花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

プリンターが来た

2010年11月17日 | 暮らしと住まい・耐久消費財

1月からプリンターの調子が悪くなって以来、年賀状印刷までにはどうにかしたいと思っていた。
この度娘から話があり、10か月前に買った中古のプリンターを安く譲ってくれる人がいるという。
その人は、最新型を購入したいのだとか。
私は最新型でなくても良いし、安ければ尚良いので、分けてもらう事にした。

先日、娘が持って来た。今まで使っていたと同じCanon製で、コピー、スキャナー機能もついていて使い易そうだ。
プリンターができたので、今月末には年賀状を作成したいと思っている。
勿論娘には代金の他に交通費も支払った。
(尚、娘がエコポイントが無くなる前にと先週TVを買ったと言うので、特別助成金?として私から2万円を渡した)

                                            

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パソコンを入れ替える

2010年09月20日 | 暮らしと住まい・耐久消費財

2002年、10年近く仕事で使っていたワープロが故障したので電気店に出かけた。
そこで「もうワープロは無いよ」と言われ、仕方なく買ったのが、私にとって初めてのパソコンだった。

それから8年、仕事と私用で結構使い込んだ。
特に退職直後に分かった乳がんの治療中、精神的な落ち込みと、抗がん剤による脱毛によって、半年以上家に籠っていた時に、私と外を結び付けてくれたのはそのパソコンでしたインターネットだった。
中でも同病では先輩になる方々が書いていた乳がんの治療経過と生活ぶりを読んで、どれだけ励まされたか分からない。
やがて私自身も2007年の2月からブログを書き始めた。書くことによって日々の生活や出来事を見つめる様になると、前向きな気持ちを持てる様になった。

そんな大事なパソコンだったが、かなり前から調子が悪くなって来た。
パソコン内に増えた大量の写真をUSBに取り出したりしていたが、残容量が少なくなるばかりだった。
それでも1年近く我慢して使って来たが、今回、思い切って新機種を購入することに。

今月初め、店には娘を連れて行き、アドバイスを得ながら、結局、富士通の夏バージョンの「ウィンドゥズ7」を買った。
随分安かったが、それには理由があって、ポイントなるものは電気店で行う基本設定の費用と5年間の保証料に消えた。
(それでも私は、基本性能のリカバリー用CDR10枚は自分で作ったし、メールとウイルスバスターの設定も自分でやった結果、店に払うサポート費用をかなり安く抑えられた)

また、マンションにいた時は光回線を契約していたが、戸建て住宅に越して来てからは、光回線の契約料が高いためADSL配線を使って来た。
しかし、それもこの際ということで光回線にする工事も頼み、15日に終わった。インターネット接続は、その時にNTTがしてくれた。

今では色々な検索のみならず、海外旅行のネット予約やビザの取得、航空機の座席の予約など、私にとってパソコンは必要不可欠なものになっている。
今後、体力が低下して行くに連れ、外出が思うに任せない老後の生活に備える意味でも、益々パソコンは大切になると思う。
まだこの新しいパソコンに慣れていないが、これから少しずつ色々な機能を使えるようになって、このパソコンで生活の楽しみを広げたいと思っている。



     

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従姉妹にTVを

2010年08月12日 | 暮らしと住まい・耐久消費財

今年の正月に私が新しく買ったTVに対して、従姉妹から、「国は高価なTVを買う力のある人に、エコポイントとしてお金をばら撒いている。私は年金収入が少なくて買えないのに。」と言われて以来、その言葉が気になっていた。
そこで普段、パークゴルフを一緒にしたり、何かと世話になっている一人暮らしの彼女に、私から新しいTVをプレゼントすることにしたのだ。

昨日、札幌駅で待ち合わせ、一緒に近くのY電気店に行った。
折角なら大きいサイズのTVの方がダブル録画もでき、性能もいいと前から私は薦めていたが、彼女はワンルームマンションで暮らしているので、現在のTVより大きくなると置けないというのだ。
それで結局、26型の東芝Reguzaを買って配送を依頼して来た。

彼女は今までもビデオがなかった人なので、録画用にTVとセットでサービス価格で売られていた1テラバイツのハードディスクを私が使うことにし、私が使っている500バイツのを彼女に使ってもらうことにした。
また製品には1年保障しか付いていないが、店独自の5年保障にするお金は彼女に負担して貰った。

