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たまっている予録のまとめ見
【内容抜粋メモ】
1966年 2日間にわたって行われたビートルズ来日公演
5万枚のチケットに20万人の応募者が殺到
警官など警備に導入されたのは1回の公演だけで2000人
その熱狂は社会現象となりました
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NHK にはその騒動をさまざまな証言から分析した番組が残されています
1996年 ETV 特集 日本を揺るがした5日間~1966年 ビートルズ来日騒動を読む
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アナ:
これはビートルズの4人とモハメド・アリの貴重なショットですね
懐かしい写真が壁一面に貼られています
来日から30年後にこのライブハウスが六本木にオープンしました
往年のファンはもちろん、様々な世代のビートルズファンが連日盛り上がっています
ゲスト:
音楽家 宇崎竜童さん
音楽プロデューサー 高嶋弘之さん
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宇崎さんとビートルズの出会い
最初に聞いたのは
抱きしめたい
ラジオから聞いてものすごいショックを受けました
それまで聴いていたプレスリーやら
イギリスならクリフ・リチャードという流れとは全然違う
ビート、ハーモニー、歌声
「イェイ イェイ」を多用する
そういう音楽は今まで出会ったことがない
俺たちの音楽だな
自分たちに向けて歌ってくれるんだなっていう感じがしました
高嶋さん(ビートルズのレコードを日本で売り出した):
当時 EMI の東芝レコードの担当をしていたのでビートルズをやることになった
62年の10月にイギリスでデビューして
当時は船便でレコードが来た
LP が時々曲がってる そういう時代
Love Me Do は10月2日に向こうで発売され
その前に送ってくれてると思うんですが
なんじゃこりゃ?ですよ
その翌年
Please Please Me が出た時に
東芝ではメロディメーカー ニューミュージックエクスプレス
それを見ると尋常じゃない動きを読み取った
たまたま好きな曲だったので
これはやらないといけないということで
私のプロモート活動が始まった
アナ:
2人はあの来日公演に行った数少ない方ですが
その時の気持ちってどうでしたか?
宇崎:
僕の中のある種のカルチャーショック
それまでの全てのカルチャーをぶっ壊し
新しいカルチャーを作った現象だと思います
高嶋:人生の分岐点 エポックメイキング
The Beatles
史上最も成功したグループとしてギネス世界記録にも認定された伝説の4人組
デビューは1962年
リーダーのジョン・レノン
甘いマスクのポール・マッカートニー
はにかみ屋のジョージ・ハリスン
ユーモアたっぷりのリンゴ・スター
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当時としては珍しい作詞・作曲・演奏全てをこなし
自らの思いを歌に表現したビートルズ人気は
イギリス国内にとどまらず海外でも爆発
スウェーデン、フランスなどヨーロッパ各国
アメリカでもツアーを行い
世界中でビートルズ旋風が巻き起こりました
日本でのレコード発売第一弾は1964年
抱きしめたい
日本でのビートルズブームも徐々に高まり始めます
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1966年6月29日 ビートルズ来日
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記者会見
あなた方は日本をどのような国と認識し
かつ何を期待して来日しましたか?
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ポール:本で読んだり映画で見たりした程度しか知らない
ジョン:そのまま信じているわけじゃないよ
ポール:なかなか良さそうなところだね 素敵だよ
リンゴ:
服装が欧米と変わらないんだね
音楽の好みも似ているみたいだし
世界中が同じになっちゃうのかな
1982年 NHK 教育セミナー20世紀の群像 日本を変えた来訪者2 ビートルズ
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ドリフターズ
前座として舞台に立ったドリフターズのいかりや長介さん:
怖かったですね
客がダーっと入ってるわけですよ
客がじれてるんですよね、もう
そしたらエリックさん(ビートルズ来日公演の司会者)が
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さあお待たせしました
ご紹介申し上げましょう
今や人気最高のグループ
エリックさんがジョークのつもりで
歓声の中で「ドリフターズ!」って確かに言ってるんです
客はそれを聞いてないんだよね
僕らはとにかく無我夢中で駆け上がってったけど
お客さんの半分くらいは、後ろのほうの人は
僕たち頭数もあまり違わないですから
もしかしたらビートルズだって思っていたかもしれない
ともかく演奏したんです1分
幸いにもこれはウケまして終わったんです
終わって普通なら
「どうもありがとうございました 失礼します これをもって終わります」
何かそういう締めの言葉を言うんですけれども
僕が思わず言った言葉が今でも忘れませんけど「逃げろ!」って言ったんです(w
あんなの今まで言ったことがない
そのくらいやっぱり怖かったというか
異様な雰囲気だったですね
関係者に頼み込んでメンバーたちに直接会うことができた人もいました
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加山雄三:
何としても会いたくて、ヒルトンホテルの裏に行って
非常に警備が厳重で、階段には警察官がいっぱいいて
ウェルカムって挨拶してくれたのがポール・マッカートニーで
ポールと一番親しげに話をしたんですが
僕の印象ではボールが一番ノーマルな感じがした
ジョン・レノンは非常に変わってるというか
言葉遣いもさることながら
日本に対する共感を持てるような要素がある
人間性を持ってたように僕はとれたんですね
ジョージはもらった日本のカメラだと思うんですが
三つも四つも持っていて、一生懸命窓から外を撮っていた 非常に無口ですね
リンゴは意外と背が小さくて
顔がものすごく小さくて、鼻が大きい印象が強かった
「日本の食べ物で一番我々が食べられてポピュラーなものは何か」と聞かれてすき焼きと言ったら
「おー! 聞いたことがある じゃあそれをすぐとろう」って言って
「非常に美味しい」と言って食べてました
ビートルズから後の人生に大きな影響を受けたミュージシャンもいます
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財津和夫(チューリップ):
最初は僕はやかましいグループだということで
クラシックギターをやってるタイプの人間でしたので
ラジオから流れてくると消すほうだったんですけど
全身を込めて歌う歌い方っていうのはすごく衝撃的でしたし
それを東洋の僕らがやれって言うのは無理なんですけど、本当は
それをやりたくなったていうのはやっぱりすごい影響力だと思う
僕が曲を作るときも必ずビートルズの音楽の亡霊が
いつも後ろに立ってるような感じで
この曲を作っている時にあの曲が影響したみたいな
必ずそういうものがあるような気がするんですよね
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来日公演 宇崎さんの記憶
全く記憶にないんですけどチケットをものすごくイージーに手に入れることができた
実物がこれ
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下は注意事項がある
「テープを投げたり、羽、花束その他の持ち込み、手渡しは絶対にお断り」
ここに20項目ぐらいあるけど、7項目ぐらいは
多分初めてのことかもしれないですね
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1曲目が多分
ロックンロールミュージック
聞こえてるんだけど、耳で聞いてるっていう感じじゃなかった
周りに男の人がいなかった
全部女の人だったので
生まれて初めて聞いた女の人の
あんなに何千人もの人の歓声っていうのを生で聞いたのは多分初めて
あっという間に終わってしまった
高嶋さん:
私はヒルトンに行った
加山さんと私の上司3人で行った
その時もおそらく何かしゃべったと思うが全く覚えがない
緊張してたと思う
帰る時に写真にサインをもらった
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その場でメンバーが写真にサインをしてくれた
当時ボールペンじゃなくて万年筆で書いていたから薄くてはげそう
アナ:実際のコンサートの記憶はどうですか?
