メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

「藤城清治 卆寿記念90展」@教文館

2014-10-15 23:55:55 | アート&イベント
サンクス行ってamazonで注文した7点の商品の支払いを済ませてから、そぼ降る雨の中、出掛けてきた。
(セブンは13ケタで、サンクスは11ケタなのね/汗

 

 
建物入り口にも展示

教文館は、松屋や三越のある「銀座通り」に面していて、今回初めて入ったけど、1885年創業ということで、
狭い階段を降りるごとに男女1個ずつのトイレがあったり、階数を示すデザインがレトロでステキ。

「藤城清治 卆寿記念90展」@教文館

 

“弊社で14回目を迎える、藤城清治さんの卆寿記念の影絵展です。
 愛と夢と希望に満ちた、祈りの世界・・・ ご来場お待ち申し上げております。”

影絵展会場@9F「ウエンライトホール」
2014年7月26日(土曜日)~10月15日(水曜日)無休
10時30分~19時30分 無休 入場料 一般1,200円 中学生以下800円

 

最終日に駆け込み。藤城さんが自ら好きな作品を選んで展示したというのも見どころ。
自由に写真を撮っていいとのことで、全作品もれなく写メったが、ここではエッセンスのみをちょこっとだけ。
ぜひ、展覧会、美術館等に行って、間近で光と影の理想郷の世界を堪能して欲しい

[展示内容]
最初に出迎えてくれたのは「ケロヨン」。「懐かしいわねえ~!」と言うご婦人方も多かった。


いつも通り、初期の頃のモノクロから始まって(「西遊記」など
「三つのオレンジ」

「日本の神話」


「神宮の森」や壁画のレプリカ

「風の又三郎」

「月夜のでんしんばしら」(この話も大好き!

絵本『マボロシの鳥』(講談社)

「WE ARE THE WORLD(飢餓問題)」


「聖書の世界」

「和光」「山野楽器」などなど藤城さんにゆかりのある銀座周辺の建物
 

「被災地」

「赤毛のアン」もあった!驚


とにかく所狭しと置かれている作品の数の多さに圧倒された。
1点1点穴が開くほど観ていたいけれども、そうもいかず。お客さんも多かったし。
それぞれの作品に、藤城さん自身のコメントが添えてあって、作品に対する思い、歴史などを語っているのも貴重。


ほんとは大型犬の散歩は2匹ずつ毎日1時間半。4匹連れてお散歩する夢も描いたそうなw



 




「ハウス・オブ・クリスマス」教文館
次回の展覧会も楽しみ♪


グッズ販売・サイン会会場@4F「エインカレム」
平日 祝日10時から20時 日曜日のみ10時30分から20時 無休

ここでサイン会もやったんだね。
版画、画集、絵本、ポスター、カード、ジグソーパズル、銀座いろはかるた、カレンダーなどなど、
藤城さん関連の商品が半分、もう半分のスペースには、キリスト教関連ってことで、
もうクリスマスのオーナメントや、ヒツジの置物や、カラカラと音が綺麗なモビールなどなど、ステキな雑貨がたくさんあった

そんな中で、私が買ったのは「ココナッツクッキー」

「安心院(あじむ)修道院製菓子」と書かれている。

トラピスト安心院の聖母修道院
食べログのリンクはこちら


【ブログ内関連記事】
光と影で希望を描く影絵作家 藤城清治さん@ひるまえ ほっと
藤城清治 版画展 卒寿記念・画本「風の又三郎」出版記念 光と影のファンタジー

【関連施設】
藤城清治美術館@那須高原
行ってみたいなあ!


6階「ナルニア国」
児童書大好きなわたしとしては、1フロア全部が児童書ってワクワク
「今年1年間で出版されたものです」て表示がいたるところに貼ってあるってことは、
並べられない、これまでの蔵書がどこかにストックしてあるってことなのか!?

パンフには、“ロングセラーから新刊書まで約15000冊を取り揃えた子どもの本の専門店”とある/驚
ナルニア国憲章


出久根育作『かえでの葉っぱ』(理論社・刊)の原画展@ナルニアホール
出久根育(でくね いく)

【ブログ内関連記事】
『ワニ』 梨木香歩/著、『ペンキや』 梨木香歩/著
この絵を描いた人だったんだあ!