国から受け取ったエコポイントの商品券があったので、今回支払いの一部に使おうとしたら、額面の2%引きの価格でしか使えないとか、店のカードに還元するTV代のポイントが低くなると言われた。今回は現金で支払ったが、何となく腑に落ちない気持ちだった。

買い物が終わったら昼を過ぎていた。彼女がランチをご馳走してくれると言うので札幌駅地下の「サッポロL」に入った。食事は美味しかったが、後から来た隣席の女性たちが喫煙する煙がのどを刺激してひどく不快だった。
店員に聞くと、この店には禁煙席はないとのこと。ビールを飲む店は、どこもそうなのだろうか。
飲食店の従業員達が、客の喫煙による煙の害を訴えていると新聞で見たが、換気をもっと良くするとかして欲しいと思った。

従姉妹と別れてJRで帰宅したが、やはり少し疲れた。



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冷蔵庫の点検

2010年03月07日 | 暮らしと住まい・耐久消費財
2月の半ば、毎日電気が切れてモーターが動かなくなってしまう冷蔵庫を買い換えた。
詳しくは3月2日の「エコポイント‥」の記事に書いた。
                                 
ところが今度は、その新しい冷蔵庫のモーター音が凄く大きくて、気になりだした。
思い切ってメーカー(パナソニック)に電話をかけた。
2日後に、札幌からメーカーの修理部門の人がやって来た。
30分程冷蔵庫を点検していたが、「モーターの音が、傍にある板に共鳴して大きくなっている事が分かったので、板に耐熱性の発泡樹脂を張っておきます。」といって作業して帰った。それは僅か10cm四方のものだった。

その後、ほとんど音が聞こえなくなったので、今度は逆に通電していないのではないかと心配になり、何度も庫内の温度を確かめた。
大丈夫だった。
翌日、修理に来た人から電話があった。
「音がほとんどしなくなったので、逆に冷えているのか心配する位です。」と言うと、「それが普通です。直って良かったです」と言われた。

ところで今回、私が冷蔵庫を選んだポイントは、冷凍庫が小さいものだった。
その事を彼に話すと、「最近は冷凍食品を沢山入れられる冷蔵庫が売れるので、冷凍庫の大型化が進んでいます。」と言うのだ。
一層食生活がアメリカナイズされて来て、最近は各種冷凍食品を日常的な食事に利用する人が増えているらしい。

冷凍食品は、一般の加工食品に比べると、危険な防腐剤や殺菌料は少ないと思う。
しかし、原価を下げて利潤を確保するために、製造時に色々な工夫がされている事は明らかなのだ。
だから冷凍食品には、原材料は何処のものを使っているのかという不安、見た目や味を良くするための食品添加物を多用しているのではという不安などが必ず付いてまわる。
そういう冷凍食品を、たまに食べるならまだしも、日常的に用いるとしたら、小さな子どもなどの健康への影響は計り知れないのではと心配になった。
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寒さの思い出

2010年02月04日 | 暮らしと住まい・耐久消費財
昨夜からの天気予報通りに今朝は今冬1番の寒さだった
北海道では、今朝-28℃に下がった町もあるらしい。

私も昔、道東の町に居た時、1度だけ、-28℃を経験している。
その時は北側のトイレの水道管内の水を落として(抜いて)いなかったので、夕方、水道管内の水が凍りつき、容積が膨張して管の継ぎ目が外れてしまった
ザーザーという音で気がついた時には、トイレ内に水が噴水状に吹き上がっていたのだ。
その水の後始末も実に大変だった。

それからは、外気温が-7~-8℃になって来たら、トイレを使うたびに1回1回水を出し、出る時は落とす(抜く)事に徹するようになった。
台所の水道も、ストーブを消して出勤し夕方帰宅すると、もう水道管が凍り付いていて、水が出ないこともあった。
それで朝は台所も水を抜いて出かけるのだ

またそんな日は、出勤する時に車のエンジンが掛からない。「バッテリー」にお湯をかけて温めたり、それでも駄目な時は近所の人に車を引っ張ってもらったりもした。
その内にバッテリーの「充電器」を買って来て、夜中温めておいたりしたこともあった。
やがてケーブルを他のバッテリーに繋いで、エンジンを始動させるための電気を貰う時代になった。
思い出せば、道東で暮らした20年以上の1~2月は、毎朝が戦いのような気分だった。