Nowhere man ひとりぼっちのあいつ と和訳を付けたのが高嶋さん/驚
高嶋:
評論家は「静かに聞いた」と書いた それは嘘つきです
静かに座っていただけでキャーキャー凄かったです
「立ち上がったら中止」ってことになっていた
警官がすごかった 配備についていた
仲井戸麗市:
あの奇跡の4人がいなかったら本当に困っちゃう
間違いなく自分にとって決定的なものだった気がする
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ナレ:
ここ日本武道館では毎年約150回のロックコンサートが行われます
今や武道だけではなく「ロックの殿堂」としても知られるようになりました
その発端は5万人を熱狂させた30年前のザ・ビートルズの来日公演でした
競馬から浪曲まで日本の大衆文化を幅広く論じてきた
大月隆寛さん(国立歴史民俗博物館助教授)は
一つの社会現象としてビートルズ来日騒動に関心を抱いています
僕がビートルズの来日公演に関心を持ったきっかけは1冊のルポルタージュでした
『話の特集 完全復刻版 ビートルズ・レポート』
来日公演直後に発売された
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「幻の名著」と言われていたこの本が、今年初め30年ぶりに完全復刻されました
著者は竹中労さんら7人のジャーナリスト
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竹中さんは当時「喧嘩の竹中」の異名をとるルポライターでした
ビートルズが羽田空港に到着してから日本を離れるまで5日間
約103時間の出来事が実に克明に報告されています
1966年6月 アメリカ軍ハノイ近郊北爆
ベトナムでは米軍による北爆が激化していました
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日本では高度経済成長が軌道に乗る一方で
飛行機事故が相次ぎ、成田闘争が始まるなど
時代は揺れていました
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1966年4月27日 新聞記事
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この来日公演がどのように決定されたのか
「ビートルズを呼んだ男」とした人物を訪問しました
外国人タレント招聘の先駆者の一人、永島達司さんです
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永島:
たまたまロンドンに行った時に
ヴィック・ルイスっていうビートルズの公演旅行企画担当マネージャーに会った
偶然私は子どもの頃ロンドンに住んでいた 彼も同じ地域で生まれた
「ビートルズが日本に来たがってるから、お前がやれ」と
本当に巡り合わせです
それでロンドンに飛んで10分くらいの交渉でした
あっさりまとまったコンサート会場は
ビートルズ側の要求に従い
1万人以上収容できる日本武道館が選ばれました
しかしここで大きな問題が起きます
当時、日本武道館館長だった正力松太郎が異議を唱えたのです
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正力:ペートルスなどという得体の知れない外国人に神聖なる武道館を使わせることはできない
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(ペートルス、新しい!ww
主催者側は
「ビートルズはイギリスの女王陛下から勲章をもらった国際的な音楽使節」だと説得
結局、武道館は諸般の情勢を検討した結果
「許可する」と異例の声明を発表し、ようやく決着したのです
来日公演の前評判は凄まじく、5万枚のチケットに対し20万人以上が殺到しました
入場料は格安の2000円ほどに抑え
「より多くの観客を動員したい」
そんなビートルズ側の狙いが的中したのです
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大月(二朗さんに激似ww):
今では当たり前ですが、武道館で外国人がロックを演奏するということが
ものすごく異例のことだった時代
その間には当然様々なメディアが介在した
当時まだ新しいメディアだった週刊誌も大きな力を持ち始め
もちろんテレビも影響した
6月28日 羽田空港
台風の影響で飛行機は大幅に遅れた
「羽田空港への到着は翌日未明」との情報が流れた
この日一般客の空港への立ち入りは厳しく制限された
空港周辺では検問が行われ、ビートルズを出迎えようとした車は426台
ファン1462人が門前払いされたのです
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6月29日午前3時39分 ビートルズ羽田空港到着
4人を出迎えたのは500人の警察官と250人の報道陣
ポール24歳、ジョンとリンゴ26歳、ジョージ23歳
ビートルズは警察に先導され、交通規制が敷かれるなか
永田町のヒルトンホテルへと向かう
ホテルでも4人を迎えたのは860人の警察官と機動隊
警備を考えて選ばれたホテルは高台にあり
しかも当時まだ珍しかった地下駐車場を備えていた
ホテルの中でも4人の誘導は厳密に計算されていた
地下駐車場からすぐエレベーターに乗れる
宿泊客が乗り降りが禁止された専用エレベーターで10階へと直行
4人は1005号室に入った
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10階のフロアはビートルズの関係者と主催者、警備人で占められた
廊下には要所要所にガードマンと私服警官がいる
国賓並みの重々しい警備体制が敷かれた
ホテルの前には右翼の車が登場
「日本の若者の精神を汚す不良外国人を叩き出せ!」と奇声をあげた
ビラをばら撒いてる
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6月30日 公演初日
1万人の観客に対し警備人は約2000人
「入場券を持たないファンが濠を泳いで渡る」という噂が流れ
ファンの侵入を阻止する水際作戦を展開しました
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観客たちは開演1時間半も前から
会場入り口で整列させられ、厳しい手荷物検査を受けました
ビートルズは世界中で熱狂的なファンの歓声に迎えられた
日本公演直前のドイツでは警官隊と大乱闘となり
ファン1人が重傷を負う事件も起きている
興奮するファンの行動をいかに抑えるか各国の警備当局にとって大きな課題だった
車に乗ろうとするジョンの服を引っ張るファンの映像
警視庁もビートルズのファンに頭を悩ませていた
公演の10日前から都内の盛り場で
ファンと思しき少年少女を次々と補導する特別体制を実施
60年安保に匹敵する大規模な警備
警視庁は熱狂するファンの心理を読み解くため心理学者も動員
心理学者 当時警視庁警備心理研究会委員:
演者がいて、それを自分は観客として見ている
そういう心理的な距離がある間はあまり問題がない
2階席の最前列にちょっと何か境があると
そこを越えて降りるっていう気持ちが起きにくくなる
一番確実なのは通路に係の人をずっと配置してしまえば横に動けない
結局は動けないのが一番いいんじゃないかというような
発想にいっちゃったんですけど
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ファン:
ちょっと立つと押さえつけられた
警官が後ろにも前にもいる
立つこともできなかった
こうした警備体制に対して当時から批判の声が上がっていた
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「税金の無駄遣い」「過剰警備」という批判の中で
異常ともいえる大規模な警備の裏に何か隠された意図を読み取る動きもあった
『ビートルズ・レポート』
予行演習
これはビートルズの警備と名目を借りた
別の意図にある大デモンストレーションではないのか
(お、都市伝説めいてきたぞv
『ビートルズ・レポート』編集長 矢崎さん:
安保条約が70年の改定を迎える
大阪万博が行われる
日米首脳のアメリカ大統領が来るとか
そういうことに対する警備の訓練
そういうきっかけがあれば、そこで試しておきたい体制側の考えそうな
あることのためにこれをやっておこう
予め想定されたようなものがあった気がした
当時警視庁警備課長 山田:
そういうことではない
当時、基本的に考えたのは熱狂ぶりは激しいが、少女だと
ソフトにやらなければいけない
それを形に表そうということで警備員に白手袋をつけてもらった
ステージのそばでも飛び降り防止の最後の砦として機動隊を並べた
それは良かったと思う シンボルとして
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(警備員に白手袋に何の効果があるんだ???
