昨晩は2時までパソコンの前に陣取って作業を継続した。なんとか裏面を95%完成。おもて面も15%ほど出来た。
しかし2時半近くに布団に入ってもからだが冷えて、なかなか寝付けなかった。4時ころまで起きていたことは記憶している。その後ようやく寝入って、妻に起こされたのが10時。私のが寝付いた時間を知らない妻は、体の具合でも悪いのかと心配したらしい。
本日は11時から作業を再開、裏面をなんとか仕上げた。裏面だけでも他の役員に送信して、チェックをしてもらうことにした。
寝付けずに悶々としている時間というのは、気分的にはとてもつらい。どうして眠れないのか、夜が明けてしまわないか、などという不安が頭の中を占領してしまう。不思議なことにこの悶々としている時間というのは、自分の時間感覚よりもずっと進むのが遅い。もう1時間も悶々としている、と思って時計を見ても30分も経っていない。15分が1時間以上に感じているときもある。
眠れなくとも横になっているだけで体は休まる、と人はよく言う。私も妻や親が「眠れない」とつらそうなときに同じように枕元で言った記憶がある。しかし当人は寝ようとして寝られないこの悶々としている時間というのはとてもつらいのである。精神的なつらさだけでなく、肉体的にもとても体力を消耗しているときがある。手足の筋肉の緊張が取れなかったり、そればかりか背中の筋肉まで硬直しそうなときもある。
「眠らなくてはいけない」というような脅迫的な観念がない場合は、じっと上を向いて目を瞑っているだけでいつの間にか寝ている時もある。寝るまでに長時間かかったとしても、そのような観念が無ければ、確かに横になっているだけで休まることもある。
だが、そのようなゆとりが或る時だけではない。翌日に何か予定があると、その予定をスムーズにこなすためには早く寝て、すっきりと寝覚めたいという思いが悶々としている間にどんどん大きくわが身にのしかかってきて、強迫観念として私を追いつめてくる。
こうなると最悪である。ますます眠りが遠くなるように感じる。ひどいときは寝汗もかいてしまう。新聞の朝刊の配達のバイク音が聞こえたり、早朝に出勤する人の足音までもが、私をどんどん追いつめる。
小鳥の声が聞こえ始めて、カラスがゴミ集積場からはみ出そうなごみをあさる音が聞こえてくると寝ることを諦める。諦めて体の力がフッと抜ける瞬間というのが訪れる。すると不思議なことにいつの間にか寝てしまうようだ。
現役の時にはよくそういう時があった。私はそれは睡眠のコアタイムと自分では名づけていた。朝の5時から7時までの2時間、しっかりと眠るとなんとか出勤して、仕事をこなせるという自信が生まれたものである。それがいつの間にか、5時から7時まで寝られればなんとかなるという風に常態化すると、疲労が溜まってダウンしてしまう。
この体の力がフッと抜ける瞬間というのは、自覚して訪れるならばこんな楽なことはない。この瞬間というのは、体と精神のどのような関係の時に訪れるのだろう。
昼間寝覚めているときにこのことを考えたことがある。また入院してベッドに縛り付けられるように寝かされているときに考えたことがある。が、私の思考力では結論は出なかった。今でもわからない。