■ジョン・レノン・ミュージアム
以前から見たかったジョンレノンミュージアムが今年で閉館てことでライブ前にF氏と見に行ってきた。
北与野なんてもう永遠に降りないんじゃないかなあw
駅近くの本屋さんの中にあった中華屋さんで食べた「あんかけ焼きそば」美味しかったv
店内でノラ・ジョーンズの♪Don't know why 流れてたのはいいけど(実は出掛けに聴いてた!驚
その1曲だけをなぜか延々エンドレスなのはいかがなものかと
結局、曲は変えずじまいだったけど、きっと気づいてる人いないんだろうな。
やたらと親子連れが多かったのは、思った通りさいたまスーパーアリーナでNHKの「おかあさんといっしょ」の公録があったからだった!
こんなに子どもがいるのを見ると少子化なんて心配ないんじゃないかって気がしてくるv
ようやく着いたジョン・レノン・ミュージアムは、単なる展示だけじゃなくて、
ミュージアム自体がアートになってて、壁や街中の雰囲気のセットがステキ。
入り口に50人掛けぐらいのシアターがあって、ちょうど行った時に待ち時間なくスタートして、
ジョンの軌跡が簡潔にまとめられた映像が流れてすでに感動v
奥に進むとThe Quarry Men(ビートルズ以前のバンド)~ビートルズ全盛期~ソロアルバムて年の流れで部屋が区切られ、
それぞれの時代の曲が流れてて、当時のゆかりの品や説明ボードもたくさんあって読むのも忙しいくらいに想像以上に充実してた。
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<ジョンの経歴概略>
幼い頃に両親が別れて、叔母ミミさんに育てられ、その後母とは交流がありながらも交通事故死して、
2度の別れは心に深い傷を刻んだ。
でも、小学校時代はやんちゃで想像力とユーモアに溢れた少年で、先生などのマンガを描いてみんなを楽しませていた。
画一的なシステムに疑問を持つようになって、反抗期を迎え問題児として見られる。
エルビスに衝撃を受けてロックンロールにのめり込む10代。
ジョージ、ポールと出会い、リンゴが後から入って、ブライアン・エプスタイン(彼の伝記映画もなかったっけ?『ビートルズを作った男』?)がマネジメントを担当しスターダムをのし上がる。
「5人目のビートルズ」と呼ばれるスチュアート・サトクリフは若くして亡くなり(『バック・ビート』で、スティーヴン・ドーフが演じている
♪Please Please Please で瞬く間にスターとなるが、曲をロクに聴かないファン、商業的なシステムにジレンマを覚える。
この頃ヨーコと出会い、ミュージアム内にも出会いのきっかけとなった「イエス」の文字が階段を登った天井にあった。
「いつもアーティストの女性と知り合いたいと思っていた。夢が叶ったんだ。」とジョンのコメント。
「PLAY IT BY TRUST」と書かれた真っ白のチェスボードも感動。勝ち負けのない、つまり戦争のない世界を現わしている。
ヨーコから無作為にかかってきて、館内の人と話すってコンセプトの「ヨーコの電話
」てゆうのも面白い。
『グレープフルーツ』はわたしも読んだ。♪イマジン の元とも言える「~してみなさい」という呼びかけで始まる言葉と行動、時間に伴う変化を含めたアート。
「BAG IN」、「BED IN」などで有名な反戦運動にものめり込み、、アメリカに移住したけど、
アメリカ政府から退国命令を受け抗議。4年後ようやく永住権を得る。
ギター、マンドリン、イマジンで使われた真っ白のピアノなど楽器もたくさん展示してあった。
ヨーコとの間に初めての息子ショーンが誕生し「主夫」に専念して周囲を驚かせたジョン。空に誕生日の航空文字?もキレイ。
家族で何度かの夏を軽井沢で滞在して、ポラロイドでたくさん撮ったスナップもあった。
日本語の美しさに感動して、「HIGEWOSORU」「WABISHII」など言葉にイラストをつけたものも残されている
そして、1980。
「ファイナルルーム」では、真っ白な部屋に、透明な椅子がたくさん置かれていて、中央にはたくさんの言葉。
「人生は大変だけど、いいことも、悪いこともあってOK。みんな君の人生なんだ」などなど。感動。
ショップにはストラップやTシャツ、缶バッジなど魅力的な商品がたくさんあったけど、シンプルにメモパッドにしたw
この美術館がなくなってしまうのは本当に残念だけど、ジョンの思い出やメッセージも、アートも時とともに変化し、
いろいろな人の目に触れて感動を分け与え、永遠に拡がってゆくものだというヨーコの考えには納得v
すっかりノドが乾いたけど、下北まで行って、自然食「さんるーむ」て店で早めのゴハン。
とは言え、わたしは全然お腹が空いてなかったから、リンゴのタルト+黒豆入り豆乳ココアにした。
豆乳やっぱ苦手。。
以前から見たかったジョンレノンミュージアムが今年で閉館てことでライブ前にF氏と見に行ってきた。
北与野なんてもう永遠に降りないんじゃないかなあw
駅近くの本屋さんの中にあった中華屋さんで食べた「あんかけ焼きそば」美味しかったv
店内でノラ・ジョーンズの♪Don't know why 流れてたのはいいけど(実は出掛けに聴いてた!驚
その1曲だけをなぜか延々エンドレスなのはいかがなものかと
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結局、曲は変えずじまいだったけど、きっと気づいてる人いないんだろうな。
やたらと親子連れが多かったのは、思った通りさいたまスーパーアリーナでNHKの「おかあさんといっしょ」の公録があったからだった!