レポーター:
ビートルズの警備が70年安保の予行練習であるという見方は当時からありました
議論の分かれるところだと思います
一方で何かとんでもないことが起こってしまうかもしれない
と思っても不思議ではない状況ではありました
60年安保、日韓闘争
不特定多数の若い人たちが集まることへのいかがわしさ
恐怖感があったことは間違いないと思います
6月30日午後7時30分
ビートルズの4人が武道館のステージに登場
5回のコンサート、5万人の熱狂の幕開けでした
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ファン:
出てきた瞬間にショックで両手両足が痺れてしまって
具合悪くなってしまって
脇にいる婦人警官のそばにいて最初の曲は聞いてなかったと思う
仲井戸麗市:
大人は「泣いてるよ」っていう反応しているのがちょっと見えた
「お前なんか帰れ!」と思った
もっとビートルズ見たいやつがいるのによ
子ども心に 俺もつっぱり高校生だったからすごく嫌だった
後で大人の人たちが、いろんなジャーナリストの人たちが
「文化人」と称する人たちなんかがいろんなことを書いて
時間がたってから読んだけれども
“歓声と共に聞こえなくなった”とか
僕には聞こえた
ロックンロールミュージック
ただ歓声もすごいから鮮明には聞こえなかったかもしれないけれども
子ども達には聞こえたと思う
ポールのあのベースだとか
ジョンはがに股だとか(w
映画でしか見れなかったビートルズを確認しようとしたんじゃないかな
公衆の面前で手放しに感激し、泣き叫ぶ子ども達の姿は
当時の大人たちにとって異様な光景としか映りませんでした
心理学者:
意識朦朧としてるんですよね
それをみんなで抱き起こして立ち上がらせた
後で見たら失禁 びしょびしょでした
あの時の人間の興奮状態
生理的にもあんな状態になっちゃうっていうのを見て
本当に人間って凄まじいものだなと思いました
当日の会場のこの様子を書き記した人物がいます
三島由紀夫 ビートルズ見聞記@『女性自身』(!!
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舞台までは100 m ほどもあるだろうか
馬鹿にされたような気がしただけである
しかし今、目の前に見ている光景は原因不明でいかにも不気味である
私の後ろの席は女の子達に占められていたが
その一人は時々髪をかきむしって
前のほうに垂れてきた髪の端を噛んでいる
人を呪うような顔つきで
私は突然別れ話を持ち出された時の女はこんな顔をするなと思った
熱狂というものには、何か暗い要素がある
レポーター:
いわゆる当時の女子どもの内面、感情
体のあり方が生の形で公の場で、しかも大量に晒された
当時の大人の常識で言えばあってはならないことだったと言えると思います
60年代後半~70年代にかけて高度経済成長という現実は
豊かさの中で我々のそれまであったタガというものを緩めて外していきました
しかしそれに代わる新たな形式というものは
まだ見つからない時期だったと思います
みんなたじろぎ、当の女の子達もたじろいでいます
内面を発見された
だからこそ彼女たちは髪の毛を掻きむしり
両手を突き出し、ハンカチをくわえて耐えるしかない
簡単なことです
一歩踏み出して踊ってしまえば良かった
でもまだ体を音楽に合わせて動かすというモードはまだ発見されていませんでした(驚
翌7月1日
ビートルズは昼夜2回ステージに立ち、武道館は再び熱狂に包まれた
曲目も曲数も同じ11曲
アンコールなしの30分のステージ(短い!!
ビートルズは精力的にコンサートをこなしてきました
イエスタデイ のヒットなど
音楽的にはアイドルからの脱皮を模索しながら
過密な日程の中で予定通りの曲目を
時間通りに演奏しなければなりませんでした
駆け足で世界的スターとなった4人はホテルから出歩くことが難しくなっていました
ヒルトンホテル内部
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食事は3食部屋でとり、空き時間には居間で絵を描くなどして時間を潰す
日本滞在中も一切の外出が禁止されました
ステージの予定に加え、普段の行動までも管理される状況に4人は疲れを見せ始めていました
(これは監禁・強制労働だ・・・
そんなビートルズの素顔を、当時は無名の写真家だった浅井慎平さんが撮影しています
主催者が企画した写真集のために日本人でただ一人密着取材を許されたのです
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Q:どういう印象でしたか?
写真家 浅井慎平(当時28歳):
ちょうど彼らも何でこんな後々歴史に残るような音楽をできる人間だろうっていうのは
自分たちでもつかめてなかったような感じだと思うんですね
ジョージ・ハリスンに僕か誰かが
「君はニヒリストだって思われてるけど、どう思うんだ?」って質問したんです
なんと「ニヒリストって何だ?」って聞いたんですね
ジョン・レノンがとうとうと説明したんです
いかにもジョンらしかったし
そういう若者たちと言うか
その感じも面白かったし
みんなちょっと隙間があるとぼんやりしちゃってる
多分疲れてたと思うし
違う空間、時間の中にいたんじゃないかと思います
外出は禁止だと言われているし
不思議な状況ですもんね
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まさにそれは不思議な状況でした
ファンを熱狂させ、大人達を含めた日本を騒がせている
その中心にいる4人はずっとホテルにこもったまま
雑誌の取材などメディアへの露出もなく
人前にも姿を見せなかったのです
一方で、わずか30分のステージ以外にもビートルズの姿を一目見たい
そう願うファンたちはホテルの中や辺りの路上にあふれていました
しかしそんな願いが聞き入れられるはずもありません
学校を休んで駆けつけたり
地方から家出同然に出てきたファンたちは次々補導されていきました
その数は5日間で実に6520人に上った
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当時客室係:
この真下辺りに米軍の山王ホテルがあり
3階か4階建ての白いホテルの屋根の上に
大人の方もいらっしゃいました
イギリスと日本の国旗を振り回して呼ぶんですね
こちらから応えると「うわー!」と異様な感じでしたね
あの光景は今でも目に焼き付いています
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そんな状況の中、一つの事件が起きます
外出禁止に耐えきれず、厳しい警備体制をかいくぐり
ジョンとポールがホテルから脱出したのです
1966年7月1日 ポール・マッカートニー神宮外苑を一周して皇居へ
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ジョン・レノン 原宿の古美術商へ
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(原宿というより神保町みたい
神保町のある古書店にジョンの眼鏡などが展示されているし
古美術商店員 大橋さん:
お香が好きだったらしいですね
香炉だとか一人一つずつ4点くらい欲しいということで
ホテルに持って行きましょうということで持って行った
その時にサインをもらった 4人に書いてもらった
結構20枚ぐらい書いてもらった
「うまいことをこういうので商売するんじゃないか」って脅かされてw
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この脱出劇もビートルズのささやかな抵抗にすぎませんでした
ファンはビートルズに会えず
4人もまた二度と東京の街を歩けませんでした
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ビートルズは世界的なスターであり、既に貴重な商品でした
ファンはもちろん、彼ら自身の思いとは別に
何事もなくコンサートを成功させ
無事に商品としての役割を果たす
それが優先される仕組みは動き始めていました
勝手な行動を許されるはずがなかったのです
浅井慎平:
その時わかったことは、結局新しいものが出てくる時
まだ何も心の中に蓄積された知識とかそういうものがない
感覚だけの人達のほうが、先に鋭くものを捕まえることができる
子ども達、一番下の中学生から話を聞きましたから、それがよくわかりました
インタビュアー:
今のような日本の商業音楽の状況でも
まだ音楽はそういう力を持つと考えますか?