しかし何よりも恐ろしいのは、凍結路面での車のスリップ事故だ。
「急ブレーキ」で車が1回転した事もある。その時、対向車がいなかったのが幸いした。
交差点で信号が黄色になり、前車が止まったのでブレーキをかけたが凍結路面のために停車できず追突した事も1度ある
(相手からぶつけられたことも3度ほど‥)
それからは「車間距離」をすごくとって運転する癖がつき、つい夏でも車間距離を空けてしまいがちなのだ。

雪が多い地域も除雪が大変だが、こんな風に冷え込む地域に住むには生活を守る工夫が必要だ。
今は「バッテリー」の容量が大きくなったり、家の作り方も良くなっているので、昔私達がしたような苦労は少なくなったかも知れないが、今朝の様な寒い朝には、もっと冷える北の地域で暮らしている人たちの苦労が偲ばれるのだ。

今住んでいる地域は道央圏なので、今朝7時の外気温は-18℃。やはり暖房を入れてもなかなか部屋が暖まらなかった。
外は真っ白い雪景色で、歩く人は寒気を吸い込まないようにマスクをしている人が多い。
しかし、我が家の居間の窓辺では、晩秋に鉢上げした草花が蕾を沢山つけている。
秋までベランダに出していたゼラニュームは、今、次々と花を付けてくれている。
今日は立春とか。
陽射しは少しずつ強くなってきた様に感じられる。本当の春が待ち遠しい。

    
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TVのビデオは外付けHD

2010年01月16日 | 暮らしと住まい・耐久消費財
新しく買ったTVを見出して10日になる。
外付けHDに記録する形式のVTRの使い勝手が心配だったが、慣れたら何てことない。
しかも2番組を同時に録画するというのを初めて体験してみたら、凄く良い。
夜8~9時台に見たい番組が3つある事が多く、今までは1つを見て、あと1つを録画していたが、今度は2つも録画できる。
再生しても、ほとんど画面に遜色が無い所も良い。
(昨夜は映画「プラダを着た悪魔」と「新型インフルエンザ」を録画しながら、ドキュメント「コメ喰う人々」を観た。「コメ喰う人々」は5夜連続観たが、なかなか良かった)

メーカーがくれたHDは、500GBなので、50時間分も録画できるのも嬉しい。
お陰で前よりもTVの視聴時間が少し増えたが、冬場は外出もあまりできないので、見たい番組をきちんと見られるようになったのだからいいし、次第に年を重ねていく事を考えると、室内の楽しみが増えるのは嬉しい限りなのだ。
他のメーカーのTVにもそれぞれ長所があると思うが、私は子どものアドバイスで決めたこのTVに今は満足している。

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隣町まで講習を受けに (3)

2009年07月16日 | 暮らしと住まい・耐久消費財
3~4日目の講習は「木工講座」だった。
幾つかのメニュウの中から好きな物を選び、その製作過程で鋸や木工裁断機、カンナの使い方、ねじ釘の打ち方、電動ドリルの使い方、木工製品の仕上げ方など、色々習った。
知らない事だらけで本当に勉強になった講習だった。

私は玄関に置いて靴を履きやすくする頑丈な椅子を作った。
写真①のように45cm角で厚さ2cmの合板1枚と足にする3枚の板から、この椅子が作図され、カットされていた。
モデルのデザインは玄関のコーナーに置くものとして考えられていたが、私はそれを少し変えて、玄関の壁際に置けるスリムな感じのデザインにした。
1番大変だったのは、厚さ2cmの合板のねじ釘を打つ場所に、予め錐で穴をあける事だった。②
十数か所あけたら、手の平が真っ赤になり、腕が痛くなった。
しかし、これをして置かないと、ねじ釘を曲がって打ってしまうかも知れないので大事なのだ。
(最後の日には電気ドリルの錐を使わせてもらった)
指導者達が、釘の頭の埋め方などの細かい所まで実に丁寧に指導してくれたお陰で、私でも作品を完成させる事ができて嬉しい限りだった。③
最後に大工作業に最低必要な道具の説明があった。良い道具があっての技術なのだ。

私は予定より早く完成させたので、家から持って行った古い汚れた食卓用椅子の布の座面を、手芸店から買って置いたレザーシートに張替えた。大型ホチキスの使い方と細かく打つ事を習った。
来年も、できたらまた受けたいと思った講習だった。

 ①  ②  ③


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隣町まで講習を受けに (2)

