動機」が暗くとてつもなく重い重石のように思われてくる。
第4楽章で明るく「勝利感」のある曲ということになっているが、果たしてそのとおりなのだろうか。この軽快なコーダは嵐の前のいっときの陽ざしにように刹那的と私には思える。
重々しく、ひきづるような出だしの演奏が流通しているが、このような演奏がとても新鮮に聴こえる。ただし私の好みではない。
チャイコフスキーの交響曲第5番も実に久しぶりである。昔はこの曲がとても気に入っていて一日に何回もレコードをかけて聴いていた。学生時代はアパートの一室に籠ってチャイコフスキー三昧という日も多々あったことを思い出す。
ロシアの暗い近代化の歴史と、ロシア革命前史のさまざま政治運動などの書物を読みながらチャイコフスキーを聴いていた。
この曲はチャイコフスキーが48歳、1888年に作られた。冒頭の「運命の動機」といわれるものもいいが、第二楽章のホルンのソロとそれに続くオーボエによる第二主題が忘れられない。
チャイコフスキーとナロードニキとの接点はないし、ナロードニキによる1981年の皇帝アレクサンドル2世の暗殺がチャイコフスキーにどのような影響を与えたのか、資料を読んでも分からない。親交を結んでいたリムスキー・コルサコフは当時の政府に批判的で革命運動に理解を示している。こんな時代背景を思い浮かべながらこの曲を聴くと、全曲に執拗に繰り返される「運命の動機」が暗くとてつもなく重い重石のように思われてくる。
第4楽章で明るく「勝利感」のある曲ということになっているが、果たしてそのとおりなのだろうか。この軽快なコーダは嵐の前のいっときの陽ざしにように刹那的と私には思える。