【関連施設】
東京子ども図書館
かつら文庫


3階「キリスト教書」
主に、キリスト教関連の本が並んでいたけれども、入り口に花子の等身大?パネルが置いてあって、
『赤毛のアン』と、前回の朝ドラ『花子とアン』関連のコーナーが設けられていて、著書も多かった。



なぜかというと、村岡さんは、教文館で働いていたことがあったとのこと/驚
「白く囲ったところが、村岡さんの編集机があった場所と言われている場所です」って看板があったけど、
どこなのか分からずじまいだった

原画展『エッサイの木』@ギャラリーステラ」(2014年10月9日(木)~28日(火))





追。
展覧会を観終わったら、もう2時近くて、お腹ペコペーコ状態だったので、いったん雨の降る外に出て、ランチ。

やるき茶屋


今日の定食は2種類あったらしく、最初、間違えてトンカツみたいなのが来ちゃったけど、
注文したのは、秋の味覚、「焼きサンマ定食(ミニ刺身付き)。美味しかったあ!


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青木画廊@銀座

2014-10-15 23:55:54 | アート&イベント
青木画廊

 

【ブログ内関連記事】
種村季弘の眼 迷宮の美術家たち@板橋区立美術館
「SIMONDOLL」四谷シモン@そごう美術館(~7/6(日))

先日、種村季弘さんの展覧会を観て、気になった歴史の古い画廊。
藤城さんの展覧会会場と近所だったから、探してみたら、ちょっと迷ったけど、ありました(感動

でも、ギャラリーって、とっても入りづらい・・・
銀座近辺にはたくさんあるから、いつかギャラリー巡りをしたいと思いつつすでに数年

せっかく来たんだし、ちょっと覗くだけ・・・と思って、キツイ階段をのぼって2階についたら、
女性スタッフさんが気軽に声をかけてくれて、経緯を話したら、かれこれ53年ほどになるという/驚

ス「場所を変えずに続けてきたのは珍しいと思いますよ。だから階段もちょっとキツイままなんですけど
私「貧乏人なので、観るだけでもよろしいんでしょうか?w」とゆってみたら、
ス「いや、もう全然! 買う人はほんとに稀で、私たちは、観ていただくためにやってますから」(なるほど!


種村季弘さんの展覧会を観た話になって、ここの画廊さんからも数々、出品されたほか、
その前にそごう美術館で観た四谷シモンさんも、ここの出でいらして、
例の娼婦のようなシモンドールを12体、私が一番感動した天使もずっと展示していたんだとか!
全部つながってビックリ/驚×5000

今回開催されていたのはこちら。次回のも面白そうv

企画展『二つの旅』第二章 - 堀田 操没後15年 -「堀田操」展(2014.10/25(土)~2014.11/01(土))
平日:11:00~19:00 日曜:12:00~18:00 会期中無休



企画展「建石修志展「眠れ、みんな眠れ!」(2014.11/08(土)~2014.11/21(金))
平日:11:00~19:00 日曜:12:00~18:00 16日(日)休廊

建石修志

私の好きな“病んでる系”の絵が多いところが、ますます気に入ってしまったv
facebookもツイッターもやってないということで、展覧会の告知はHPのみ。時々チェックしなきゃ。
ちなみに今回は3階は閉まっているということで、2階の作品と、画集を堪能しました~/礼


こうゆう未知な出会いがあるから面白い。
やっぱり、ギャラリー巡りしたいなぁ!