2009年07月15日 | 暮らしと住まい・耐久消費財
昨日は刃物の研ぎ方だった。
それぞれが家から持って行った刃物を、4時間半で研ぎ上げた。

まず、講師の方から、荒砥、中砥、仕上げ砥の特徴と使い方の説明があり、刃の当て方、研ぎ方を教えてもらった後で、自分のを研いだ。
私は、30年来使って来た出刃包丁と刃が長い柳刃包丁、10年位使っているステンレス製の文化包丁の3本を持参した。
出刃包丁は、少し刃が欠けていたので、その刃が無くなるまで研がないと駄目だと言われたから、手も身体も疲れ、すごく時間がかかった。見かねた講師が、最後の仕上げを手伝ってくれた。

習って見て、今まで自分なりにやっていた研ぎ方が間違っている事が分かったし、この年で初めて本格的な研ぎの技術を習えて嬉しかった。
家で研いだ文化包丁を使い、野菜を切って見た。信じられない様な切れ味に変わっていた。
今までは、ステンレスの包丁の切れ味はせいぜいこんなものだろうと思っていたが、研ぐと全然違った。
簡易な研ぎ機がよくあるが、あれで研ぐと片刃の刃物が両刃になってしまうので、切れなくなる事も知った。

また、はさみには専用の砥石(写真右奥)があって、刃物の中で研ぐのが1番難しいということも知った。
切れなくなった裁ちばさみも、持って行けば良かったな。


 ①砥石の種類 ②鋏の研ぎ方(模範演技)

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隣町まで講習を受けに (1)

2009年07月14日 | 暮らしと住まい・耐久消費財
シルバー人材センターの会員は、北海道内のどこのセンターが主催する講習も受けれる。
先月、パンフレットで隣町のセンターが行う「木工実技講習」の事を知り、申し込んであった。
昨日から始まった。
昨日の内容は、「壁紙貼り・塩化ビニールの床貼り・フローリング床の傷補修」だった。
初めて受けた実技講習は、凄く面白かった。
壁紙も塩ビ床もカッターの使い方が貼り合せのポイントだった。

写真①壁貼りの道具 ②2枚ののり付き壁紙を貼り合せた ③塩ビ床の貼り合せ

  ①  ③

④塩ビ床の穴補修 ⑤フローリング床のへこみ補修(模範演技)

  ④  ⑤

 
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北国の屋根の形

2009年06月18日 | 暮らしと住まい・耐久消費財
数日前から近所の家に建築屋が来て、玄関とその隣にある車庫の屋根を壊して作り直している。
その家は20数年前に建てた家らしいが、冬に雪が降る度、屋根の雪が玄関と車庫前に落ちて来ていたのだ。
そして、その度に除雪が必要で、見ていると本当に大変そうだったのだ。
しかし、古い家だから、建設当時は雪のことまで考えられない時代だったのかなと思っていた。(私の場合は、35年前に初めて家を建てた時に勉強したのだが)
住む人も年々高齢化し、除雪が大変になるので、今回、思い切ってリフォームすることにしたのだろう。

北国の家は、冬場の雪の事を第一に考えた設計をしないと、屋根から人や車に落雪して事故が起きる。
あるいは事故まで行かなくても、屋根から落ちた雪も加わった玄関前の通路や駐車場を確保する除雪作業は、本当に体力が必要になるのだ。
今の私の家は三角屋根に作ってあり、雪は自然に東西に落ちる。落ちても自分の敷地内で納まる様にしてあるので、隣家に迷惑はかけない。
また、玄関、ベランダ、車庫は南に作ってあるので、屋根から落雪することは無く、安心していられるのだ。

ところが、今日散歩をしていたら、先日から基礎工事をしていた土地で家の建築がかなり進んでいた。
見ると三角屋根なのだが、私の家と逆の方角で、雪は南北に落雪する様な形になっている。
しかも玄関は、落雪がある北側の屋根の下に作ってあった。
本当に驚いた。北側は雪が凍ってしまいやすいので、そんな塊状の雪がドアの開閉時の衝撃で屋根から落ちないとも限らないのだ。
資格を持っている建築士が設計したのかと疑ってしまうし、施主は設計図を見て気づかなかったのだろうかとも思った。
夏には完成して家族が入居するだろうが、冬にならないと設計ミスには気づかないかも知れない。
沢山の情報が溢れている現代でも、まだ、基本的な事がおろそかにされた「欠陥住宅」が建てられているのを知った。




