Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

薔薇の句

2017年05月21日 22時52分31秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 夕食後、退職者会のホームページに記事を1本アップして本日の業務は終了。

★薔薇散るや音なき音を重ねては   日下野仁美
★薔薇散つて昨日より今日遠くなる  加藤楸邨
★全輸血了りぬ薔薇を換へくれぬ   石田波郷
★咲き切って薔薇の容を超えけるも  中村草田男


 今回の薔薇の句の中では、第三句の石田波郷の句が一番生々しく、鬼気迫る。薔薇の赤い色と輸血の血の色が重なって眼前に見えてくる。薔薇の花が新しいものに変えられ、花の色に生気がもどるように、輸血によって体に力が満ちてきたのであろうか。私には輸血をした体験がないので、輸血を受けた時の気分はわからないが、このような気分なのだろうか。あるいはそのように思われるだけなのだろうか。肺結核で入退院を繰り返した石田波郷の生への執念までも感じる句である。


天気は初夏のすばらしさだが‥

2017年05月21日 21時19分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日も気温は高くなるとの予報。横浜でも30℃という。14時から団地の管理組合の会議。16時までの予定で、何とか終了。
 とてもいい天気である。外を歩きたいとは思っているものの、この会議があるので、出かけることも出来ず、なんとなく時間が過ぎていくのを待っていた。
 管理組合の業務を、年がわりで順番でやらなくてはいけないということは頭の中で了解してはいるが、なかなか気分の上ではうまく着地しない。
 こんな気分をこれから2年間引きづると思うとつらい。気分が暗く落ち込んだまま2年間も関わると、私自身の精神上も、周囲にもかんばしくない。ということで気分を高めてこなさなくてはいけない。

 明日は、いくつかの宿題を片付けながら図書館へ先々週借りた本をいったん返却に行かなければならない。ほとんど読んでいないのに、貸出期限か来てしまった。もともと読み終えるのが難しい2週間であった。



「ミュシャ展」から 4

2017年05月21日 11時30分22秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 スラヴ叙事詩の15番目の作品、「イヴァンチツェの兄弟団学校-クラリツェ聖書の印刷」という題となっている。この学校は非カトリックでこの地で聖書がチェコ語に翻訳され、近くの「クラリツェ要塞」で印刷された。イヴァンチツェはミュシャの生誕の地でもあり、左下に描かれている老いた盲人の横に座っている若者がミュシャ自身の若い頃の姿といわれる。解説では若者は盲人に聖書を読んで聞かせせいると記されているが、その視線は聖書ではなく、鑑賞者のほうを見つめている。その眼光はとても鋭い。
 解説によると場面は学校の風景と収穫作業にいそしむ農民の姿が描かれているという。風景画のようでもあり、これまでの戦いなどの場面からすると少し散漫な情景に見える。収穫の時期とすると明るい太陽の光は暖かい秋の陽ざしである。空の雲の白と青空、教会の尖塔の白も印象深い。
 この平和な風景は、40年後には「チェコが主権を失う」悲劇とその後に続くハプスブルグ王朝の抑圧を前にした一刻の「平穏」ということになる。
 若者ミュシャの鋭い眼光はこの苦難に翻弄される民衆を予告している眼なのであろう。ミュシャの眼は、為政者や軍人に向かうことはない。一般化され、理念化された「民衆像」に過ぎないのかもしれないが、しかし私はそのベクトルの向きには共感はある。