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本屋さんのすべてがわかる本2『調べよう! 日本の本屋さん』(ミネルヴァ書房)

2014-10-15 22:21:25 | 
本屋さんのすべてがわかる本2『調べよう! 日本の本屋さん』(ミネルヴァ書房)
稲葉茂勝/文

本屋さんのすべてがわかる本1 調べよう! 世界の本屋さん(ミネルヴァ書房)

第2巻目。

日本の本は、中国の仏教経典として入ってきたとか、初の翻訳書もキリスト教関連とか、宗教絡みが多かったんだな。

最初は、本の制作から、売るまで1つの会社でやってたのが、民衆にも知識が必要だと分かってから
どんどん広まる過程で、分業していったことも分かった。
これまで出版社や、編プロで、パソや紙ばかり見てきたから、こうゆう全体像を改めて知ることができたのは貴重。とくに「取次」とか

明治頃からずぅっと現代まで続いている本屋さんもあって、スゴイ!
そして、電子書籍が出てきたり、amazonで手軽に買えるようになったり、本屋の形態も随分と変化した。


【内容抜粋メモ】

書物の定義
・コミュニケーションツールとして役立つ
・文章、絵などで内容を伝える
・出版、流通する

******************日本に渡ってきた本

「暦本」中国→朝鮮から伝わったカレンダー。
「物の本」宗教、学問などが書かれた本(ハウツー本みたいな?
江戸時代、「物の本」を売る商いが始まる「本屋」のはじまり。印刷して出版する店を意味していた。


******************日本の出版はお寺から

「五山版」鎌倉~室町時代にかけて仏教書の出版が盛んだった。
「開版」版木を彫って印刷する。中国から職人さんが来日した。この頃は無料。
「応仁の乱」で京が戦乱に巻き込まれて衰退する。
江戸時代には商人が「開版」をし、営利目的になった。


******************日本最古の書物とは?

『法華義疏(ほっけぎしょ)』日本最古の書物。法華経の解説書。
『古事記』奈良時代の最古の歴史書。推古天皇について。
『日本書紀』奈良時代の歴史書。持統天皇について。「日本の最古の正史」と言われるが事実と異なる部分もある

『百万塔 陀羅尼(ひゃくまんとう だらに)』日本にある世界最古の印刷物。770年に制作。霊をなぐさめるお経。

「春日版」平安時代後期に興福寺で出版。
「高野版」平安時代後期に高野山で出版。
「五山版」につながる。


******************新たにもたらされた印刷技術

安土桃山時代に、イエズス会の宣教師が「金属活字」を持ち込んだ


活版印刷機(複製)

「キリシタン版」16~17C、イエズス会によって出版された本。
江戸幕府が出した「キリシタン禁教令」で宣教師は国外追放。「金属活字」も印刷機器も持ち出され、途絶えた。

豊臣秀吉が「朝鮮出兵(1592)」で金属活字を持ち帰った。
(『官兵衛』では朝鮮出兵でモメてるけど、文化の流通にもなったってことか。善悪って簡単に決められないものだね

「慶長勅版」後陽成天皇(ごようぜいてんのう)が命令して印刷した本。
「金属活字」は莫大な費用&時間が必要だから、実際は木版が主流だった。


******************日本の出版文化は京都から

 
「法藏館(ほうぞうかん)」で使われた版木/日本最古の本屋「永田文昌堂(ながたぶんしょうどう)」(江戸時代)

「本屋新七」商人として初めて出版を行い、「本屋」と名乗った。


「永楽屋」(名古屋)の復元

「駿河版」徳川家康は、武力でなく、学問や制度で統治しようとした。
「寺子屋」が広まり、庶民も読み書きができ、出版ブームが起きる。
元禄期には、400軒ほどある本屋の9割が京都にあった。
江戸時代中期以降は、出版文化は江戸に移る。

「須原屋茂兵衛(すはらやもへえ)」江戸最大の本屋として繁盛した。
「蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう」浮世絵を大流行させた。現在のTSUTAYAの名前の由来にもなっている


蔦屋重三郎の本屋「耕書堂」の店先


******************庶民に読書を広めた貸本屋


貸本屋(1952)

19Cには、江戸に650軒もの貸本屋があった。
本屋から仕入れ、常連客を回って貸し出した。1軒の貸本屋に約100人以上の常連客がいたという。
借りる人は「見料」を払う。本の値段の約1/6。

「吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)」現存する出版社の中でも長い歴史を誇る。
「寛政の改革」や「天保の改革」で倹約・風俗粛正が命じられ、本は贅沢品とされた

