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『アラスカ 星のような物語 写真家・星野道夫 大地との対話』
朗読:オダギリジョー 出演:
田中哲司 ほか
肌寒くなってくると、星野さんの温かみのある文章と写真が恋しくなる。
そんな大好きな写真家・
星野道夫さんと、哲さんが、こんな形でつながってたと知った時は本当に驚いた
これもレンタル屋のリクエストで取り寄せた1本。このDVDは欲しくなった。
これまでずぅっと本で読んで想像してきた星野さんの文章をそのまま映像化したような、1年間かけて撮影されたという素晴らしい作品。
なにより、当時、星野さんが書いた文章の自然がまだ残っていることが嬉しかった。
「時々、遠くを見ること。」
哲さんは、星野さんを演じているのかと思ったらそうじゃなくて、
星野さんの本を読んだ、どこにでもいそうなサラリーマン男性役。
営業の途中で東京タワーに登ってみたり、営業をサボって海岸に行ってみたりして、
読んだ本でひっかかった言葉「時々、遠くを見ること。」を体験してみる、というドラマが所々に挟まれている。
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story(ネタバレ注意
[カリブー]~ツンドラを埋め尽くすカリブーの群れ。
星野さんが見た黒い点々のようなカリブーの姿は、こんな感じだったのかなあ?
今でも彼らは大移動をしているだろうか?
[グリズリー]
アメリカの開拓史はそのままグリズリーの虐殺史であった。
“グリズリーは恐ろしい動物だ”というレッテルを貼り、殺し続けてきたのである。
アラスカは、グリズリーに残された最後の大地なのだ。
彼らを守ることは、私たち人間自身が生き延びてゆくかどうかの象徴にさえ思えてくる。
(星野道夫で画像検索すると、グリズリーがテントを破って襲いかかっているCG画像がたくさん出てくるのがいつも耐えられない
最初に検索した時、あまりのリアルさに、私もこれが彼の最後の写真かと信じてしまったほどだ。
ツイッターの“面白い動物・可愛い動物”画像の中にも時々出てくる。
家族や知人もこの画像を見るたび、どういう思いがするかと想像すると悲しくなる。
哲「仕事以外になにか生き甲斐があれば、もっと楽しい日常が待っているような気がする」
[氷河]
無数のクレバスは、つい最近まで地球が氷河期だったことをまざまざと見せつけてくれるのである。
[豊かな海]
表層プランクトンを含むスープのようなアラスカの海。
“エデンの世界”ふと、そんな言葉が頭に浮かんだ。
[クジラの歌]
フシギなザトウクジラの歌。耳をすましながら、叫び出したい気分だった。
彼らにとって、大切な採食の海。
[2つの自然]
1つは、日々の暮らしの自然。2つ目は、日々の暮らしと関わらない、はるか遠くにある自然。
それは生きてゆく力となる。
きっと自然は、それ自身なんの意味も持たないのかもしれない。
そして、そこに何か意味を持たせようとするのが私たち人間なのだろうか?
[森の一生]
氷河のあとに生えるコケ類植物は森のステージの最初。
倒木は腐食して養木となる。「ナース・トゥリー」
その上に落ちた種子が、1本の大木になるまでの役割を果してくれる。
(私は星野さんの文章を読んで、森にも一生があるって知った
[アラスカとの出逢い]
19歳の時、信州の農家で新聞に載っているアラスカの地図を見て、北方への漠然とした憧れがアラスカというはっきりした形をとる。
神田古書店街の洋書専門店でナショナルジオグラフィックソサエティ出版の『ALASKA』に載っていた
ベーリング海と北極海がぶつかる海域に浮かぶ小さな島
「シシュマレフ」というエスキモーの村の空撮写真に魅せられた。
20歳。シシュマレフ宛に5通の手紙を出すが、半分以上が宛先不明で返送された中、半年後、村から返信が来た。
[アラスカに住む]
アラスカでは「シロトウヒ」「アスペン」「シラカバ」の3種類の木が揃った土地は良いとされている。
「私たちが生きてゆくということは、誰かを犠牲にして、自分自身が生き延びるのか、という終わりのない選択である。
近代社会の中では見えにくい、その約束」
「アラスカにも巨大な資源開発の波が少しずつ押し寄せている」
[秋のアラスカ]
秋のアラスカは、音のない色のオーケストラを見ているような気がした。
オオカミの遠吠えは、周りのすべてと調和して、神秘的なハーモニーになっていた。
私は、たった一人で、銃も持たずにいたが、怖くはなかった。
[ムース]
ムースは繁殖期を向かえ、ヤナギの潅木で戦いの武器を研ぐかのように、角の感触をたしかめていた。
彼らは、冬が近づくと南の森へ移動する。そこには、説明のつかない自然との約束がある。
[ジャコウウシ]
オオカミが来ると、ジャコウウシは子どもを真ん中にして、円陣を組んで守る
[冬から、ふたたび春へ]
冬は夏を生き抜いた生き物たちに容赦なく一線を引き、弱った者を脱落させてゆく。
アラスカは来る者を拒まない。
でも、冬の厳しさは、人を篩いにかける。
そこを立ち去る者と、この地に根を張る者。
春の歓びの大きさは、それぞれが越した冬にかかっている。
冬をしっかり感じないかぎり、春をしっかり感じることは出来ないからだ。
「あらゆる生命が、ゆっくりと生まれ変わりながら、終わりのない旅をしている」