浅井:
力を持っているかどうかわからない
人々はでもそれを探していますね
それを利用しているのが商業音楽だから
人間は必ずそういうものを求めて生きてるから
そこにつけ込むのは良くない
ビートルズはそれらを商品にしていく
巨大な商業システムが立ち上がっていくきっかけにもなりました
商品としての音楽は、コンサートからレコードに比重を移し始めてもいました
レコードこそが音楽である
そんな中、コンサートの意味もまた変わっていきます
レコードのように同じことを繰り返す
複製されたイベントであることを要求され
そうならざるを得なくなっていった
感性や感情の表現にも
観客の顔が一斉に拳を振り上げる
掛け声をかける、踊る
それは商品としての音楽のシステムが提供する熱狂です
今や5万人が集まるコンサートでも
機動隊が出動するような事態はありえなくなっています
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7月3日 午前9時45分 離日
この日、ビートルズは軽い朝食をとった後
相変わらず警備の中を羽田空港へと向かいました
空港に立ち入りを拒否されたファン達は来日時の1.5倍の1600人
ビートルズを見送ったのはまた報道陣と警察官でした
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浅井愼平 ザ・ビートルズ東京公演写真展
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30年ぶりに展示
公演直後に限定発売され、絶版となっていた写真集も30年ぶりに復刊されました
浅井さんはビートルズをドキュメンタリー的な手法で撮影しました
彼らに時代を変える力を感じたからです
しかし当時、その狙いは理解されず写真は黙殺されました(驚×5000
(無名だったから?
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浅井慎平:
僕は撮れただけでもいいと思っていたし
あの体験は一過性
写真って今「もう一度お願いします」って言える時代でしょう
あの当時は1回撮ったらおしまい
一瞬の判断の面白さっていうのが結果を生むと思うんですね
そういう風なことが言えるようになったというのは一番大きな影響
ビートルズを撮らなくちゃいけない
写真集ができなくちゃいけない
怖い体験、それが僕を鍛えてくれた
Q:まだビートルズのアルバムは持っていますか?
浅井:
例えば街を歩いていて突然聞こえてきた時に
なんか一種の不思議な感動があるんですよね
聞こうと思って聞くよりも、聞こうと思って聞かないほうがポップスはいいような気がします
特に過去のものは
過去のものは不意を突かれる時が一番素敵なんじゃないですか
(なるほどね 同感
かつてはビートルズを見たというだけで不良呼ばわりされた16歳の少女達
彼女たちはいまや主婦となり母となりました
武道館のあの熱狂の瞬間を体験したことがきっかけで
2人は30年交友を続けてきました
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女性:
「エレキが不良」という風潮がありましたから
でも事実は全く違うんですよね
もっとなんか精神的な意味で大きな影響を与えてくれた
音楽ももちろんいいんですが
それを超えて生き方とか
今までの当たり前だと思っていた既成概念を変えるようなことを彼らに教えてもらった
これは当時採取した武道館の空気
(瓶詰めにしてる!! 信仰に近いな
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彼らと同じ空気を吸えるっていうのは信じられなかった
彼らが出てきて瓶を開けて、彼らが消えた時に閉めて
それ以来30年間1度も開けてません
死ぬ時に「ご臨終です」っていう一歩手前で開けて
最後に吸って死のうかって子どもに言って笑われているんですけどw
仲井戸麗市:
呆然としちゃって 帰るときも
あーもう帰っちゃうんだっていうことで
子ども心に彼らはもう二度と来ないと思った
なんだわかんないけど
それがまさか公演後、解散しちゃうことを
分かってたわけじゃないんだけど
めちゃくちゃ悲しかった
女の子にフラれることよりも悲しくて
学校サボってぼーっとしてた
本当に帰るんだって
行っちゃうんだって
そんな日だった
『ビートルズ・レポート』は最後にこう結んでいます
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狂喜乱舞する女の子達
彼女らの求めているものは
4人のイギリスの青年たちの中にあったということだけは
紛れもない事実だろう
騒ぎは疾風のように通り過ぎた
その疾風の走り去る一瞬に
僕らは何か掴むことができただろうか
大月:
今回いろいろ取材させてもらって
30年前の我々の社会っていうのは
親父は正しくオヤジであり
いわゆる女子どもは、女子どものまま泣きわめいて興奮することができた
羨ましいと言うか、びっくりしたと言うか
そういう社会だったんだなという気が改めてしました
言い方は悪いですけど、まるで明治・大正時代の出来事を
もういっぺん検証しているような気持ちにさえなりました
おそらくその後、30年経って様々なものが変わった
ビートルズが当時もたらしてくれたかもしれない可能性というものは
その後の過程の中で我々の多くの手元に果実として残ったと言っていい
ただその中でビートルズも年をとっています
ジョンは40で死にました
ポールは3人の子どもがいると聞いています
彼らがもたらしてくれた豊かさの自由の可能性の中で
今の我々日本人の若い子たちも自由に音楽を楽しみ
体を動かし、感覚を解放することができるようになったけれども
もしかしたら30年前の当時の日本のいわゆる女子どもたちほど
熱狂することはもうできなくなってるかもしれない
という思いを抱くところもあります
年をとる中でビートルズがもたらしてくれたかもしれない可能性を
どのようにこれから先我々が役に立つものとして使いまわすことができるか
その答えはまだ誰も教えてくれません
1966年7月 ロンドン
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Q:コンサートツアーはどうだった?
最高だったよ
日本は素敵だった
日本人は最高だね
(ロクにホテルから出られなかったのに
こうして改めて国名を挙げて思い出してくれたのは嬉しいね
宇崎:
当時の若者の反応と、当時の大人達の反応はあまりにすごい差があって
当時いろんな雑誌や新聞に
文化人、音楽評論家の方々が
ビートルズのことを讃えてる人もいるし、逆に叩いてる人もいる
その叩いている人の名前は忘れまい
この大人が今後発言したことに対して、絶対俺は認めない
こういう大人がいる限り、日本は文化が発展していかないだろうなって
子どもながらに思いました
アナ:
高嶋さんは当時音楽プロデューサーということで活動していましたから
大人組のほうでいらっしゃったかと思いますが
高嶋:
僕なんかより感覚的に若者のほうが優れていたのかな
すごく大きく変わった
オールディーズの時代からビートルズの時代が来た
我々大人よりも本当に手に入れていたのかなっていうのをものすごい感じました
自分たちの言いたいこと、やりたいことがたまたま音楽を通していった
音楽はそういう時代に来たのかな
ビートルズが大きな変わり目だった
アナ:
今活躍していらっしゃるミュージシャンの方が
ほとんどどなたもおっしゃるのは
「ビートルズの影響を少しも受けていない人はいないんだ」
その辺はどうですか?
宇崎:
コード進行とか、音楽的なビートとかハーモニーとかではなくて
ミュージシャン、バンドマン、シンガーソングライターとしてやってきた生き方に影響を受けてて
ビートルズがことごとくアルバムを繰り出していくと
その中にものすごい裏切りがあるわけですよね
ものすごく新鮮な裏切り
しかも嫌にならない ついていく
次はどんな裏切りをするんだっていう想像を掻き立てる
僕もああいう音楽家になりたいな
ああいう生き方をしたいなって思わせてくれる
高嶋:
50年経ってまだ鑑賞に耐えうる曲があるっていうのはビートルズだと思うんです
今でもビートルズの音楽に新しい発見がある
それが難しくもなんともない、非常にありふれたメロディーなんだけれども新しい
奇跡の4人です
そういうのを担当させていただいて非常に幸せです
アナ:
宇崎さんも同じ空気を50年前に吸ったわけですよね
あの空気を吸った事っていうのは今どうですか?