(水木サンの自伝にも貸本屋さんが出てきたよね? 気になる。

「仮名草子(かなぞうし)」平仮名で書かれた小説。
「浮世草子」へと発展。町人の日常生活を書いた。

「イソップ物語」西洋文学が初めて和訳された。1593年。「ウサギとカメ」「アリとキリギリス」「北風と太陽」など。
「解体新書」西洋の医学書で初めて和訳された。1774年。
「洒落本」「滑稽本」「人情本」江戸中期~後期、町人の生活を描いた。

「浮世絵」
世俗を主題にした絵。芝居、大相撲、美人画が人気。当時は芸術とは思われていなかったが、
1880年「ジャポニズム」が高まり、高く評価され、海外に流出した。
多くの本屋が浮世絵の版元となった。

「かわら版」
新聞のような情報誌。事件が起こると速報が街頭で売られる。
記事を面白おかしく読んで売り歩いたため「読売」と呼ばれた。


******************明治・大正時代

明治の本屋は、日本の「文明開化」に大きく貢献した。
「義務教育」がはじまり、国民の学習意欲が高まった


『武徳鎌倉旧記』の版木/『西洋雑誌』日本最初の本格的な雑誌(1867)

「本木昌造(もときしょうぞう」オランダから活字と活版印刷機を購入、出版した。
「横浜毎日新聞」(明治3年)に創刊した日本初の日刊新聞の印刷にも本木は協力した。

 
活版印刷による「横浜毎日新聞」第1号/福沢諭吉『学問のすすめ』の初版



[明治に創業した本屋さん]
丸善:初めて洋書の輸入販売を行った


三省堂書店:1881年、神保町で創業。『袖珍コンサイス英和辞典』(1922)を発売し、年間数十万部という驚異的な発行部数を記録。

岩波書店:1913年、神保町で古本屋から創業。「岩波文庫」「岩波新書」を創刊。


明治初期の日本橋店


夏目漱石『明暗』発売日の店頭

講談社:
「大日本雄弁会講談社」が創刊した雑誌『キング』は「一家に一冊」という宣伝文句で、広告に力を入れ、
豪華な付録もつけて、昭和3年には150万部を突破した。

有隣堂

大日本印刷

凸版印刷
・東京書籍(日本最大の教科書会社)
・フレーベル館
「印刷博物館」は行ったことある


******************古本屋のはじまり

神田神保町にある日本一の古本屋街(1960年代)。世界最大の「本のまち」

「本のまち」
大正~昭和初期、近辺に現在の東大、明治大学、中央大学、日本大学、専修大学が創立され、古本が安い値段で取引された。
都内には、本郷、早稲田大学のある早稲田にも古本屋街がある。
京都には百万遍、大阪は日本橋(今は梅田が古本街)、名古屋は鶴舞などにできたが、めっきり減った


******************取次のはじまり


トーハンの物流センター

明治には、印刷→製本→出版→卸売り→小売りという分業化がはじまった。

「取次」
卸売り専門の問屋。当時は「売捌所」と呼ばれた。博文館が「東京堂」を立ち上げたのがはじまり。1890年。
その後、「東海堂」「北隆館」「大東館」をくわえた4つが本格的な流通システムをつくった。
戦後「東京出版販売(トーハン)」、「日本出版販売(日販)」。


「取次」とは?
 

出版業界の流通を担当。書籍が発売予定日に並ぶのも「取次」のおかげ。
各々運べば運賃が高くなるが、「取次」を通せば全国どこでも同じ値段で買える。
「委託販売制度」「定価販売制度」の確立にも関係する。


******************戦後の本屋さん

 
空襲で焼け野原になった池袋駅(1945)/1947年に建て直した「紀伊国屋書店」

「紀伊国屋書店」昭和2年、新宿に創業。
「新栄堂書店」昭和21年、池袋に創業。
「旭屋書店」昭和21年、大阪で創業。


全国の本屋の件数(小さい本屋が減り、大きい本屋が増えている


本屋と学校のつながり
「外商活動」店から外に営業に出掛けること。本屋は地元の学校にも教科書や図書館の本を配達する。
県には1つ以上の教科書配給会社があり、出版社から本屋に届けている。