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「ホームレスに宿泊所」のニュースに思う

2009年01月02日 | 暮らしと住まい・耐久消費財

30日まで仕事だった娘が、我が家に31日に帰省したが、明日3日には戻るという。
今は不定期雇用の若者が沢山いる中で、仕事があるというだけで幸いな事だと思われる。
それで今夜は、生寿司を沢山作って食べさせた。

昨秋、世界の実態経済がどん底に陥って以来、私は自分が年を取っていてすでに退職した身である事を、初めて幸せに思う様になった。何故ならもう、リストラや首切りを心配しなくて済むからだ。

今夜のニュースでは、東京日比谷公園の不定期雇用対策村に居た人たちを、今夜は厚生労働省の講堂に泊まれるように計らったと言う。
規制緩和の波で増えた不定期雇用者が、安定した雇用に早くつけるように、社会全体で取り組んで欲しいと思っている。

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道路の排雪

2008年02月29日 | 暮らしと住まい・耐久消費財

 毎日のように降り続いた雪が道路の両側にうず高く堆積していて、ようやく車一台が通れるような道幅になっていた。見通しも悪いので車の運転も危険だ。それで私はこの1週間、一歩も家から出ないで、ひたすら玄関周りの除雪に精を出していた。こんな中でもしも火災が起きたり、救急車が通るのは大変だと思っていた。
 所が今朝外に出たら、遠くから除雪車が来るのが見えた。いよいよ家の前の道の排雪をするらしい。急いでカメラを持って待った。

 まず、道路に20~30cmの厚さに積もった雪を削るのだ。
 見ていたら右側、左側、そして真ん中と何度も往復しながら時間をかけて削っていった。次にそれを片側に寄せて行く。
 最後に別の小型除雪車で硬い雪を細かく砕きながら、待機している数台の大型トラックに吹き上げる様にして、次々と積んで行くのだ。
 先頭のトラックが雪で一杯になると、雪捨て場に捨てに行く。次に控えているトラックが先頭に来て、また雪を積む。除雪車とトラックの連携プレイは見事だ。
 こうして数時間後、道路から雪がほとんど無くなり、歩道も歩ける様になって、広々した安全な道路に戻った。

 しかし、市の予算の関係か、排雪が行われるのは幹線道路だけだそうで、住宅地の中の細い道路は、当分、雪が自然に溶ける迄待たなければならないのだ。
 明日から3月。今後、大雪が降らないことを祈るだけだ。

  

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私の住まい史(10)

2008年02月22日 | 暮らしと住まい・耐久消費財

 不動産屋さんが紹介してくれた土地を、翌日、早速見に行った。住んでいたマンションから車で20分の場所にあった。
 面積は丁度100坪で、南面した更地が落ち着いた雰囲気の住宅街の一画にあった。敷地の南側の幅12mある道路は、幹線道路の一つらしいが交通量は少なく静かな雰囲気だった。
 また、年をとって車に乗れなくなっても、JR駅が近く、徒歩6~7分で行くことができ、電車に乗れば札幌駅までは25分で行ける。おまけに土地から徒歩3~4分の場所には、市内循環バスの乗り場もあった。大きな病院もあり、立派な図書館もある。
 それなのに価格は、札幌のかなり交通の不便な郊外の土地よりも安かった。これなら上手に栽培できないかも知れない大根や豌豆を植えてもそれ程勿体なくはない。
 札幌のベットタウンになっている中都市のその土地を、私は一遍で気に入った。そして、翌日、早速、買う返事をした。間もなく売買契約を結び、手持ちの資金で全額支払いも済ませた。
 それからは、その土地に退職後どんな家を建てるか、あれこれ考えながら楽しんだ。2~3年、夏には草刈りにも通った。

 一方、60才で退職した後、私の場合、62才になるまで年金が出なかった。それで引き続きパート労働をしたいと思っていた。
 そうしたら、たまたまマンションから歩いていける職場に再就職できることになったのだ。それで仕事を続ける間は、もう少しそのマンションに住むことにした。