宇崎:
ものすごく幸せな瞬間だったと思います
今思えばあれがあったからビートルズというものを心の中に置き止めて
いつでも何か新しいことを自分がやろうとする時に
ビートルズだったらどうするかな
どうやって生きていったかな
そういう検証をさせてくれる存在ですね
だからやっぱりあの1日に感謝しています
*
私の大好きなYouTuberさんの1人は英国出身で
愛犬シェルパを連れていろんな場所を旅しているんだけれども
リバプールに行った時の動画も興味深かった
・Sherpa Explores Liverpool | Buildings old and New | Christmas Market
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【内容抜粋メモ】
1966年 2日間にわたって行われたビートルズ来日公演
5万枚のチケットに20万人の応募者が殺到
警官など警備に導入されたのは1回の公演だけで2000人
その熱狂は社会現象となりました
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NHK にはその騒動をさまざまな証言から分析した番組が残されています
1996年 ETV 特集 日本を揺るがした5日間~1966年 ビートルズ来日騒動を読む
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アナ:
これはビートルズの4人とモハメド・アリの貴重なショットですね
懐かしい写真が壁一面に貼られています
来日から30年後にこのライブハウスが六本木にオープンしました
往年のファンはもちろん、様々な世代のビートルズファンが連日盛り上がっています
ゲスト:
音楽家 宇崎竜童さん
音楽プロデューサー 高嶋弘之さん
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宇崎さんとビートルズの出会い
最初に聞いたのは
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ラジオから聞いてものすごいショックを受けました
それまで聴いていたプレスリーやら
イギリスならクリフ・リチャードという流れとは全然違う
ビート、ハーモニー、歌声
「イェイ イェイ」を多用する
そういう音楽は今まで出会ったことがない
俺たちの音楽だな
自分たちに向けて歌ってくれるんだなっていう感じがしました
高嶋さん(ビートルズのレコードを日本で売り出した):
当時 EMI の東芝レコードの担当をしていたのでビートルズをやることになった
62年の10月にイギリスでデビューして
当時は船便でレコードが来た
LP が時々曲がってる そういう時代
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その前に送ってくれてると思うんですが
なんじゃこりゃ?ですよ
その翌年
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東芝ではメロディメーカー ニューミュージックエクスプレス
それを見ると尋常じゃない動きを読み取った
たまたま好きな曲だったので
これはやらないといけないということで
私のプロモート活動が始まった
アナ:
2人はあの来日公演に行った数少ない方ですが
その時の気持ちってどうでしたか?
宇崎:
僕の中のある種のカルチャーショック
それまでの全てのカルチャーをぶっ壊し
新しいカルチャーを作った現象だと思います
高嶋:人生の分岐点 エポックメイキング
The Beatles
史上最も成功したグループとしてギネス世界記録にも認定された伝説の4人組
デビューは1962年
リーダーのジョン・レノン
甘いマスクのポール・マッカートニー
はにかみ屋のジョージ・ハリスン
ユーモアたっぷりのリンゴ・スター
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当時としては珍しい作詞・作曲・演奏全てをこなし
自らの思いを歌に表現したビートルズ人気は
イギリス国内にとどまらず海外でも爆発
スウェーデン、フランスなどヨーロッパ各国
アメリカでもツアーを行い
世界中でビートルズ旋風が巻き起こりました
日本でのレコード発売第一弾は1964年
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日本でのビートルズブームも徐々に高まり始めます
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1966年6月29日 ビートルズ来日
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記者会見
あなた方は日本をどのような国と認識し
かつ何を期待して来日しましたか?
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ポール:本で読んだり映画で見たりした程度しか知らない
ジョン:そのまま信じているわけじゃないよ
ポール:なかなか良さそうなところだね 素敵だよ
リンゴ:
服装が欧米と変わらないんだね
音楽の好みも似ているみたいだし
世界中が同じになっちゃうのかな
1982年 NHK 教育セミナー20世紀の群像 日本を変えた来訪者2 ビートルズ
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ドリフターズ
前座として舞台に立ったドリフターズのいかりや長介さん:
怖かったですね
客がダーっと入ってるわけですよ
客がじれてるんですよね、もう
そしたらエリックさん(ビートルズ来日公演の司会者)が
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さあお待たせしました
ご紹介申し上げましょう
今や人気最高のグループ
エリックさんがジョークのつもりで
歓声の中で「ドリフターズ!」って確かに言ってるんです
客はそれを聞いてないんだよね
僕らはとにかく無我夢中で駆け上がってったけど
お客さんの半分くらいは、後ろのほうの人は
僕たち頭数もあまり違わないですから
もしかしたらビートルズだって思っていたかもしれない
ともかく演奏したんです1分
幸いにもこれはウケまして終わったんです
終わって普通なら
「どうもありがとうございました 失礼します これをもって終わります」
何かそういう締めの言葉を言うんですけれども
僕が思わず言った言葉が今でも忘れませんけど「逃げろ!」って言ったんです(w
あんなの今まで言ったことがない
そのくらいやっぱり怖かったというか
異様な雰囲気だったですね
関係者に頼み込んでメンバーたちに直接会うことができた人もいました

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加山雄三:
何としても会いたくて、ヒルトンホテルの裏に行って
非常に警備が厳重で、階段には警察官がいっぱいいて
ウェルカムって挨拶してくれたのがポール・マッカートニーで
ポールと一番親しげに話をしたんですが
僕の印象ではボールが一番ノーマルな感じがした
ジョン・レノンは非常に変わってるというか
言葉遣いもさることながら
日本に対する共感を持てるような要素がある
人間性を持ってたように僕はとれたんですね
ジョージはもらった日本のカメラだと思うんですが
三つも四つも持っていて、一生懸命窓から外を撮っていた 非常に無口ですね
リンゴは意外と背が小さくて
顔がものすごく小さくて、鼻が大きい印象が強かった
「日本の食べ物で一番我々が食べられてポピュラーなものは何か」と聞かれてすき焼きと言ったら
「おー! 聞いたことがある じゃあそれをすぐとろう」って言って
「非常に美味しい」と言って食べてました
ビートルズから後の人生に大きな影響を受けたミュージシャンもいます
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財津和夫(チューリップ):
最初は僕はやかましいグループだということで
クラシックギターをやってるタイプの人間でしたので
ラジオから流れてくると消すほうだったんですけど
全身を込めて歌う歌い方っていうのはすごく衝撃的でしたし
それを東洋の僕らがやれって言うのは無理なんですけど、本当は
それをやりたくなったていうのはやっぱりすごい影響力だと思う
僕が曲を作るときも必ずビートルズの音楽の亡霊が
いつも後ろに立ってるような感じで
この曲を作っている時にあの曲が影響したみたいな
必ずそういうものがあるような気がするんですよね
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来日公演 宇崎さんの記憶
全く記憶にないんですけどチケットをものすごくイージーに手に入れることができた
実物がこれ
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下は注意事項がある
「テープを投げたり、羽、花束その他の持ち込み、手渡しは絶対にお断り」
ここに20項目ぐらいあるけど、7項目ぐらいは
多分初めてのことかもしれないですね
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1曲目が多分
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聞こえてるんだけど、耳で聞いてるっていう感じじゃなかった
周りに男の人がいなかった
全部女の人だったので
生まれて初めて聞いた女の人の
あんなに何千人もの人の歓声っていうのを生で聞いたのは多分初めて
あっという間に終わってしまった
高嶋さん:
私はヒルトンに行った
加山さんと私の上司3人で行った
その時もおそらく何かしゃべったと思うが全く覚えがない
緊張してたと思う
帰る時に写真にサインをもらった
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その場でメンバーが写真にサインをしてくれた
当時ボールペンじゃなくて万年筆で書いていたから薄くてはげそう
アナ:実際のコンサートの記憶はどうですか?