******************日本の本屋さんの2つの特徴

「委託販売制度」
明治後半からはじまった。取次が新刊本を出版社から預かり本屋に預けるシステム。
実業之日本社の雑誌『婦人世界』がきっかけ。
売れなかった本を返品できるが、返品率の増加につながる。

「定価販売制度」(再販売価格維持制度・再販制度)
新刊本は、全国どこの本屋でも同じ定価で売らなければならないというシステム。
明治に本の値引き競争で混乱したため、大正になってつくられたが、最近は崩れ始めている。
デメリットは、値下げセールができない。


「リアル書店」
町にある本屋さん。買おうとしていた他の本にも偶然出会える。
店員さんに質問したり、作家のサイン会などのイベントもある。

「ネット書店」
24時間いつでも買える。検索機能の充実。珍しい本が入手可能。
デメリット:レビューには、評価を故意に低めるものもある。

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NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』 第41回「男たちの覚悟」

2014-10-15 21:58:45 | ドラマ
NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』
出演:岡田准一、中谷美紀、竹中直人、寺尾聡、鶴見辰吾、松坂桃李、濱田岳、速水もこみち、高橋一生、塚本高史 ほか

第41回「男たちの覚悟」(ネタバレあり
家康は関東への国替えを命じられる。
官兵衛「天下のためになるかどうかは、徳川様次第」と土下座して判断を委ねるが、
家康「関東で力を養っておこう。天下のたずなを頼みますぞ」

聚楽第にて、天下統一を祝い、おねは、官兵衛と秀吉の3人で酒を酌み交わしたいと席をもうける。
そこで官兵衛は秀吉を諌めるが、聞く耳持たず。

「私は軍師で己が面目などどうでもいい。しかし、殿下の言うことは、民衆の得心をえるものでなければなりませぬ。
 疲弊している今、明を攻めるのは無謀!」

秀吉の弟・秀長は、病床において、官兵衛と利休に頼む。
「兄じゃを正せるのは、官兵衛、利休しかおらぬ、頼む!」
その後、秀長は亡くなる。



朝鮮の使者との謁見の場で、明攻めに協力してもらえると思っている秀吉は上機嫌だったが、
茶室で、官兵衛は、任された大名から「服属とは偽り。ただ天下統一の祝いに来ただけ。それが知られたら首が飛ぶ」と助けを請われる。

茶室で官兵衛は、また秀吉に苦言を言おうとすると、利休が代わりに言ってくれる。
なぶり殺された弟子の茶碗を出して、朝鮮のことを話し、秀吉は怒り狂う

三成はそれに付け込み、
「利休が選んだ道具は、粗末なものでも高値がつく。
 大徳寺には利休の像があるのをご存じですか!?

怒った秀吉は、利休を堺の屋敷に蟄居させる。
三成は、今、謝罪すれば命は助かると言うが、断る利休。

利休「豊臣家のために天下があるのではなく、天下のために豊臣家があるのです」

官兵衛も説得しに来ると、「せっかくだから茶の道の根本をご指南申し上げよう」
「茶道具も、人のココロと同様、汚れがつきやすい」「使い捨てにしない」

「わしも齢70。この世にやり残したことはござらぬ。戦では何の役にも立ち申さぬ。
 黒田様、後のことはお頼み申します」

その後、切腹を命じられ、その際も使いの者に茶を一服用意したと聞いて、
秀吉「曝し首にせよ!」(ひどいなぁ・・・

愛息・鶴松が重い病にかかり、わずか3歳で亡くなってしまう。
秀吉はうつろになり、「利休を死なせた天罰だ。このわしのせいで死んだんじゃ。もうわしには何もない・・・」

秀吉にならって、家臣一堂、髷を落とした後、秀吉は急に元気を取り戻す。

「官兵衛、肥前に城を建てろ。朝鮮に渡るためじゃ。三成は船を造れ!
 従わねば、滅ぼすのみ! もはや、わしには、この事以外に望みはない」

官兵衛「殿下は今や糸が切れた凧。黒田が支えねば、豊臣家、いや、この国が滅びてしまう」

官兵衛らは、名護屋に城を建てることを計画する。

 


 

 

 

 

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