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こんなに子どもがいるのを見ると少子化なんて心配ないんじゃないかって気がしてくるv
ようやく着いたジョン・レノン・ミュージアムは、単なる展示だけじゃなくて、
ミュージアム自体がアートになってて、壁や街中の雰囲気のセットがステキ。
入り口に50人掛けぐらいのシアターがあって、ちょうど行った時に待ち時間なくスタートして、
ジョンの軌跡が簡潔にまとめられた映像が流れてすでに感動v
奥に進むとThe Quarry Men(ビートルズ以前のバンド)~ビートルズ全盛期~ソロアルバムて年の流れで部屋が区切られ、
それぞれの時代の曲が流れてて、当時のゆかりの品や説明ボードもたくさんあって読むのも忙しいくらいに想像以上に充実してた。
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<ジョンの経歴概略>
幼い頃に両親が別れて、叔母ミミさんに育てられ、その後母とは交流がありながらも交通事故死して、
2度の別れは心に深い傷を刻んだ。
でも、小学校時代はやんちゃで想像力とユーモアに溢れた少年で、先生などのマンガを描いてみんなを楽しませていた。
画一的なシステムに疑問を持つようになって、反抗期を迎え問題児として見られる。
エルビスに衝撃を受けてロックンロールにのめり込む10代。
ジョージ、ポールと出会い、リンゴが後から入って、ブライアン・エプスタイン(彼の伝記映画もなかったっけ?『ビートルズを作った男』?)がマネジメントを担当しスターダムをのし上がる。
「5人目のビートルズ」と呼ばれるスチュアート・サトクリフは若くして亡くなり(『バック・ビート』で、スティーヴン・ドーフが演じている
♪Please Please Please で瞬く間にスターとなるが、曲をロクに聴かないファン、商業的なシステムにジレンマを覚える。
この頃ヨーコと出会い、ミュージアム内にも出会いのきっかけとなった「イエス」の文字が階段を登った天井にあった。
「いつもアーティストの女性と知り合いたいと思っていた。夢が叶ったんだ。」とジョンのコメント。
「PLAY IT BY TRUST」と書かれた真っ白のチェスボードも感動。勝ち負けのない、つまり戦争のない世界を現わしている。
ヨーコから無作為にかかってきて、館内の人と話すってコンセプトの「ヨーコの電話
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『グレープフルーツ』はわたしも読んだ。♪イマジン の元とも言える「~してみなさい」という呼びかけで始まる言葉と行動、時間に伴う変化を含めたアート。
「BAG IN」、「BED IN」などで有名な反戦運動にものめり込み、、アメリカに移住したけど、
アメリカ政府から退国命令を受け抗議。4年後ようやく永住権を得る。
ギター、マンドリン、イマジンで使われた真っ白のピアノなど楽器もたくさん展示してあった。
ヨーコとの間に初めての息子ショーンが誕生し「主夫」に専念して周囲を驚かせたジョン。空に誕生日の航空文字?もキレイ。
家族で何度かの夏を軽井沢で滞在して、ポラロイドでたくさん撮ったスナップもあった。
日本語の美しさに感動して、「HIGEWOSORU」「WABISHII」など言葉にイラストをつけたものも残されている
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そして、1980。
「ファイナルルーム」では、真っ白な部屋に、透明な椅子がたくさん置かれていて、中央にはたくさんの言葉。
「人生は大変だけど、いいことも、悪いこともあってOK。みんな君の人生なんだ」などなど。感動。
ショップにはストラップやTシャツ、缶バッジなど魅力的な商品がたくさんあったけど、シンプルにメモパッドにしたw
この美術館がなくなってしまうのは本当に残念だけど、ジョンの思い出やメッセージも、アートも時とともに変化し、
いろいろな人の目に触れて感動を分け与え、永遠に拡がってゆくものだというヨーコの考えには納得v
すっかりノドが乾いたけど、下北まで行って、自然食「さんるーむ」て店で早めのゴハン。
とは言え、わたしは全然お腹が空いてなかったから、リンゴのタルト+黒豆入り豆乳ココアにした。
豆乳やっぱ苦手。。
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