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高嶋:
評論家は「静かに聞いた」と書いた それは嘘つきです
静かに座っていただけでキャーキャー凄かったです
「立ち上がったら中止」ってことになっていた
警官がすごかった 配備についていた
仲井戸麗市:
あの奇跡の4人がいなかったら本当に困っちゃう
間違いなく自分にとって決定的なものだった気がする
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ナレ:
ここ日本武道館では毎年約150回のロックコンサートが行われます
今や武道だけではなく「ロックの殿堂」としても知られるようになりました
その発端は5万人を熱狂させた30年前のザ・ビートルズの来日公演でした
競馬から浪曲まで日本の大衆文化を幅広く論じてきた
大月隆寛さん(国立歴史民俗博物館助教授)は
一つの社会現象としてビートルズ来日騒動に関心を抱いています
僕がビートルズの来日公演に関心を持ったきっかけは1冊のルポルタージュでした
『話の特集 完全復刻版 ビートルズ・レポート』
来日公演直後に発売された
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「幻の名著」と言われていたこの本が、今年初め30年ぶりに完全復刻されました
著者は竹中労さんら7人のジャーナリスト
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竹中さんは当時「喧嘩の竹中」の異名をとるルポライターでした
ビートルズが羽田空港に到着してから日本を離れるまで5日間
約103時間の出来事が実に克明に報告されています
1966年6月 アメリカ軍ハノイ近郊北爆
ベトナムでは米軍による北爆が激化していました
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日本では高度経済成長が軌道に乗る一方で
飛行機事故が相次ぎ、成田闘争が始まるなど
時代は揺れていました
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1966年4月27日 新聞記事
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この来日公演がどのように決定されたのか
「ビートルズを呼んだ男」とした人物を訪問しました
外国人タレント招聘の先駆者の一人、永島達司さんです
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永島:
たまたまロンドンに行った時に
ヴィック・ルイスっていうビートルズの公演旅行企画担当マネージャーに会った
偶然私は子どもの頃ロンドンに住んでいた 彼も同じ地域で生まれた
「ビートルズが日本に来たがってるから、お前がやれ」と
本当に巡り合わせです
それでロンドンに飛んで10分くらいの交渉でした
あっさりまとまったコンサート会場は
ビートルズ側の要求に従い
1万人以上収容できる日本武道館が選ばれました
しかしここで大きな問題が起きます
当時、日本武道館館長だった正力松太郎が異議を唱えたのです
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正力:ペートルスなどという得体の知れない外国人に神聖なる武道館を使わせることはできない
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(ペートルス、新しい!ww
主催者側は
「ビートルズはイギリスの女王陛下から勲章をもらった国際的な音楽使節」だと説得
結局、武道館は諸般の情勢を検討した結果
「許可する」と異例の声明を発表し、ようやく決着したのです
来日公演の前評判は凄まじく、5万枚のチケットに対し20万人以上が殺到しました
入場料は格安の2000円ほどに抑え
「より多くの観客を動員したい」
そんなビートルズ側の狙いが的中したのです
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大月(二朗さんに激似ww):
今では当たり前ですが、武道館で外国人がロックを演奏するということが
ものすごく異例のことだった時代
その間には当然様々なメディアが介在した
当時まだ新しいメディアだった週刊誌も大きな力を持ち始め
もちろんテレビも影響した
6月28日 羽田空港
台風の影響で飛行機は大幅に遅れた
「羽田空港への到着は翌日未明」との情報が流れた
この日一般客の空港への立ち入りは厳しく制限された
空港周辺では検問が行われ、ビートルズを出迎えようとした車は426台
ファン1462人が門前払いされたのです
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6月29日午前3時39分 ビートルズ羽田空港到着
4人を出迎えたのは500人の警察官と250人の報道陣
ポール24歳、ジョンとリンゴ26歳、ジョージ23歳
ビートルズは警察に先導され、交通規制が敷かれるなか
永田町のヒルトンホテルへと向かう
ホテルでも4人を迎えたのは860人の警察官と機動隊
警備を考えて選ばれたホテルは高台にあり
しかも当時まだ珍しかった地下駐車場を備えていた
ホテルの中でも4人の誘導は厳密に計算されていた
地下駐車場からすぐエレベーターに乗れる
宿泊客が乗り降りが禁止された専用エレベーターで10階へと直行
4人は1005号室に入った
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10階のフロアはビートルズの関係者と主催者、警備人で占められた
廊下には要所要所にガードマンと私服警官がいる
国賓並みの重々しい警備体制が敷かれた
ホテルの前には右翼の車が登場
「日本の若者の精神を汚す不良外国人を叩き出せ!」と奇声をあげた
ビラをばら撒いてる
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6月30日 公演初日
1万人の観客に対し警備人は約2000人
「入場券を持たないファンが濠を泳いで渡る」という噂が流れ
ファンの侵入を阻止する水際作戦を展開しました
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観客たちは開演1時間半も前から
会場入り口で整列させられ、厳しい手荷物検査を受けました
ビートルズは世界中で熱狂的なファンの歓声に迎えられた
日本公演直前のドイツでは警官隊と大乱闘となり
ファン1人が重傷を負う事件も起きている
興奮するファンの行動をいかに抑えるか各国の警備当局にとって大きな課題だった
車に乗ろうとするジョンの服を引っ張るファンの映像
警視庁もビートルズのファンに頭を悩ませていた
公演の10日前から都内の盛り場で
ファンと思しき少年少女を次々と補導する特別体制を実施
60年安保に匹敵する大規模な警備
警視庁は熱狂するファンの心理を読み解くため心理学者も動員
心理学者 当時警視庁警備心理研究会委員:
演者がいて、それを自分は観客として見ている
そういう心理的な距離がある間はあまり問題がない
2階席の最前列にちょっと何か境があると
そこを越えて降りるっていう気持ちが起きにくくなる
一番確実なのは通路に係の人をずっと配置してしまえば横に動けない
結局は動けないのが一番いいんじゃないかというような
発想にいっちゃったんですけど
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ファン:
ちょっと立つと押さえつけられた
警官が後ろにも前にもいる
立つこともできなかった
こうした警備体制に対して当時から批判の声が上がっていた
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「税金の無駄遣い」「過剰警備」という批判の中で
異常ともいえる大規模な警備の裏に何か隠された意図を読み取る動きもあった
『ビートルズ・レポート』
予行演習
これはビートルズの警備と名目を借りた
別の意図にある大デモンストレーションではないのか
(お、都市伝説めいてきたぞv
『ビートルズ・レポート』編集長 矢崎さん:
安保条約が70年の改定を迎える
大阪万博が行われる
日米首脳のアメリカ大統領が来るとか
そういうことに対する警備の訓練
そういうきっかけがあれば、そこで試しておきたい体制側の考えそうな
あることのためにこれをやっておこう
予め想定されたようなものがあった気がした
当時警視庁警備課長 山田:
そういうことではない
当時、基本的に考えたのは熱狂ぶりは激しいが、少女だと
ソフトにやらなければいけない
それを形に表そうということで警備員に白手袋をつけてもらった
ステージのそばでも飛び降り防止の最後の砦として機動隊を並べた
それは良かったと思う シンボルとして
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(警備員に白手袋に何の効果があるんだ???