 ところが全く考えても見なかった晴天の霹靂に見舞われたのだ。
 パートで働いていた秋に、偶然にも左乳癌を見つけたのだ。
 それからは手術、術後の治療と続く中で、土地は買ったものの、私が何時まで生きられるのか、果たして園芸を楽しむ事ができる迄に元気になれるだろうかと悩んだ。
 特に初めの半年位は、治療の副作用のために姿も心も悲惨だったし、病気に対する十分な知識も足りなくて、不安ばかり募り、希望を見いだせない日々が続いた。
 悩みを主治医に相談してみたら、「自分で決めなさい。」と言われた。その返事を聞いて、私は「ああ、そうなんだ。直ぐには死なないみたいだから、私の最後の仕事として、思い切って家を建てよう。」と決心した。
 それと癌になって自分の死を自覚したら、「例え残された生が短くても、精一杯生きよう」という意識が次第に強く湧いてきた。
 また、お金は単に持っていても価値が無い。どうせ死ぬ時はあの世に持って行けないのだから、退職金などの貯蓄は、自分への褒美として新しい家の建築費に使おう。
 そして、生きている間の生活は、予算を立て、贅沢さえしなければ何とか年金で暮らせるはずだと思ったのだ。

 決めたら一日でも早い方が良い。抗癌剤の副作用で頭髪は脱毛していたが、大分体力が戻って来ると、夏でも帽子を被って幾つもの業者に建築現場を見せて貰い、依頼する業者を捜して歩いた。

 また、病院の帰り、体調が良い時には、「北海道住宅指導センター」まで50分歩いて行った。そして、療養中に家で何枚も書き直した平面図をその日の当番の建築士に見て貰ってアドバイスを受けたり、色々な相談にも乗って貰った。特にバリアフリー建築を得意とする建築士のアドバイスは、健康に不安を抱き、老年期に向けた私の家造りをするのに役立った。

 数ヶ月後、最終的に、「外断熱工法」の建築施行会社に決めた。
 その後の詳しい内容は、1年前に既に「外断熱・バリアフリーの家」のカテゴリーでブログに書いてあるので、この続きとして読んでみて欲しい。

 長かった私の「住まい史」はこれで終わる。
 振り返って見ると、何と私は色々な住まいの体験をして来た事かと感慨深い。その時々に実体験した住まいの苦労も喜びも、全部、次へのステップになった様に思う。
 そして皮肉な事に、最後の家では、病気になり仕事ができなくなったからこそ、自分の家造りをじっくりと考えたり、あちこち見て歩く時間も持てたのだと思う。
 今の家は、私の生命が終わりに近づく時迄、できるだけ在宅で生活したいと思い、必要になった時にはいつでも家庭用エレベーターが付けられるようにしておく等、あれこれ自分で考えて建てた家だ。だから今後はもう、住まいを変えることは無いと思う。

 最後の死を施設で迎えるか、あるいは病院になるか分からないが、少なくともこの家でぎりぎりまで暮らしたいと思う。
 だから、これからも体調に注意しながら庭仕事を楽しみ、季節の変化を愛で、近隣の人達ともゆるやかな人間関係を築きながら、自分らしく楽しく、最後まで私の命がほのかに輝くように生きたいと願っている。
 今はまだ、庭は深い雪に埋もれているが、雪が溶けて花木が芽吹き、色とりどりの花を咲かせ、庭仕事ができる季節の到来が待ち遠しい。
 

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私の住まい史(9)

2008年02月21日 | 暮らしと住まい・耐久消費財

 57才になった頃から、退職後どのような生活をするのが良いか、あれこれ考える様になった。
 長い間働いて来たから、したくてもできなかったことが色々ある。それらを思い出し、定年退職後もやりたいかどうか考えた。

 一方、確かにマンションには、安全性、プライバシー、断熱性、快適性があり、交通も便利だが、何か足りないのだ。それが生き甲斐だった。一握りの自由にできる土地も無く、近所の人との交流も無かった。
 おまけに仕事をしている間は、職場で良い意味でも悪い意味でも多くの人達との人間関係があるし、なにがしかの自己実現もできる。また、適度に身体を動かすこともできるが、退職したらそれらは何も無くなってしまうのだ。
 色々考えた結果、やりたい事の一つが鮮明になって来た。それは園芸だった。自然と触れ合いながら身体を動かす事ができるし、種蒔きや苗から、毎日、植物の生長を観察して楽しむことができる生活に生き甲斐も見い出せそうに思った。

 当時住んでいたマンションの南側のベランダは、長さが5m、奥行きが1.41mあったので、プランターを40個近く並べて花やミニトマトを栽培していた。
 しかし、ベランダはどうしても風が強く乾燥しやすいので、上手く育つ花や作物は限られていた。また、1週間位家を空ける時には、枯れてしまわないかといつも心配だった。枯らさずに育てるにはやはり土地が必要だった。
 それでやっぱり土地付きの家を持とうと決心した。そしてまた、私の家探しが始まった。