レポーター:
ビートルズの警備が70年安保の予行練習であるという見方は当時からありました
議論の分かれるところだと思います
一方で何かとんでもないことが起こってしまうかもしれない
と思っても不思議ではない状況ではありました
60年安保、日韓闘争
不特定多数の若い人たちが集まることへのいかがわしさ
恐怖感があったことは間違いないと思います
6月30日午後7時30分
ビートルズの4人が武道館のステージに登場
5回のコンサート、5万人の熱狂の幕開けでした
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ファン:
出てきた瞬間にショックで両手両足が痺れてしまって
具合悪くなってしまって
脇にいる婦人警官のそばにいて最初の曲は聞いてなかったと思う
仲井戸麗市:
大人は「泣いてるよ」っていう反応しているのがちょっと見えた
「お前なんか帰れ!」と思った
もっとビートルズ見たいやつがいるのによ
子ども心に 俺もつっぱり高校生だったからすごく嫌だった
後で大人の人たちが、いろんなジャーナリストの人たちが
「文化人」と称する人たちなんかがいろんなことを書いて
時間がたってから読んだけれども
“歓声と共に聞こえなくなった”とか
僕には聞こえた
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ただ歓声もすごいから鮮明には聞こえなかったかもしれないけれども
子ども達には聞こえたと思う
ポールのあのベースだとか
ジョンはがに股だとか(w
映画でしか見れなかったビートルズを確認しようとしたんじゃないかな
公衆の面前で手放しに感激し、泣き叫ぶ子ども達の姿は
当時の大人たちにとって異様な光景としか映りませんでした
心理学者:
意識朦朧としてるんですよね
それをみんなで抱き起こして立ち上がらせた
後で見たら失禁 びしょびしょでした
あの時の人間の興奮状態
生理的にもあんな状態になっちゃうっていうのを見て
本当に人間って凄まじいものだなと思いました
当日の会場のこの様子を書き記した人物がいます
三島由紀夫 ビートルズ見聞記@『女性自身』(!!
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舞台までは100 m ほどもあるだろうか
馬鹿にされたような気がしただけである
しかし今、目の前に見ている光景は原因不明でいかにも不気味である
私の後ろの席は女の子達に占められていたが
その一人は時々髪をかきむしって
前のほうに垂れてきた髪の端を噛んでいる
人を呪うような顔つきで
私は突然別れ話を持ち出された時の女はこんな顔をするなと思った
熱狂というものには、何か暗い要素がある
レポーター:
いわゆる当時の女子どもの内面、感情
体のあり方が生の形で公の場で、しかも大量に晒された
当時の大人の常識で言えばあってはならないことだったと言えると思います
60年代後半~70年代にかけて高度経済成長という現実は
豊かさの中で我々のそれまであったタガというものを緩めて外していきました
しかしそれに代わる新たな形式というものは
まだ見つからない時期だったと思います
みんなたじろぎ、当の女の子達もたじろいでいます
内面を発見された
だからこそ彼女たちは髪の毛を掻きむしり
両手を突き出し、ハンカチをくわえて耐えるしかない
簡単なことです
一歩踏み出して踊ってしまえば良かった
でもまだ体を音楽に合わせて動かすというモードはまだ発見されていませんでした(驚
翌7月1日
ビートルズは昼夜2回ステージに立ち、武道館は再び熱狂に包まれた
曲目も曲数も同じ11曲
アンコールなしの30分のステージ(短い!!
ビートルズは精力的にコンサートをこなしてきました
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音楽的にはアイドルからの脱皮を模索しながら
過密な日程の中で予定通りの曲目を
時間通りに演奏しなければなりませんでした
駆け足で世界的スターとなった4人はホテルから出歩くことが難しくなっていました
ヒルトンホテル内部
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食事は3食部屋でとり、空き時間には居間で絵を描くなどして時間を潰す
日本滞在中も一切の外出が禁止されました
ステージの予定に加え、普段の行動までも管理される状況に4人は疲れを見せ始めていました
(これは監禁・強制労働だ・・・
そんなビートルズの素顔を、当時は無名の写真家だった浅井慎平さんが撮影しています
主催者が企画した写真集のために日本人でただ一人密着取材を許されたのです
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Q:どういう印象でしたか?
写真家 浅井慎平(当時28歳):
ちょうど彼らも何でこんな後々歴史に残るような音楽をできる人間だろうっていうのは
自分たちでもつかめてなかったような感じだと思うんですね
ジョージ・ハリスンに僕か誰かが
「君はニヒリストだって思われてるけど、どう思うんだ?」って質問したんです
なんと「ニヒリストって何だ?」って聞いたんですね
ジョン・レノンがとうとうと説明したんです
いかにもジョンらしかったし
そういう若者たちと言うか
その感じも面白かったし
みんなちょっと隙間があるとぼんやりしちゃってる
多分疲れてたと思うし
違う空間、時間の中にいたんじゃないかと思います
外出は禁止だと言われているし
不思議な状況ですもんね

まさにそれは不思議な状況でした
ファンを熱狂させ、大人達を含めた日本を騒がせている
その中心にいる4人はずっとホテルにこもったまま
雑誌の取材などメディアへの露出もなく
人前にも姿を見せなかったのです
一方で、わずか30分のステージ以外にもビートルズの姿を一目見たい
そう願うファンたちはホテルの中や辺りの路上にあふれていました
しかしそんな願いが聞き入れられるはずもありません
学校を休んで駆けつけたり
地方から家出同然に出てきたファンたちは次々補導されていきました
その数は5日間で実に6520人に上った
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当時客室係:
この真下辺りに米軍の山王ホテルがあり
3階か4階建ての白いホテルの屋根の上に
大人の方もいらっしゃいました
イギリスと日本の国旗を振り回して呼ぶんですね
こちらから応えると「うわー!」と異様な感じでしたね
あの光景は今でも目に焼き付いています
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そんな状況の中、一つの事件が起きます
外出禁止に耐えきれず、厳しい警備体制をかいくぐり
ジョンとポールがホテルから脱出したのです
1966年7月1日 ポール・マッカートニー神宮外苑を一周して皇居へ
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ジョン・レノン 原宿の古美術商へ
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(原宿というより神保町みたい
神保町のある古書店にジョンの眼鏡などが展示されているし
古美術商店員 大橋さん:
お香が好きだったらしいですね
香炉だとか一人一つずつ4点くらい欲しいということで
ホテルに持って行きましょうということで持って行った
その時にサインをもらった 4人に書いてもらった
結構20枚ぐらい書いてもらった
「うまいことをこういうので商売するんじゃないか」って脅かされてw
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この脱出劇もビートルズのささやかな抵抗にすぎませんでした
ファンはビートルズに会えず
4人もまた二度と東京の街を歩けませんでした
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ビートルズは世界的なスターであり、既に貴重な商品でした
ファンはもちろん、彼ら自身の思いとは別に
何事もなくコンサートを成功させ
無事に商品としての役割を果たす
それが優先される仕組みは動き始めていました
勝手な行動を許されるはずがなかったのです
浅井慎平:
その時わかったことは、結局新しいものが出てくる時
まだ何も心の中に蓄積された知識とかそういうものがない
感覚だけの人達のほうが、先に鋭くものを捕まえることができる
子ども達、一番下の中学生から話を聞きましたから、それがよくわかりました
インタビュアー:
今のような日本の商業音楽の状況でも
まだ音楽はそういう力を持つと考えますか?