 建て売り住宅を幾つも見たが、適当なものはなかったので、土地を探して建てることにした。
 庭を造るとなると、やはりある程度の広さが欲しいし、方位も問題だった。
 不動産情報を頼りにして札幌市内や近郊都市を色々と歩き回ったが、とうとう私の条件と資金に合う土地を探すことはできなかった。
 ほとんどの宅地は一区画60坪程度の広さしかなかったし、たまたま見つけた2区画続きの南面する土地の場合は、土地の価格だけで二千数百万円もしたため、それでは家の建築費がなくなる始末だった。

 ある時、新聞で、札幌の中心部に近いのに、安い土地の広告を見つけた。早速不動産屋に連絡して案内して貰った。何とそこは、藻岩山の標高200m位の場所にある土地だった。南面で眺望は悪くなかったが、私が車を運転できる間は良いとして、年を取ったら、到底そこまで毎日歩いて上り下りする事はできないと考え、断った。
 そうしたらその不動産屋さんが、まだ一般に公表していないという今の土地を紹介してくれたのだ。

 

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私の住まい史(8)

2008年02月19日 | 暮らしと住まい・耐久消費財

 そんな恐ろしい夢を見てから、私は日曜日毎に札幌での家探しを開始した。
 先ず市営住宅に入れて貰えないかと電話で問い合わせたが、条件が合わないと断られた。そこそこの収入に対して、家族数が少なかったためらしい。
 日本では、収入が低い人は色々と社会から保護され、収入がかなり多い人は自力で住み心地良い暮らしができる。ところが私のような中間層には誰も振り向いてもくれず、放って置かれるのだ。そんな矛盾を感じた。

 色々見たが、建て売り住宅は表面の内装仕上げは綺麗だが、建築途中の家を見に行くと柱は細く、断熱材の入れ方も今一つ不十分に思われた。中には目立たない場所で手抜きをしているらしい家もあった。当時、欠陥住宅が話題になっていた事もあり、価格の安い建て売り住宅は信用できなかった。

 その頃、次第に沢山建てられるようになったマンションも20棟位見て歩いたが、価格によって品質に大きな差があった。壁が薄かったり、間取りが画一的で生活するのにどうだろうかと思った物件も多かった。
 土地も探して見た。私が考える様な場所や方位、面積の土地はなかなか見つけられなかった。

 探し始めて1年後、やっと適当なマンションが見つかり、手を打つ事に決めた。正直な所、その時持っていたお金では、土地を買って家を建てるには少し不足していた。
 そこは建ててから2年半の中古の3DKだったが、JR駅にも徒歩2~3分という立地場所は娘の通学に安心だった。(娘はその家からJRで高校、大学へと通った)
 しかも札幌市の広い公園に隣接し、自然環境に恵まれ、建物自体も壁や床が厚くしっかりしていて、隣人の音は聞こえなかった。
 しかし、バブル期に建った高品質のマンションだったので、価格は郊外の一戸建ての家を買う位高かった。しかし私はローンを組むことは止め、貯金をかき集めてやっと支払い、引っ越しをした。
 (実は、金利が高かった時に預けた郵便局の定額貯金は絶対解約したくなかったので、足りない分を夫から借りた。2年後に当時の定期預金の利息を付けて夫には返済した。この事情は夫には未だに伏せてある)
 引っ越しの荷物がざっと片づいた二日後に前の借家に行ったら、その家は潰されて平地になっていたので驚いた。
 
 このマンションは暖かかった。真冬でも寝る時にストーブを消してタオルケットと薄い毛布を1枚ずつ掛けて寝るだけで良かったし、朝起きた時の室内温度は17~18度に保たれていたので、朝は全くストーブを焚かずに身支度をして出勤できた。
 都市ガスによる暖房方式は初めての経験だったが、ゴーゴーというガスが燃える音は好きになれなかった。
 また、余りにも機密性が高いので、各室の換気口は年中開放していたし、入浴後や調理の際は換気扇を回し、冬でも洗濯物はなるべく外で干すようにしたが、それでも窓は結露した。
 調理で鍋に味醂を入れたのに、うっかり換気扇を回さなかったら、途端に警報機が作動し、管理センターから管理人が飛んできて恐縮することも何度かあった。

 この家から私は、退職するまで二つの職場に自家用車で通勤した。
 

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