浅井:
力を持っているかどうかわからない
人々はでもそれを探していますね
それを利用しているのが商業音楽だから
人間は必ずそういうものを求めて生きてるから
そこにつけ込むのは良くない
ビートルズはそれらを商品にしていく
巨大な商業システムが立ち上がっていくきっかけにもなりました
商品としての音楽は、コンサートからレコードに比重を移し始めてもいました
レコードこそが音楽である
そんな中、コンサートの意味もまた変わっていきます
レコードのように同じことを繰り返す
複製されたイベントであることを要求され
そうならざるを得なくなっていった
感性や感情の表現にも
観客の顔が一斉に拳を振り上げる
掛け声をかける、踊る
それは商品としての音楽のシステムが提供する熱狂です
今や5万人が集まるコンサートでも
機動隊が出動するような事態はありえなくなっています
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7月3日 午前9時45分 離日
この日、ビートルズは軽い朝食をとった後
相変わらず警備の中を羽田空港へと向かいました
空港に立ち入りを拒否されたファン達は来日時の1.5倍の1600人
ビートルズを見送ったのはまた報道陣と警察官でした
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浅井愼平 ザ・ビートルズ東京公演写真展
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30年ぶりに展示
公演直後に限定発売され、絶版となっていた写真集も30年ぶりに復刊されました
浅井さんはビートルズをドキュメンタリー的な手法で撮影しました
彼らに時代を変える力を感じたからです
しかし当時、その狙いは理解されず写真は黙殺されました(驚×5000
(無名だったから?
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浅井慎平:
僕は撮れただけでもいいと思っていたし
あの体験は一過性
写真って今「もう一度お願いします」って言える時代でしょう
あの当時は1回撮ったらおしまい
一瞬の判断の面白さっていうのが結果を生むと思うんですね
そういう風なことが言えるようになったというのは一番大きな影響
ビートルズを撮らなくちゃいけない
写真集ができなくちゃいけない
怖い体験、それが僕を鍛えてくれた
Q:まだビートルズのアルバムは持っていますか?
浅井:
例えば街を歩いていて突然聞こえてきた時に
なんか一種の不思議な感動があるんですよね
聞こうと思って聞くよりも、聞こうと思って聞かないほうがポップスはいいような気がします
特に過去のものは
過去のものは不意を突かれる時が一番素敵なんじゃないですか
(なるほどね 同感
かつてはビートルズを見たというだけで不良呼ばわりされた16歳の少女達
彼女たちはいまや主婦となり母となりました
武道館のあの熱狂の瞬間を体験したことがきっかけで
2人は30年交友を続けてきました
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女性:
「エレキが不良」という風潮がありましたから
でも事実は全く違うんですよね
もっとなんか精神的な意味で大きな影響を与えてくれた
音楽ももちろんいいんですが
それを超えて生き方とか
今までの当たり前だと思っていた既成概念を変えるようなことを彼らに教えてもらった
これは当時採取した武道館の空気
(瓶詰めにしてる!! 信仰に近いな
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彼らと同じ空気を吸えるっていうのは信じられなかった
彼らが出てきて瓶を開けて、彼らが消えた時に閉めて
それ以来30年間1度も開けてません
死ぬ時に「ご臨終です」っていう一歩手前で開けて
最後に吸って死のうかって子どもに言って笑われているんですけどw
仲井戸麗市:
呆然としちゃって 帰るときも
あーもう帰っちゃうんだっていうことで
子ども心に彼らはもう二度と来ないと思った
なんだわかんないけど
それがまさか公演後、解散しちゃうことを
分かってたわけじゃないんだけど
めちゃくちゃ悲しかった
女の子にフラれることよりも悲しくて
学校サボってぼーっとしてた
本当に帰るんだって
行っちゃうんだって
そんな日だった
『ビートルズ・レポート』は最後にこう結んでいます
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狂喜乱舞する女の子達
彼女らの求めているものは
4人のイギリスの青年たちの中にあったということだけは
紛れもない事実だろう
騒ぎは疾風のように通り過ぎた
その疾風の走り去る一瞬に
僕らは何か掴むことができただろうか
大月:
今回いろいろ取材させてもらって
30年前の我々の社会っていうのは
親父は正しくオヤジであり
いわゆる女子どもは、女子どものまま泣きわめいて興奮することができた
羨ましいと言うか、びっくりしたと言うか
そういう社会だったんだなという気が改めてしました
言い方は悪いですけど、まるで明治・大正時代の出来事を
もういっぺん検証しているような気持ちにさえなりました
おそらくその後、30年経って様々なものが変わった
ビートルズが当時もたらしてくれたかもしれない可能性というものは
その後の過程の中で我々の多くの手元に果実として残ったと言っていい
ただその中でビートルズも年をとっています
ジョンは40で死にました
ポールは3人の子どもがいると聞いています
彼らがもたらしてくれた豊かさの自由の可能性の中で
今の我々日本人の若い子たちも自由に音楽を楽しみ
体を動かし、感覚を解放することができるようになったけれども
もしかしたら30年前の当時の日本のいわゆる女子どもたちほど
熱狂することはもうできなくなってるかもしれない
という思いを抱くところもあります
年をとる中でビートルズがもたらしてくれたかもしれない可能性を
どのようにこれから先我々が役に立つものとして使いまわすことができるか
その答えはまだ誰も教えてくれません
1966年7月 ロンドン
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Q:コンサートツアーはどうだった?
最高だったよ
日本は素敵だった
日本人は最高だね
(ロクにホテルから出られなかったのに
こうして改めて国名を挙げて思い出してくれたのは嬉しいね
宇崎:
当時の若者の反応と、当時の大人達の反応はあまりにすごい差があって
当時いろんな雑誌や新聞に
文化人、音楽評論家の方々が
ビートルズのことを讃えてる人もいるし、逆に叩いてる人もいる
その叩いている人の名前は忘れまい
この大人が今後発言したことに対して、絶対俺は認めない
こういう大人がいる限り、日本は文化が発展していかないだろうなって
子どもながらに思いました
アナ:
高嶋さんは当時音楽プロデューサーということで活動していましたから
大人組のほうでいらっしゃったかと思いますが
高嶋:
僕なんかより感覚的に若者のほうが優れていたのかな
すごく大きく変わった
オールディーズの時代からビートルズの時代が来た
我々大人よりも本当に手に入れていたのかなっていうのをものすごい感じました
自分たちの言いたいこと、やりたいことがたまたま音楽を通していった
音楽はそういう時代に来たのかな
ビートルズが大きな変わり目だった
アナ:
今活躍していらっしゃるミュージシャンの方が
ほとんどどなたもおっしゃるのは
「ビートルズの影響を少しも受けていない人はいないんだ」
その辺はどうですか?
宇崎:
コード進行とか、音楽的なビートとかハーモニーとかではなくて
ミュージシャン、バンドマン、シンガーソングライターとしてやってきた生き方に影響を受けてて
ビートルズがことごとくアルバムを繰り出していくと
その中にものすごい裏切りがあるわけですよね
ものすごく新鮮な裏切り
しかも嫌にならない ついていく
次はどんな裏切りをするんだっていう想像を掻き立てる
僕もああいう音楽家になりたいな
ああいう生き方をしたいなって思わせてくれる
高嶋:
50年経ってまだ鑑賞に耐えうる曲があるっていうのはビートルズだと思うんです
今でもビートルズの音楽に新しい発見がある
それが難しくもなんともない、非常にありふれたメロディーなんだけれども新しい
奇跡の4人です
そういうのを担当させていただいて非常に幸せです
アナ:
宇崎さんも同じ空気を50年前に吸ったわけですよね
あの空気を吸った事っていうのは今どうですか?
宇崎:
ものすごく幸せな瞬間だったと思います
今思えばあれがあったからビートルズというものを心の中に置き止めて
いつでも何か新しいことを自分がやろうとする時に
ビートルズだったらどうするかな
どうやって生きていったかな
そういう検証をさせてくれる存在ですね
だからやっぱりあの1日に感謝しています
*
私の大好きなYouTuberさんの1人は英国出身で
愛犬シェルパを連れていろんな場所を旅しているんだけれども
リバプールに行った時の動画も興味深かった
・Sherpa Explores Liverpool | Buildings old and New | Christmas Market
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